◆異国の地で宰相にも上り詰めたヨセフ。多くのエジプトの宗教儀式にも従い、取り仕切ったことでしょう。しかし、この地上で彼はどこに帰ろうとしていたのか。先祖に誓われた神、歴史を支配される神の住まわれるところ、神のおられる永遠の故郷を決して忘れずそこを目指していたのです。教会では永眠者記念礼拝を先々週行いました。わたしたちはどうでしょうか。彼らは地上においては旅人であった。すべての異邦の地にあって、今日の私たちも又、そうではないでしょうか。「われらの国籍は天にあります」とへブル人への手紙にあります。神の示された地が、ここですべての人々にとって天のエルサレムへ帰っていくこと、希望の地へ天の故郷へ帰っていくことが、ひな型として描かれているのです。
◆ヨセフの最後の言葉に「神は必ずあなたたちを顧みてくださいます。」という言葉があります。これは、イエス様が今日礼拝を献げている私たちにも語りかけている言葉です。しかし、間もなく死を迎えるヨセフを除き、一介の遊牧民であった誰がその希望を叶えるだろう。その時の常識から言えばまったく叶える術はなかったわけです。それから何世代の年月が経過したことでしょう。・・・エジプトの地でヨセフの功績も忘れた王が出てきて苦しむようになった。これは、神がアブラムに異国の地で400年間苦しめられるという神からの言葉の通りとなりました。(創世記15:13) そういう中であの事件が起こります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます