記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

新年会

2010年01月19日 12時14分52秒 | 福博まちの記憶
 16日夕、小倉からトンボ帰りし福岡サンパレスで行われた博多・冷泉地区の新年会に参加。地域内の5ヶ町(祗園・冷泉・店屋・上川端・中洲)から各町会長や各種団体長、地名士も揃い賑やかに開催された。櫛田神社・阿部宮司の乾杯で宴が始まると、昨年秋にDVD化を試みた昭和35年の校区運動会や昭和41年頃の歩こう会の映像などを初上映。50年前の地域行事の記録映像なだけに、あちこちで歓声が上がった。

 私の役目のひとつは記録撮影。各テーブルを廻り、記念撮影をしていくのだが、乾杯の挨拶から5分もすると席を立つ人も続出(笑)。司会の森さんの声もザワツキにかき消されて聞こえない始末だ。それでも皆さんのご協力で、無事に各テーブルで記念撮影をすることができた。仲良しでのショット写真など、求められれば全部撮影。おかげでたくさんの笑顔写真を撮ることができて自分的にも満足。

 この日は冷泉町のテーブルに座らせていただいた。お隣の野田さん(昨年より体育振興会委員長)とは初めて歓談。秋の運動会の写真はここ5年分、ずっと撮影している事を伝える。前委員長の方々は私のことをご存知だが、入れ替わると当然記念誌編纂を担当したことや冷泉地区まちづくりの記録係をさせてもらっていることもご存知ない。野田さんの居酒屋「への字」には、宮司さんやカレンダー委員の面々と何度も訪れているので、顔は憶えてくれていた。今年の運動会での新種目を何にするかなど、話が盛り上がった。

 同じテーブル、荒牧さんは以前「櫛田屋」という老舗旅館をされていた方。今は櫛田神社の川端側入口で櫛田餅をされている。櫛田屋さんがあった場所は賃貸マンション、切り絵作家の小西さんもここに工房を構えている。シティ情報ふくおかのバックナンバーをチェックしていて、荒牧さんが焼きそば屋さんを始めた記事を見つけていたので、その件を尋ねる。ご本人は雑誌に記事が載ったことも憶えておられなかったが、櫛田屋をやめてから4年間、やきそば屋をしたそうだ。繁盛しすぎて体調を崩し止めたとのこと。昔の雑誌でも、様々な話題が広がる。

 事務方の女性陣のテーブルへ行き、西嶋さんにいつもの津屋崎の地酒「豊盛」をお願いする。このお酒は宗像・福津一帯でのみ販売されている。西嶋さんは清酒「豊盛」の豊村酒造の娘さんである。戦前は津屋崎と福間にまたがる工場も持っていたそうだが、今は津屋崎の蔵のみ。蔵の見学を以前からしたいと思っていたので、その件もお願いした。

 2次会はいつもの中洲村へ。私がついていったグループは皆さん歌が上手い。特に某新任の◯長さんはバリうま!「島唄」などは本物かと思うほど、圧倒された。これで中◯村も安心である。さすがにまだ病み上がりの自分は、飲んでいる途中で少々疲れが出て早めに離脱させていただいた。酔い覚まし&新年の挨拶に「ドンレオあべ」へ顔を出す。ウーロン茶をごちそうになり、ほっと一息。忙しくも楽しい一日だった。

今日の写真は、博多の雪景。昨年1月末の積雪時に撮影。
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