marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(504回目)日本国が植民地にならなかったのは太平洋を渡ったプロテスタント航海士があったから。この国の基督教の歴史はこれが原点。

2018-04-23 06:30:31 | 日記
 NHKの歴史秘話ヒストリア「イギリスの侍・三浦按針(ウイリアム・アダムス):黄金のジパングを守れ」を感銘をもって見た。僕が、ブログでも触れてきた疑問の回答の総集編と言える内容だった。この国で神の国(イエスの言葉)を伝えようとする人は、三浦按針、この人の世界の時代のありように原点を当てて、それ以降の歴史を考えないといけないと強く思わされた。キリスト教が真に善いものであるならば、なぜ、鎖国などしたのか、この国にキリスト教を布教するに この国は泥沼だ、というような言葉が残されたのか、日和見的にそれが、この国を長い間、キリスト教を受け入れなかった非難の、信者にとっては悲劇の殉教という歴史イメージをつくってきた。
◆僕らはいつも結果から、今の僕らの疑わない良心をもって判断する。日本史を習う、世界史を習う、それぞれ学校で習うが、この地上は繋がって、人は生きて行き来をしてきたのである。時代の人を動かす原動力となっている、目に見えないもの、動機、考えなどは、時代の世界を見渡す視点と、時代の人々のまさに宗教性をもって考察しなければ、本当の姿に近づくのは困難なことである。
◆僕が昨年にも時折り書いてきた遠藤周作の「沈黙」の映画を見ての時代的背景ことを書いたし、昨年はマルチン・ルターの宗教改革から500年の年であったが、あの時代、ルーター、カルヴァンらの宗教改革、そしてドイツ、スイス、当時世界に開かれた来ていたオランダを経て、イギリスでの清教徒革命、プリグリム・ファザーズと呼ばれて大西洋を渡り、アメリカかをつくっていくその歴史の過程。そして、時代を経てプロテスタントの宣教師と関連者は多く太平洋を渡って日本に来て、その日本に対し貢献したのだった。功績を称える元東京都知事の石原慎太郎の石碑が、東京青山霊園の外人墓地の入り口に建てられていることは以前書いた。侍時代から(ここにブログにも書いたてきたが)坂本龍馬や勝海舟らも諸外国から影響を受け、時代が下り、以降、武士から明治政府の要職をなしてきた要人は、イギリスや西欧に学びに行ったりしていた。井の中の蛙であった当時、世界の動きから国自体の行く末を真に考えて、司馬遼太郎の「坂の上の雲」とまでなっていく訳だ。
◆スペイン、ポルとガルの植民地化、これは貿易と布教(イエズス会)が一体となったものだった。最後は、この国を植民地化して属国にすべく下心を持って徳川家康に接見したのを見破って、今に全てこの国は植民地とされるとアドバイスしたのが、イギリス人、ウイリアム・アダムス(のちの三浦按針と日本名となった)であった。按針とはまさに方向性を示す羅針盤の針。16世紀当時、世界の植民地化に大海を制覇しようとしていたのは、カトリック布教と一体のスペイン、ポルトガルだった。時代は相対立するプロテスタントが太平洋をわったってきたのだ、時代の流れからいえば、まさに神の摂理(計画)であったのではないかと思わされてしまうな。フィリピンという国名がどうしてつけられたか調べられたし。
◆三浦按針のことはWikipediaでも読める。当時、如何に同じキリスト教でも宗教対立が激しかったか。スペインは按針を殺してしまえと家康にアドバイスしたくらいだったから。しかし、この国は闘いに煎じた武士の国だったから、メキシコ、アステカのようには行かなかった。按針は母国イギリスで身につけた当時、他国でスペイン・ポルトガルが行ってきた覇権暴挙の歴史を学んでいたのです。三浦按針は、当時の一人のキリスト教プロテスタントとして家康に対応したのだった。ここが僕が言いたいところ
 目に見える衣食住に係わる総て(総じて貿易)と目に見えない宗教、心の問題は国組織に於いて一体となっては、民衆に悲劇を生むというのは、現代の世界の動きでも分かることだ。三浦按針は、個人として持ったプロテスタントであった(当時はカトリックと対立していた上での太平洋への船出だったから。まさに個人としてもつプロテスタント・キリスト教の信仰をもっていた。学校ではここまでは当然踏み込まないが)。
◆宗教性を背後に、この世的(肉的)に自己肯定を推し進めるとろくなことはない(国が滅ぶ)とは、この国も体験したことではなかったか。西欧の基督教に対抗すべくは、この国においては皇室のみ・・・と 無理矢理 神道と結びつけたのは伊藤博文であった。それからがおかしくなる、だから、神の言葉が、地上の全ての人類への言葉であり、生きて働いているのであるから、この国は常に真の神の国を目指して独自の神学を模索して行かねばならないというのが今回のブログで言いたいことである。彼(三浦按針)はこの日本の国で眠っている。(僕の住むこの地に初めてプロテスタント・キリスト教を伝えた僕が通っている教会の宣教師も・・・) Ω