教員時代、広島は生徒との関わり=実践が先進県で知られており、一度は視察に赴いたこともある。
先日、とんでもない進路指導で生徒が私立受験ができず、そのショックで自殺してしまうという事件が
報道された。
中一の時に「万引き」をやったとする資料、これがとんでもない間違いでパソコンへの記載ミスでこの子
はやっていなかったのに「触法行為」を行ったというミスで本人の「夢」が消し去られたのだ。
この校長の言葉がどうも奇麗事で、この中学では本当に生徒のことを考える教育がなされていなかった
ことを如実に物語っている。
ニュースでも新聞でも書いていないことだが、私はこう思う。
進路指導や、生徒指導はあくまで生徒が将来幸せになるように教育は生徒に手を差し伸べること。
中一でやったもし仮に「過去」が事実であったとしても、その後の生徒への指導が懇切丁寧なものであった
ならば、生徒はしっかり反省し、更生しているはず。一度の失敗で生徒=子供の将来の選択の幅が狭めら
れるというのは納得がいかない。
事務的ミス以前の教育そのものの原則ファンダメンタルが狂っているのではないかと思うのだ。
なんだか世間の冷たさと狂いを感じて行き場の無い怒りに苦しんでいる。
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