世界のベストセラーを読む(534回目) (その2)「あの世のこと」を考えていた
日本おけるいわゆるお盆に最も近い日曜日をキリスト教会では、「永眠者の記念礼拝」なるものをおこなっています。◆「永眠者」とは、文字のごとくイエスを信じてこの地上を生き、天に帰っ......
◆2019年15日夜NHK:敗戦が決まった15日においても沖縄での戦争は行われていた。軍の命令として、皇土防衛として沖縄で最後まで戦うようにとの本土からの指揮命令を受け取ったのが、牛島満という司令官だった。司令官の孫、牛島貞満さん高校教師は、おじいちゃんである当時陸軍中将57歳のその司令官が、個人においては島民から人望が厚く慕われていても、本土防衛に全力をするようにとの作戦遂行指令が本土から来て指令発令をし、兵士どころかゲリラ戦としてみなされた島民に実に多くの痛ましい犠牲を起こしてしまったことについて、毎年生徒らと「その当時の何故」を共に考える授業を行っているとの短いドキュメント番組であった。「組織とは何か、責任とは何か」戦争という極端な事例から、いつも僕は毎年の夏に現代の会社人のありかたをもいつも思わされるのだ。
◆大本営にたつ人々は今から思えば、馬鹿だったのだろうといえば簡単なのだが、その基準自体が時代により分からなくなる。死なずに花見が咲くものかというような人命軽視というか、残った人々はどうなるのか、という今生の実際のこともビジョンなどというものもなく、論理も思想も何もあったものではない。犠牲になるのはやはり実働部隊。戦争に負けたを理解し、そこでやめれば良いものをメンツ大優先で命を犠牲にしてしまった理屈とは?世界が見れてなかったといえばそれまでである。新天皇が上皇(前天皇)のお言葉を踏襲され「戦争犠牲者、反省という歴史の上に立って」と宣べられたことは、とても大切なことで「命」という(これまた僕の意見を差し挟めば、神が自分の似姿に人を創造されたという、そして非常に喜び嘉とされたというその人の命の普遍性、そこには、国や年齢や男女の差はない)ことの大切さを話されていく限り、その存在はあり続けるだろうと思うし、平和憲法の意味が生きてこようというものだ。
◆ところで沖縄でこういう事態だあったとえうれば北方領土はどうなのか。日本が15日以降も沖縄で島民を犠牲にしながらも戦争続行を命令していたとすれば、当然、ロシアも15日以降も戦時下と見なし北方領土に進撃してきて、先のブログに書いた樺太からの引き揚げ船にロシアが三船殉難事件を起こしたのも、樺太が日本に帰ってこないのも文句は言えないということにはならないか? いずれグローバルな視点と地上にうごめく人類の「命」を維持する、それは何も戦争廃絶を声だかにいうことばかりではなくすべての日常において、神が自分の似姿に人を創造されたというその命の為に、僕らは考え貢献しなくてはならないだろう。地上のすべての生業や学問はその為にあるのだと僕は思う。 ・・・ Ω