marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

(その12)序章:勝手に解釈、ハイデガーが『存在と時間』を著わしたその基盤にあったキリスト教神学について

2024-12-26 11:46:33 | 思想・哲学

 『前置き』・・・22日クリスマスと24日イブ礼拝にて お休みを頂きました。

この国の総理がキリスト者であって、日本キリスト教団富士見町教会で22日(日)のクリスマスの礼拝に参加されたことが、新聞の首相動向の記事に掲載されていた。虎の威を借りるというわけではないけれど、2022年10月22日に天に帰られた以前、東京神学大学の学長で神学者であられた大木英夫先生と教会に訪れたことがあった。主任牧師の藤森先生とも話したことがあったし、この教会ではプロテスタント神学研究会だったか、定期に教会が一般の方々にも解放されて勉強会が行われていた。

富士見町の駅にも近いし、会社帰りの方が結構聴講されていて、恵まれているなぁ、と内心ぞくそくしたもんだった。「古きは過ぎ去り、すべては新しくなった。」のパウロの手紙の一説にあるように、この大都会の人通りのある街角で一般の方々に語られているのに明るい未来を感じたものだった。

アメリカのトランプ氏も娘婿クシュナー氏がユダヤ教であったから、彼はイスラエルにはかなり加担していたけれど、今回大統領に再選されクリスマス賛辞を口にしていたというので、民主党の人々も取り込み、従来のアメリカ合衆国の統一を諮ろうとしているものとも思えるけれど、2025年は世界的にこの国も与党少数等になり、より話会いがなされるようになるだろうが、どうなるかなぁ。

キリスト者と言って、みんな同じような考えになるかといえば、決してそうではない。それぞれが違ってそれでいい。多様である。この度の首相へも昔、○○大臣だった時、当時のキリスト教団議長から抗議文を出されたことがあった。信ずる事は同じでもそれは実に手に届かぬ高い次元の話。地上のことに人は労するが、全ては神の摂理のもとに運営されていくのであろう。

だからこそ、地上の人の考えは多様であっても、それ故にキリストは来たと言えることになるのだろう。・・・とハイデガーの話に何の関係があるかといえば、実に宗教的観点から見ればこれは大いに関係あり、彼は『人間』を『現存在』と表現するのであった。・・・つづく