おはようございます^^
ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 よどみに浮かぶ泡沫(うたかた)は、かつ消え、かつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)とまたかくのごとし ‥‥
今朝は古典文学の中の日本三大随筆のひとつ 方丈記の書き始めを紹介しました。作者は 歌人でもあった 鴨長明。この人が逝去されたのが今から約800年前の鎌倉時代の1216年6月8日。
この人は下鴨神社の神主の家系に生まれて禰宜(ねぎ)神官の頂点を目指していました。歌人としての才能もあり新古今和歌集の選者のも
選ばれたり 鎌倉の三代将軍 源実朝の和歌の指南役にもなりましたが五十路(いそじ、五十歳)を過ぎて 念願の下鴨神社の正禰宜になれないとわかり
不貞腐れて家に籠り 和歌所への出仕もやめ世捨て人のような心境になり大原の里に出家遁世(しゅっけとんせい)いわゆる隠居してしまいました。
人間五十年と言われていた時代に彼はギリギリまで現世に執着しぬいて それから夢かなわぬと世を捨てたのです。捨てたというよりは世から
はじき出された格好で面々たる未練とうらみをもって出家しました。 そして一丈四方の方丈(住居)に住まいした時の記録が方丈記だそうです。
ちなみに 一丈とは 約3m、一丈四方は 約9平米ですかね。
正禰宜という最高の神官職の争いに敗れたとは故それ以外の官職があってそれなりの生活が送れたはずなのに
どうして このような侘(わび)びしい寓居の暮らしに身を堕としたのでしょうか‥
煩悩だけでも百八つも持っている凡人の私は理解に苦しみますね。