記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

福岡ロケ&ゆかりの古い映画と電柱広告

2010年02月06日 23時46分51秒 | 福博まちの記憶
 1月のスカパー「日本映画専門チャンネル」は、岡本喜八監督作品特集。博多ロケの作品もいくつかあって、初めて観る映像(未ビデオ化)作品はとにかく楽しかった。中でも五木寛之原作・昭和48年公開の「にっぽん三銃士 博多帯しめ一本どっこの巻」は当時の福博の町並みも鮮やかに、印象的に描かれていてお気に入り録画。しかも、在りし日の「雁ノ巣飛行場」滑走路や格納庫の中のシーンも。

 内容は当時を象徴するドタバタ喜劇だが、先日亡くなられたミッキー安川さんをはじめ、若き日の名優たちが活き活きと動き廻り、あっという間の90分。この作品、福博の町並み記録という意味でもDVD化を期待。

 昭和53年公開の同じ岡本喜八作品「ダイナマイトどんどん」も面白かった。今年没後50年を迎えた火野葦平原作「新遊侠伝」の映像作品、昭和25年の小倉を舞台にエスカレートしていくヤクザ同士の抗争をなんとか沈めようと、小倉警察署長は民主的に解決するために野球大会を提案する。豊楽園球場(現在の小倉駅北側にあった)を舞台に展開される任侠劇である。この分は録画し損ねたので、再放送を要録画。

 もちろん昭和33年に解体された豊楽園球場はオープンセットだが、西鉄ライオンズも試合をしたオンボロ球場の雰囲気はよく出ている。豊田泰光さんが初ホームランを放ったのはこの球場だ。公式戦最後の試合(昭和32年10月)は昨年編纂発行した「西鉄ライオンズとその時代」に写真をいくつか掲載している。

 福岡でロケされた過去の作品、できる限り観ておこうと思いチェック中。18日午後、昨年12月の西鉄ライオンズOB忘年会でお会いした元フクニチ新聞の村松さんが来社。村松さんはフクニチ退社後、福岡の老舗交通広告代理店の春潮社に永年在籍された方。戦前から西鉄福岡市内線の電停看板広告や車内広告、今も九州電力の電柱看板などを手がけている地場代理店。戦前の昭和8年に開業し、交通広告ひと筋。

 昨年、春潮社さんは永年にわたる交通広告一筋の功績が認められ、この分野では初めてとなる第26回CODO賞と第3回全広連鈴木三郎助大賞特別賞を受賞している。いずれも広告業界では名誉ある賞である。ハデさはないものの、誰もが目にする都市の景観の一部を75年も担っていることに驚きを憶える。

 アンティーク絵葉書の世界では、電車や自動車などの乗り物が映った風景絵葉書と並んで、明治期の電柱広告(正露丸や福助足袋などがメイン)も人気である。絵葉書には基本的に発行年はほとんど記載されていない。何かの記念に発刊されたものは僅かで、大半の絵葉書は宛名面の形状や映っている風景の中の情報から年代を特定していくことになる。当時の世相を象徴する、それでいて年代の特定に至る重要素材として、看板はとても大切なのだ。

今日の写真は、呉服町交差点近くにあった中村家具店のビル(中央右寄り)。大正末。
中村家具店ビルは福岡で最初にエスカレータを設置(運搬用)したビル。中村家ご出身の老姉妹は2004年にアクロス福岡で開催した絵葉書企画展の際に会場へお越しいただいた。

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