記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

どんど焼きと櫛田神社

2010年01月19日 12時20分51秒 | 福博まちの記憶
 17日朝、冷泉地区のどんど焼き。市中心部ではここだけが続いているそうだ。博多小が毎年制作する「子供山笠」の飾り山の「お別れ会」も行い、今年は平成18年の飾り山が一緒に燃やされた。旧冷泉小(統廃合で廃校)の運動場で行われたのだが、校舎はそう遠くない時期に取り壊されるようで、校庭ではしゃぐ子供たちの写真カットも撮らせてもらった。

 櫛田神社へ立ち寄るとこの日は結婚式が4件もあるそう。神職の皆さんは慌ただしく働かれていた。櫛田神社というと博多祗園山笠の印象が強く、境内の随所で感じることができる記念碑や奉献品に目を向ける人はほとんどいない。しかし、それぞれを丹念に観察すると博多のまちの歴史、先人たちの博多にかける思いを随所で感じることができる。

 休憩場横にある馬の銅像、この裏手を観ると昭和時代の蒼々たる地元名士の名前が並んでいる。いずれも博多財界、商業界に名を遺す人々ばかり。境内東側の忠霊塔そばの「備荒米の碑」、これは有事(地震や火災、水害など)に備えて櫛田神社に米を備蓄し被災した人々を救うための準備を証明する碑である。安永年間(1778年)に始まる博多津中の生活防衛に大きな役割を果たした。自治都市「博多」の象徴である。

 境内を出たところで人力屋の神谷さんに会った。神谷さんは誰に言われるでもないのに、いつも清掃用具を持って櫛田神社境内前の歩道や車道のゴミ拾いをしている。自分にできることで地域に貢献する彼の姿勢は私も見習うべき処がたくさんある。他人任せにせずに、気づいたらごみを拾うという行為は博多人は当たり前にしている事だ。山笠の男衆しかり、追い山の後に町中にちらばったゴミは山笠の男たち中心に、あっという間に片付けられる。まちを好きになるということは、こういう行為が自然にできるという事だろう。

 この日は本当にキレイな晴天。絶好の写真撮影日和だったが、どんど焼きが終わると帰宅し事務所で仕事についた。日中は仕事をし、夕刻を待ってマンションの最上階へ。階段の踊り場は私の撮影コーナー、ここからは福岡空港が一望できる。といっても、最近は高層マンションも続々建ち、年々空港が見えにくくなっている。国内線はほとんど見えなくなってしまった。それでも天気が良い日にこの場所から眺める景色は大好きだ。

今日の写真は、
1枚目、冷泉地区のどんど焼き。消防団や児童消防団、博多小の子供達が参加。
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