そういえば先月28日の「記憶探偵のつくり方」講座の際にもっとも反応があった問題がこの写真。1枚目の明治39年頃の写真を問題にして「ココはどこ?」、すぐに判った方はいませんでした。
2枚目は大正12年、福岡玉屋ビルになる前の福岡ホテルからの光景。そして3枚目は、戦後復興が進む昭和29年初頭のほぼ同じアングルでの光景(路面電車がポールからパンタグラフへ変更される時期)。
一枚目にみえる手前の川は「博多川」。そう、正解は「現在の明治通り・川端通商店街&博多リバレイン界隈」です。
明治41年から42年にかけて、新しい幹線道路(福博電気軌道・のち西鉄福岡市内線の貫通線、平成に入り明治通り)を作る為に、町家の立ち退き&土地提供を行政が呼びかけます。それに一番に答え、所有の土地や建物を寄贈したのは「渡辺通り」に名を遺す紙与呉服店の渡邊與八郎でした。新しい道が完成し、路面電車が走り始めたのは明治43年3月。しかし当時のメインストリートは博多六町筋(旧唐津街道)なので、大正の世になってもしばらくこの通り沿いは裏通りの風情だったそうです。後方にみえる立花山だけが変化してないのも判ります。