◆表題は「吉本~を読む」はいいけれどさっぱりその内容に入らない。が、柳田国男の「遠野物語」の話から示唆を多々受けた。古代天尊族から北進を受けて攻められ、北に逃げたのはいいが本州は、青森の津軽海峡で海になる。北に逃げようにも前がない。だから青森では「もう駄目だ~!」という方言が「まえね!(前が無い)」というのだそうだ。青森のどなたかに尋ねられるといいかも。
◆作家 高橋克彦もしきりに東北の地に光を当てようと多くの小説を世に出されて嬉しいのだが、北進に押し切られた東北の地はまだ、正当権を受けていないようにも思われる。僕も田舎や周辺の山々にも、無論都会にもあるが、何故「八幡」という地名が多いのか、八幡神社が多くあるのかこんな田舎にも、と昔から不思議だったがこれは渡来人秦氏が導入したものである。秦氏については、これもyoutubeでも多く見られるから嬉しいのだが、彼らがさまざまな技術を持っていたがどうも渡来人では後発であってからこそというか、大陸で盛んだったネストリウス派のキリスト者だったらしい(根は旧約聖書の民、だから受け入れた)。しかしキリスト以前の離散旧約の民、そして周辺の部族の多くは先に日本に渡って来たいた。それが、物部(もののべ)であろうと思われる。シンボルは龍である。だから、神社には龍が彫られている訳だ。
◆秦氏(はたし)と中国統一を果たした「秦(しん)→ここからシンが英語のチャイナになった」は漢字が同じなのでとても不思議に思っていた。秦の時代、焚書坑儒などで儒教の本を焼いたりどうも旧約聖書の時代の厳しい戒めを実行していって国家統一を行ったのではないだろうか。始皇帝も背が高く目の色もアジア人とは異なって・・・と、歴史書に出てくる政治を画策した大商人だった呂不葦(ロフイ)は、ユダヤ人のレビ(旧約聖書時代の祭司)だったろうとの説は先の田中英道先生である。旧約時代、東に離散した(無論、西にも)イスラエルの10部族の末裔がそれぞれの時代に国造りに関わったようなのである。そして大陸で実験を繰り返し、日本に来たというわけである。理想の国家造りを目指して。彼らは決して政治の表には出てこない(昔は名字も変えたらしいから)が、その秦氏は大きくこの日本の国家の形成に影響を与えたということなのである。・・・続く