後期高齢者に近づきつつも、まだ沢山の知りたいことがあって、並行していろいろ本を読んでいる。まぁ、いままで積ん読であった本も、引っ張り出して、無論、内容には古びた物もあるけれど、僕の場合はニャンコの生態などというようなことを思う奴なので、人という生き物に関することについては、生理医学的にかなり進歩したが、実体はかなり愚かであるようで、ニャンコを見ていると気が休まるのだ。
毎朝、ニャンコもいろいろいろ来るようになった。今も遅れてトラが来て、みんなリコや茶白猫(臆病なこの猫には名前を付けていなかった)が、とうに食べ終わって去った後に朝のご飯をねだりに来た。
当たり前と言えばそうなのだろうが、猫も同じように環境や今までのニャンコ人生によって、その個体への個性というものを形成している。ドラマもある。人から猫を見るか、猫から人を見るか?
身近にいるニャンコらは、夏目漱石の『我が輩は猫である』というような物語を創作されてくるのは実現するかどうかは別にして、自然にそのようなことを思わずにはいられなくなってくるようだ。
養老孟司先生の家の猫も生前、テレビ放映があったけれど猫は気ままで我が道を行くで、ともに過ごしているとかなりの癒やしになるようだ。
僕の家の場合は、猫の額のような狭い縁側しかないので、そこだけでしか生活の場にして貰っている。だから、暑い日に地面の石でお腹を冷やして涼んでもらうか、食事の場所、そして通り道にしかならない。
僕の生き物への係わりとしての一日の始まりはニャンコの朝飯から始まる。他で餌にありつけないのかみんな夏痩せしたように見えるなぁ。
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