marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(583回) 猛暑のこのとき、涼やかな風の吹く木陰の下で

2019-08-10 06:21:31 | 日記

 雑感 若干、言葉使いが理科的で気にかかる方もあるだろうけれど、論理的というか、ゴテゴテと書き綴り表現主義などというか、詰まるところ適当なのだが、世の中には自己実現する世界が未知に広がっていると思われていたころ、自分の将来には何の障害もないと信じていたあのころ。

◇そのイメージと言えば、数年前では映画「スタンバイ・ミー」とか、作家庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」のイメージとか、中村紘子というピアニストが奥さんだった(「チャイコフスキーコンクール」という本は作家薫くんがゴーストライターではなかろうか・・・と)。「大人になるということは可能だと思っていたことが不可能だったと気づいていくことに他ならない」というような彼の言葉が記憶に残っている。学祭に招かれた時の講演題はその後、出版した「バクの飼い主めざして」だった。これからの世界は想像力を駆使して行かなければ、楽しい世界は訪れない、だから、夢を食べるという動物バクの飼い主になるのであると。

◇学生運動が下火にむかいつつあるころ学祭には、「されど我らが日々」を書いた柴田翔 という作家、この方は大学のドイツ語だかの若き先生だったと記憶しているが、自分のその作品が大学の試験に出て、その問題に、そもそも答えを出すような読み方が自分の作品には求めていないのだが・・・、といような反論をしていたのを思い出す。

◇夏が来ると思い出す。僕の中学時代、夏休みにN君の家に泊まる。ささやかな木漏れ日のあるビルの谷間、早朝、涼しい一番町を散歩する。まだ、人通りのない東北の地、杜の都仙台の一番町の通り。僕らは太陽の登る方角に向かい勾当台公園から藤崎デパートに向かい歩く。それはずうと昔、僕の中のスタンバイ・ミーである。

◇今では一番町のこの辺のどこかの喫茶店で作家伊坂幸太郎がパソコンを叩いているのだろう。佐伯一麦という作家も仙台のひとだったな。ひとつぶの麦だから、彼の著作からはなんとも推察出来ないが、名前をつけた誰かはきっとクリスチャンに違いないと思っているのだけれど。女優と結婚された作家伊集院静も奥さんの地元の仙台に住まわれていたな。篠ひろ子という方ではなかったか。僕は中学時代から車に興味があって武道館で車の展示会が開かれていたある日、その女性のサイン会をやっていたのを覚えている。きれいな人だなぁとは思っていたけどあれから知られる女優さんになろうとは思わなかった。音楽といえば、東北学院大学出のハウンドドック。ボーカルの彼は大学の礼拝堂で結婚式を挙げたのではなかったかな、確か。そういえば、後で思えばなのだけれど青葉城恋歌のさとう宗行という歌手も一番町のレコード店の前でサイン会を行っていたのを覚えているけれどまだ知名度がなかったのか、人は殆ど気を止めず通り過ぎていくのだった。・・・それからまもなくNHKの紅白に出ようとは。今は100万都市になってとても広くなった。地下鉄も出来たし、大きなビルも立ち並んだし。・・・なんかみんなせかせかして来たようでゆっくり時間が流れていたころが懐かしい。

◆高校時代は、実に暗かった。確かに「大人になるということは可能だと思っていたことが不可能だったと気づいていくことに他ならない」。しかし、僕には、もっと自分の存在に漠然とした不安を感じ初めていたのです。・・・その後、僕は親父の仕事の都合で青森の高校に転校した。