先日、1903(明治36)年頃の撮影と推察できる「西中島橋」の絵葉書を入手しました。
絵葉書の状態は悪いものの初見の構図、現在「赤煉瓦文化館(日本生命九州支社)」が建つ場所には火災消失前の国立第十七銀行(福岡銀行の前身)があり、このアングルの絵葉書はかなり貴重です^_^。以下は十七銀行が解体され囲い塀が見える別角度の絵葉書。右側の建物は福岡郵便局です。
別アングルや遠景の絵葉書など、明治末から大正初期までは旧城下町「福岡」部の代表景観として旧唐津街道筋にあたる西中島橋から福岡橋口町を臨む絵葉書はたくさんあります。もともと福岡藩政時代、西中島橋の袂には東取入口(桝形門)がありましたので、現在の西中島橋の門があった付近には福岡市の道路起点を示す「福岡市道路元標」もあります。
1910(明治43)年に福博電気軌道が開通すると、いまの「明治通り(貫通線、通称「貫線」)」側がメインストリートとなり、絵葉書も明治通り沿いを写したものが増えます。
以下は赤煉瓦文化館(日本生命九州支社)が建ったあと、1918(大正7)年頃の絵葉書。中央右にある緑色の「福岡郵便局」は1920(大正9)年末には明治通り沿いに移転(のち福岡ビルが建つ場所)します。
以下は1928(昭和3)年頃、郵便局移転後に建った日本勧業銀行福岡支店。さらに橋の脇には1923(大正12)年に通水開始された福岡市上水道の通水橋も見えます。
都市の絵葉書セットは、発行当時の代表的な景観や名所(名勝旧跡・施設・交通機関含む)が含まれていました。明治から昭和初期にかけては、絵葉書印刷に対応する印刷機の仕様から8枚組が中心で、その後16枚組となり掲載される景観も増えました。福岡市の場合、他都市に比べて全国に知られるような名勝旧跡が少なく、電車通りを中心とした繁華街や那珂川沿いの景観美(博多情緒)も多く撮影されています。
西中島橋を含む天神地区の明治末からの景観変遷は、執筆編纂を担当しているにしてつWEBミュージアムの特集ページ「天神明治通りの景観変遷」でも紹介しています。私の収集資料と西日本鉄道に遺る資料で構成。ご興味ある方はぜひご覧ください。
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