1月3日夕刻のウォーキングで採取撮影した散歩コース上の路上遺産たち。ここにも様々な物語が眠っていたりします。
水準点や三角点、公共基準点は測量や地図製作には欠かせないもの、国土地理院いわく「明治から大正にかけて設置されたものが大半で、いわゆる近代化遺産=文化遺産」であるとのことですが、確かにそう言われればそうです。
新川運河のルートを辿ってみたこともあり、生活エリア内にある御笠川と那珂川をつなぐ放水路にも興味津々です。1953年、1963年、1999年、2003年と幾度も氾濫している御笠川の氾濫を一時的に防ぐ目的の放水路が通り、2003年の水害後に山王公園地下&野球場にも巨大な貯水施設が作られました。
この日新たに確認したのは昭和38年設置の電圧境界標、さてさてこれらが何処にあるのか分かる方はタモリ級の観察眼です(笑)
最後はウォーキングの目的地、改修工事が進む那珂川・番托井堰の西日本大水害(昭和28年)復旧記念碑。6月から7月にかけて福岡県に大きな被害を起こした大水害時、那珂川も氾濫。博多祇園山笠では各流の男衆が井堰の復旧工事を担い、短期間で仮工事が為されて二次被害を防ぎ、無事に7月の山笠奉納も行ったと記録にあります。この碑はそれを受けて行われた改修工事完成を記念したもの。