◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 今日もイエスの語られたというひどい話について。ルターさんの言われたとおり福音書はまずヨハネ伝ということで読み続けております。一通りのキリスト教会で言われています肯定的な内容について、イエスが話された箇所から、父なる神と御子イエスとの関係、そして聖霊について調べました。今日は昨日の続きで「ひどい話だ」と言われた続きです。その箇所は第6章54-55節が究極的な該当の言葉とお見受けしました。しかし、これは現在もキリスト教会で行われています「聖餐(せいさん)」についての実に重要と思われます箇所なのです。僕が思うに重要な箇所であれば、話の内容から第6章の29節と30節の間から切り離してもいいように思われたのだが、この第6章は良く読むと食べ物のことについて総括された話となっているのですね。「私は命のパンである」(48節)と書かれているとおりに、その総括的な意味あいが全体にわたって書かれている。それにしてもストレートに肉を食べ、血を飲むなどと言われたらびっくり仰天だろうな。実際、僕の土地でも宣教師が来たとき、聖餐は秘儀だったから公に行われないので、人をたべたりその血を飲んだりしている大変な邪教と言われたこともあったような。その家の前を通るときは口をふさいでそそくさと早足で通り過ぎたり、石まで投げられたりといろいろあったようだ。◆今日、お話ししたいことは、人が言われたことを理解するという思考は、聴く者に先理解のインプットがあるのが普通で、そのことが後で体験したり聞いたりして、その意味が分かるということでした。31節に「わたしたちの先祖は荒野でパンを食べました。それは『天よりのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。(31節)という群衆の言葉から、このひどい話が引き出されていくということなのです。ですから、創世記からのかれらの当時の聖書の意味を深く理解していた者たちのみが、イエスは天からの命のパンであるということを理解したということになるのです。永遠の命、人を創造されて命を吹き込み、イスラエル人を導いてきたという深い水脈の流れがあって、その流れの中で真の命(イエス)が現れ出、それを食べると死なないという理屈になっているわけであります。ヨハネ伝には、父なる神の導いた旧約の話が(当時ではそのまま聖書)引用され、アブラハム、モーセ、預言者イザヤまた、群衆が話された31節の引用も、先祖が読んできた聖書からひっぱてきたものだ。我等、異邦人は、その神の民の伝統いわれは持っていない。しかし、その歴史を少しかいま見ていかないと、先に進んでいけないところまでそろそろ来たようだ。どうぞ、ヨハネ伝、線を引くなりして自分の言葉でいろいろ整理されて見て下さい。次回は、その導きとなる索引付き聖書についてのお話です・・・Ω
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