小型の(新約聖書)ギデオン。時折, 間違えて古本屋に売り飛ばされたりしていたけど・・・。ギデオンとは旧約聖書に出てくる勇者の名前。布教のためにギデオン協会が新約聖書をホテルなどに無料で置いている。・・・聖書を古本に売るなどということを決してしてはいけない。
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我々に関係ありながらもそれを理解する対象があまりに異なるのか、我々の理想とする神と異なるのか、ただ単に理解不足なのか。しかし、それを理解し了解する人はわずかであろうと宣うのは、黙示録にも書かれていることであるし、そう簡単に会得できるものはなかろうということだ。
しかし、使徒らの宣教に、救い主のことを、自分らの聖書のそれが正しいのかどうかと調べていたとある(使徒言行録17章11節)。第一に先祖伝来から体験し、言い伝えられてきた人々に、神が選ばれた選民族と言われるが、先理解がすでにあるはずであるから優先的に理解して貰わねばならないし、当然理解されるべきこととして使徒らは考えていたのであった。
ここでいう調べていた聖書とは、今の旧約聖書のことである。だから、時代がくだって分かりやすくといっても、ストーリーを追うのも歓迎するけど、信仰を深めるには意味の間違えた聖書訳は許されない。
エ○バの何とかやら、統○原理など、その他にもろもろ解説所にしても、介在物の方を聖書より自分らの勝手に訳したものを丁重に用いるなどは、絶対に間違いである。
多くのカルト宗教は、聖書と読む人の間に介在物を必ず先に挟み込んでくる。本来、こう理解するものです、とか、訳そのもを変えてりして。知識があれば何でもいいというわけでは決してない。かえって悪いことが多いかもしれない。求めるべきは、最終自分の言葉で神の言葉を読むこと。
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まずは、事実、その書かれ、信じられて来たその予言内容がどうであったかを研究し、長年に渡ってそのに奮闘してきた訳なのであった。分かりやすく、原書にできうる限り忠実にと学者たちは孤軍奮闘してきた。
聖書を学ぶにもまず、本題そのものが正しいか否かを自分の言葉で、理解するように努めないといけないと思う。旧約聖書の内容が紀元前からの話だから当時でなければ分からんこともある。しかし、選民族達らの歴史なので、異邦人の僕らは、内容はおいおい深めるとしても、行き着くところは、救いは新約のイエス・キリストにあることを目指すのである。今も生きている彼を・・・旧約もそこに集約されているのだから。
イエスご自身、「律法と預言者は私のことについて書いているのだ」と述べられているのだから。律法(旧約冒頭の五書)、預言者とは(以降の神の伝えを民に告げた諸々の書)預言書のことであるけれど、新約だけでいいということには決してならない。
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紀元前に書かれた巻物の聖書の創世記に、蛇が人を騙した解きに、すでにその解消のこと(救い主の出現のこと)を神は創世記に予見して記している。とにかく、数千年の流れのことが、多くの記者によって書き継がれてきたこと自体驚きと言うほかない。
PCなど無論ない時代ですからね。しかし、現代になってPCのプログラムなどでも数列として書かれたヘブル語が浮き上がって文字が現れ、それが歴史の事実を著している言葉が現れるなどというのは、どうなっているだろう。
昔は巻物だったんだから、何百年も前に書かれた話がその後の経緯として書かれているなどということは、少なくとも70人以上は居たとされる記者、その集団は勝手な創作ではなく、神の啓示によって書いたとしか思われないのだね。
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そこで僕ら異邦人として旧約からのイエスに収れんされる救いの物語(選民族を神は天地創造以来どのように導いてきたかを述べている)を知識としてのみ頭にいれるとすれば、そのあらすじを、ステパノがまとめて説教したのが先の使徒言行録の7章なのである。しかし、旧約の民は、この神の導きの話を信ぜずステパノを殺してしまう。
この騒動で、その地のキリスト者は、迫害をおそれ離散してしまう。そこに又、イエスの話が異邦人に伝えられていくきっかけにもなって行くのだった。試練をとおしてイエスの救いの物語は世界に広まっていくのだったということになる。・・・まさに神の摂理(ご計画)・・・