ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

竜ヶ池

2024-11-29 08:00:00 | 山梨県
2016年 2月27日 竜ヶ池
2024年11月25日
 
竜ヶ池は山梨県甲府市古府中町の富士川水系相川左支流にあるかんがい目的のアースフィルダムです。
甲府市中心街北側は要害山から南下する相川によって形成された扇状地となっており明治期以降新田開発が進みますが、扇状地という地質的特性に加え水源となる相川は渇水が多く安定した水源確保のため溜池築造機運が高まります。
大正期に入り受益農家による相川村耕地整理組合が組織され、1915年(大正4年)に同組合の事業つまり受益農家の持ち出しによりに築造されたのが竜ヶ池です。
竜ヶ池建設に合わせて耕地整理も進められ現地記念碑によれば溜池完成当時は相川扇状地一帯130町歩(約129ヘクタール)の水田が開墾整備されました。
管理は耕地整理組合を引き継いだ相川土地改良区が行っていますが、甲府駅至近という地の利もあり戦後宅地開発が進み直近では土地改良区組合員は僅か20名余り、受益農地は2ヘクタールに減少しました。
こうした状況を受け管理費用捻出のため、非かんがい期に管理釣り場である『フィッシングパーク竜華池』が開設され今では県内でも人気の釣りスポットとなっています。
一方当池周辺は戦国期に武田氏の居城である躑躅ヶ崎館が置かれ現在跡地は武田神社になっています。
2017年(平成29年)にかけての老朽化改修工事に合わせて旧武田館など周辺の環境整備も進められ、竜ヶ池は釣りのほかバードウォッチング、歴史散策などが楽しめるレクリエーションエリアの一端を担っています。

竜ヶ池一番の特徴は逆コの字型の堤体で堤頂長は350メートル(ため池DB)に及びます。
また堤体表面は大正期の掘削時に掘り出された石が葺かれ、ぱっと見は巨大な石垣やロックフィルダムと見紛うような外見となっています。
堤高についてはダム便覧では17メートルとなっている一方、ため池データベースでは12メートルに留まり河川法のダムの要件未達となっています。
また竣工年度についても現地記念碑には1915年(大正4年)と記されていますが、ダム便覧は1956年(昭和31年)になっています。
後者は戦後の取水設備等の刷新事業の竣工年度と思われ、竜ヶ池の竣工年度は1915年とするのが妥当と思われます。
竜ヶ池には改修工事中の2016年(平成28年)2月に初訪、2024年(令和6年)11月に再訪しました。
掲載写真は最後の2枚を除きすべて再訪時のものとなります。

甲府市中心街から武田神社の標識に従い北上、境内直前を右に折れると竜ヶ池南端に到着します。
見えているのは竜ヶ池の堤体の南端部部、全体の一部に過ぎません。
池の手前は土地改良区の建屋でその左奥には3基の記念碑、右奥には底樋門があります。


ダム下の底樋と分水工
向かって左が底樋門、右手の小さなゲートがかんがい用水路ゲート、正面の大きなゲートは本来の河川流路となります。
訪問した11月はすでにかんがい期が終わっているため、かんがい用水路ゲートは閉まったままです。

 
池の南西端のカド。
手前には1934年(昭和9年)に建立された20周年記念碑が立ちます。
このほか改修工事竣工記念碑、大正期の竣工記念碑合わせて3基の記念碑が並びます。

 
池の西側堤体
この写真だけ見れば竜ヶ池がアースダムとはわからないでしょう。
ぱっと見ロックフィルダムの様相です。

 
こちらは上記分水工の東側にある洪水吐斜水路。
池の東側の地山を流下します。


底樋奥の階段を登ります。
堤体南側は犬走を挟んで2段構成。


管理橋の下を洪水吐が潜ります。

 
堤頂南端部は武田氏館跡や甲府市街を見下ろす展望台。


展望台からの眺め
甲府盆地が一望できます。
右手の森は武田神社でその左手は旧武田氏館の遺構。
眼下の市街の多くはかつては竜ヶ池の受益農地が広がっていましたが、市街化が進み現在の受益農地は僅か2ヘクタールに留まります。


展望台から西を向けば武田神社の社叢越しに南アルプス白峰三山、鳳凰三山、甲斐駒まで遠望できます。

 
堤体南側の斜樋、シャフトは3本
隣には巡視艇。


貯水池
総貯水容量はダム便覧で26万4000立米、ため池データベースで22万2000立米。
非かんがい期はニジマスが放流され管理釣り場となります。
受益農地は僅か2ヘクタールのため現実には武田神社や武田氏館跡など歴史遺構に隣接した修景池という色彩が濃いのかも?

 
洪水吐と斜樋

 
天端は遊歩道の一端を担います。

 
平日午前ですが20人近くの釣り人が糸を垂れています。

 
池の北西端から
改修により上流面はコンクリート枠工+間中石工で護岸。

 
ここからの2枚は2016年(平成28年)の初訪時のもの
改修工事終盤で上流部の護岸や斜樋、洪水吐の工事は終わり底樋の最終工程に取り掛かっていました。


洪水吐を真上から、手前に越流堤があります。


私事ですが、10月初めに足を骨折しほぼ2か月のブランク。
7月以来4か月ぶりのダムの見学です。
復帰一番目が溜池というのがいかにも私らしい。
でも全国でも珍しい下流面い石が葺かれた異形の溜池。溜池愛好家なら必見の池です。
 
0956 竜ヶ池(0241)
ため池データベース
山梨県甲府市古府中町
富士川水系相川左支流
17メートル(ため池DB 12メートル
382メートル(ため池DB 350メートル)
264千㎥(ため池DB 222千㎥)/264千㎥
相川土地改良区
1915年(現地記念碑)
1956年(ダム便覧)

旭ダム

2024-09-27 20:00:00 | 福島県
2016年4月24日 旭ダム
2017年6月25日
2024年7月29日
 
旭ダムは福島県南会津郡下郷町豊成の一級河川阿賀野川(福島県内では阿賀川)本流にある(株)レゾナック(旧昭和電工)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
同社の前身である日本電気工業が喜多方でアルミニウム精錬工場を操業するにあたり、精錬に必要な電力を供給するために1935年(昭和10年)に建設されました。
ここで取水された水は湯野上発電所に送られ最大7200キロワットのダム水路式発電を行います。
軍事物資であったアルミニウム精錬工場向け電源であったためか?配電統制令による接収を免れ、戦中戦後も昭和電工が管理運営して現在に至っています。
旭ダムには2016年(平成28年)4月、2017年(平成29年)6月、2024年(令和6年)7月の3度訪問しました。
掲載写真には撮影日時を記載しています。
 
ダムは下郷町中心部にあり、ダムの下流に架かる国道289号線旭橋からダムを見ることができます。
ただゲートは7門ですが下流が狭く橋からは3門なし4門しか見ることができません。
(2024年7月29日)

 
ズームアップ
1門から河川維持放流中。
向かって左(右岸側)の階段状の遺構は魚道跡です。
(2017年6月25日)

 
魚道跡をズームアップ。
(2016年4月24日)

 
管理事務所のある右岸ダムサイトに移動
ここからは全門見渡せます。
(2024年7月29日)

 
1935年(昭和10年)当時のラジアルゲートがそのまま残り、現役最古のラジアルゲートとされています。
鉄骨トラス製の3本アームが特徴的。
(2024年7月29日)

 
ズームアップ。
(2017年6月25日)

 
こちらは上流から見た魚道跡。
(2016年4月24日)

 
天端
除塵機用と思しきレールが見えます。
豪雪地帯ですが、巻上げ機は被覆されていません。
(2024年7月29日)

 
一番手前側はかつて魚道が設けられていたと思われ、作りが異なります。
(2017年6月25日)


上流からゲートをズームアップ。
(2017年6月25日)

 
かつての管理棟
現在は新しい鉄筋コンクリート建屋に刷新されました。
(2016年4月24日)

 
さらに引いた場所から見た上流面。
(2024年7月29日)

 
水利使用標識。
かつての昭和電工は日立化成を統合しレゾナックに社名を変更。
バリバリの化学・軽金属メーカーから半導体関連企業に業態が変貌しています。
(2024年7月29日)

 
全国的には数少ない一般事業会社が所有する発電ダムの一つ。
小ぶりなダムですが、現役最古のラジアルゲートという大きな勲章を持っています。
 
0469 旭ダム(0329)
福島県南会津郡下郷町豊成
阿賀野川水系阿賀川
16.1メートル
84メートル
1437千㎥/455千㎥
(株)レゾナック
1935年
◎治水協定が締結されたダム

羽鳥ダム

2024-09-26 21:00:00 | 福島県
2016年4月24日 羽鳥ダム
2024年7月29日
 
羽鳥ダムは福島県岩瀬郡天栄村羽鳥の一級河川阿賀野川水系鶴沼川にある農林水産省東北農政局が直轄管理する灌漑目的のアースフィルダムです。
矢吹原地区は福島県中通り南部の阿武隈川とその左支流釈迦堂川(上流では隈戸川)に挟まれた丘陵台地ですが、地味薄く水利に乏しいうえに那須おろしの冷風害が大きく明治以前は原野のまま放置されていました。
明治期以降開拓の手が入りますが、冬場の降雪量が少ないうえに水源となる各河川は流域面積が小さく大規模な開拓のための絶対的用水量が不足していました。
そこで利水に余裕のある奥羽山脈西側の猪苗代湖からの引水(湖水東流)や同じく福島から日本海に流れる阿賀野川水系からの引水(西水東流)が検討され、1941年(昭和16年)に念願の『国営白河矢吹開拓建事業』が着手されました。
同事業は阿賀野川右支流の鶴沼川から流域が分水により矢吹原や白河に導水するというもので、その灌漑用水源として1956年(昭和31年)に鶴沼川最上流部に建設されたんが羽鳥ダムです。
開拓建設事業全体も1964年(昭和39年)に完了し、約3300ヘクタールの農地が開発されるとともにかんがい排水設備が整備され、受益地の中心である矢吹町は『日本三大開拓地』に一つに数えられるに至りました。
さらに1992年(平成5年)から2010年(平成22年)にかけて『国営農業水利事業隈戸川地区』が実施され、営農形態の変化に対応したより実効的なかんがい排水設備が整備されました。

農林水産省の直轄もしくは補助事業で建設されたダムは完成後は関係自治体や土地改良区が管理を受託するのが一般的です。しかし、羽鳥ダムにおいては阿賀野川水系から阿武隈川水系への流域変更に伴い新潟県と福島県に跨る調整が必要なことから全国で6基しかない農林水産省が直轄管理するダムとなっています。
一方、ダム湖の羽鳥湖は総貯水容量2732万1000立米とアースフィルダムとしては全国第3位の規模を誇り、湖岸にはキャンプ場や道の駅など各種レクリエーション設備が整備され『ダム湖百選』に選ばれています。

矢吹原の疎水計画(出典 水土の礎より)



羽鳥ダムには2016年(平成28年)4月、2024年(令和6年)7月の2度訪問しており、掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

ダム右岸を国道118号が走っておりアプローチは簡単ですが、下流からダム全景と正対できるようなポイントはありません。
右岸の国道から
農水省直轄ダムということで整備は行き届き下流面は常にきれいに刈り払われています。
(2024年7月29日)

 
天端は県道37号白川羽鳥線が通ります。
親柱には『羽鳥土堰堤』のプレート。
(2024年7月29日)

 
その親柱をズームアップ
1956年(昭和31年)竣工ですが、親柱は戦前ダムっぽいフォルム。
(2024年7月29日)

 
天端から下流面を見ろします
ダム下は立入り禁止
堤体には多数の漏水計。
(2024年7月29日)

 
左手は洪水吐からの流路、右手に放流設備があり河川維持放流が行われています。
鶴沼川はこのまま流下して阿賀川(阿賀野川)に合流し日本海に注ぎます。
(2016年4月24日)

 
ダム湖の羽鳥湖は総貯水容量2732万1000立米
向かって右手のダム左岸沿いにオートキャンプ場や道の駅などが整備されダム湖百選に選ばれています。
(2024年7月29日)

 
取水設備を遠望
傾斜式の多段式ローラーゲートで、表層取水を行います。
ダム湖も含め鶴沼川は日本海に注ぐ阿賀野川水系で、ここで取水された水は中央分水嶺を越え阿武隈川水系となる矢吹原や白河に流域外分水を行います。
(2024年7月29日)

 
堤体上流面はコンクリートで護岸。
(2024年7月29日)

 
上流面に艇庫とインクラインがあります。
(2024年7月29日)

 
羽鳥ダムの売りの一つが左岸のラビリンス風洪水吐。
(2016年4月24日)

 
放流量確保のため、地山に沿ってジグザグに成型されています。
(2024年7月29日)

 
左岸からの下流面
(2024年7月29日)

 
左岸洪水吐に架かる県道37号のアーチ橋。
(2016年4月24日)


橋から見た洪水吐導流部と減勢工。
このまま鶴沼川として流下します。
(2024年7月29日)

 
同じ場所から上流を振り返ると。
(2016年4月24日)

 
洪水吐脇の立派な記念碑。
(2024年7月29日)

 
ダム湖百選のプレート。
(2024年7月29日)

 
あまり見かけない黒い水利使用標識。
(2024年7月29日)

 
概要説明板。
(2024年7月29日)

 
受益地である矢吹原地区の中核をなすのが矢吹町。
実は私が住む東京都三鷹市とは姉妹都市提携を結んでおり、その点でも羽鳥ダムは馴染み深いダムの一つとなっています。
機会があればダムのみならず国営事業で整備された幹線水路や頭首工、揚水機場など水の流れを辿ってみたいと思います。

(追記)
羽鳥ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、台風の襲来が予想される場合には事前放流を行う治水協定が締結されました。
 
0490 羽鳥ダム(0326)
福島県岩瀬郡天栄村羽鳥
阿賀野川水系鶴沼川
37.1メートル
169.5メートル
27321千㎥/25951千㎥
農水省東北農政局
1956年
◎治水協定が締結されたダム

鳴子ダム

2024-09-26 08:00:00 | 宮城県
2016年4月 2日 鳴子ダム
     5月 4日
2024年4月25日
     7月28日
 
鳴子ダムは宮城県大崎市鳴子温泉の北上川水系江合川にある国土交通省東北地方整備局が管理する多目的のアーチ式コンクリートダムです。
東北地方では1947年(昭和22年)のカスリーン台風をはじめ毎年のように甚大な水害が発生する一方、戦後の食糧難や復興の遅れなど諸課題が山積していました。
これを受け、1950年(昭和25年)に成立した『国土総合開発法』に依り北上川流域での治水・灌漑・発電を目的とした北上特定地域総合開発計画(KVAが着手します。
これに併せて北上川の主要支流である江合川でも建設省(現国土交通省)直轄事業による多目的ダム建設が着手され1958年(昭和33年)に竣工したのが鳴子ダムです。
鳴子ダムは特定多目的ダム法に基づいて建設され、江合川の洪水調節(最大700立米/秒の洪水カット)、江合川流域9000ヘクタールへの新規灌漑用水の供給、東北電力鳴子発電所での最大1万8700キロワットのダム水路式発電を目的としています。
鳴子ダムは国内3例目のアーチ式コンクリートダムとして建設されましたが、それまで2例はいずれも米国をはじめとした海外からの援助や技術指導の下で建設されました。
鳴子ダムは日本人技術者のみで建設した初のアーチダムとして高く評価され日本ダム協会により日本100ダムに選ばれているほか、2016年(平成28年)には土木学会選奨土木遺産に選定されました。
 
鳴子ダムには2016年4月2日に初訪しましたが、この時は天端が開放されておらず同年5月4日の『すだれ放流』イベントに合わせて再訪しました。
さらに、2024年(令和6年)の『すだれ放流』の際に8年ぶりに訪問しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
またすだれ放流の詳細については『鳴子ダムすだれ放流』の項をご覧ください。

国道108号線沿いのダムの下流350メートルほどに駐車場があります。
駐車場から左岸の管理道路を進むと正面に鳴子ダムが姿を現します。
(2024年4月25日)


2016年(平成28年)に土木学会選奨土木遺産に選定されました。
こちらはそのプレート。
(2024年4月25日)

 
ダムサイトには交換されたハウエルバンガーバルブが展示されています。
(2016年5月4日)

 
さらに進むと、鳴子ダムの全容が姿を見せます。
2024年(令和6年)のすだれ放流はゴールデンウィーク前の平日三日間の開催です。初日、二日目はあいにくのお天気でしたが、訪問した三日目は絶好のお天気。
ダム下には虹がかかっています。
(2024年4月25日)

 
クレストには非常用洪水吐となる自由越流頂が8門
最大放流能力は998立米/秒
(2024年4月25日)
 
 
未明にまとまった雨が降り水位が上昇したため、クレストからのすだれ放流のほか低水放流設備であるコンジットバルブからも放流しています。
コンジットバルブはハウエルバンガーバルブで最大放流量は18.4立米/秒。
(2024年4月25日)

 
アングルを変えて
減勢工には円形のデフレクターがあり、越流した水を左岸側に寄せます。
(2024年4月25日)

 
こちらはバルブ放流のない2016年(平成28年)のすだれ放流の写真。
(2016年5月4日)


同じアングルで2024年(令和6年)の写真。
日差しが入ると美しい。
(2024年4月25日)


右岸から
写真右手の縦長の構造物はインクラインで定員は4人、最大斜度は60度もあるそうです。
一度乗ってみたい。
(2016年5月4日)

 
かつてはすだれ放流に合わせて鯉のぼりが張られていました。
奥の白い建物が管理所。
(2016年5月4日)

 
こちらが常用洪水吐となるトンネル洪水吐で最大放流量は750立米/秒。
堤体が薄いため堤体に常用洪水吐を作ることができず、結果として日本初のトンネル洪水吐が採用されました。
現在の洪水吐ゲートは2002年(平成14年)の施設改良事業で改修されたもので、新たに予備ゲートが創設されています。
(2016年5月4日)


ダム左岸高所の国道から俯瞰。
こちらは放流のない初回訪問時の写真。
(2016年4月2日)

 
こちらは2024年(令和6年)の写真。
(2024年4月25日)

ダム湖の総貯水容量は5000万立米、有効貯水容量3500万立米
近年の多目的ダムに比べて堆砂容量が多く配分されています。
右奥に見えるのが東北電力鳴子発電所の取水口。
ダム湖に発電容量の配分はなく利水従属発電となります。
(2016年4月2日)

 
上流面
左手の建屋はトンネル洪水吐ゲート。
(2016年4月2日)


自由越流頂とトンネル洪水吐ゲートの間に小さなゲートが二つあります。
右手はコンジットバルブの取水ゲートで予備ゲートが見えます。
左手は坂見堰取水塔でダムから発電所放流口までの農地への灌漑用取水工です。
(2016年4月2日)
 
 
東北電力鳴子発電所
最大出力1万8700キロワット
ダムに発電容量の配分はなく利水従属発電となります。
 
(追記)
鳴子ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
0290 鳴子ダム(0289)
宮城県大崎市鳴子温泉
北上川水系江合川
FAP
94.5メートル
215メートル
50000千㎥/35000千㎥
国土交通省東北地方整備局
1958年
◎治水協定が締結されたダム

小田ダム

2024-09-25 20:00:00 | 宮城県
2016年4月 2日 小田ダム
2024年7月28日
 
小田(こだ)ダムは宮城県栗原市一迫川台の北上川水系迫川右支流長崎川にある宮城県土木部が管理する多目的ロックフィルダムです。
栗駒山に源を発し栗原市、登米市を流下して旧北上川に合流する迫(はさま)川流域は伊達藩時代に新田開発された広大な穀倉地帯が広がり『金成耕土』と呼ばれています。
しかしもともとは河川が交錯する湿地帯だったこともあり洪水被害が多発、一方で1万ヘクタールを超える耕地面積に対して迫川の水量は絶対的に乏しく用水不足が常習化していました。
1957年(昭和32年)に迫川に花山ダム、1962(昭和37年)に三迫川に栗駒ダムが完成したことで治水能力は大きく向上しますが、用水不足はいまだ解決せず安定した水源確保やかんがい排水設備の整備は流域農家の悲願となっていました。
こうした状況を受け農林水産省は荒砥沢ダム及び小田ダム建設を軸とした国営かんがい排水事業迫川上流地区を採択、これに宮城県土木部が事業参加し迫川総合開発事業として治水機能を持った多目的ダム建設が進められることになりました。
そして1998年(平成10年)の荒砥沢ダムに次いで2005年(平成17年)に竣工したのが小田ダムで、両ダムともに補助多目的ダムになりますが施工は農林水産省によります。
小田ダムは長崎川の洪水調節(7月1日~9月30日の洪水期間中は最大毎秒360立米の洪水カット )迫川上流土地改良区4349ヘクタールへのかんがい用水の供給を目的とし、完成後は宮城県土木部が管理を受託しています。
小田ダム竣工と同年の2005年に国営事業全体も完了し金成耕土における用水不足はほぼ解消しました。

迫川上流地区概要図


小田ダムには2016年(平成28年)4月、2024年(令和6年)7月と2度訪問しており、掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
まずはダム下から
堤体は堤高43.5メートルに対し堤頂長は520メートルに及ぶ横長堤体。
ダム下は芝生の広場になっており、中央のくぼみはダム建設以前の長崎川の流路のあったところです。
ダムサイトの案内図には『ダム下流広場』と記され、当初は公園として開放する意図があったと思われますが、現在は立入り禁止。
(2016年4月2日)

 
洪水吐は高さはないものの減勢工が非常に長くなっており、シルの下流には洗堀防止のブロック工が並びます。
(2016年4月2日)

 
再訪時に同じアングルで
洪水期に加え前日まで雨により洪水吐から放流されていました。
(2024年7月28日)

 
ズームアップ
高さはないものの斜水路では転波列が見られます。
(2024年7月28日)

 
こちらは減勢工の下流側
このまま長崎川として流下します。
(2024年7月28日)

 
ダム左岸下流側の放流ゲート
再訪時はかんがい期のため放流量が増えています。
(2024年7月28日)

 
左岸高台にはパークゴルフ場が整備され、その一角が展望台になっています。
堤頂長520メートルの長いロックフィル堤体が一望できます。
(2024年7月28日)

 
左岸の係留設備
インクラインではなく浮桟橋です。 
(2024年7月28日)

 
右岸の洪水吐
同じ事業で建設された荒砥沢ダムと同じく、洪水吐は横越流式洪水吐とローラーゲート併設。
ローラーゲートは洪水期(7月1日~9月30日)は洪水調節容量を確保するために全開、非洪水期は全閉となります。
(2024年7月28日)

 
右岸から見た洪水吐ゲート
こちらは非洪水期のため2門のローラーゲートは閉じられたまま。
このゲートの下流側に横越流式洪水吐がありますが、ここからは目にすることができません。
(2016年4月2日)

 
左岸ダムサイトに移動
小田ダムの管理建屋はすべてエンジの早稲田カラーで統一
残念ながら天端やダム構内はすべて立入り禁止。
(2024年7月28日)

竣工記念碑。
(2024年7月28日)

 
右岸ダムサイトはかなり広くなっており、仮に開放したらローリング族が喜びそう。
(2024年7月28日)

 
上流から見た取水塔
かんがい用のため表層取水を行います。
(2024年7月28日)

 
ダム湖は総貯水容量972万立米。
(2024年7月28日)

 
ダムの下流約1キロにある川台頭首工、こちらも建屋はエンジ。
ダムから放流された水をここで取水し、いったん迫川に導水したのち4349ヘクタールの農地にかんがい用水を供給します。
(2016年4月2日)

 
(追記)
小田ダムでは台風等の襲来に備え事前放流を行うための治水協定が締結されました。
 
0310 小田ダム(0283)
宮城県栗原市一迫川台
北上川水系長崎川
FA
43.5メートル
520メートル
9720千㎥/9010千㎥
宮城県土木部
2005年
◎治水協定が締結されたダム

花山ダム(再)

2024-09-24 20:00:00 | 宮城県
2016年4月 2日 花山ダム(再)
2016年5月 4日
2024年7月28日 
 
花山ダム(再)は宮城県栗原市一迫川口小倉の北上川水系迫(はさま)川にある宮城県土木部が管理する多目的の重力式コンクリートダムです。
栗駒山に源を発し栗原市、登米市を流下して旧北上川に合流する迫川流域は『金成耕土』と呼ばれ宮城県屈指の穀倉地帯となっています。
しかしもともとは複数の河川が交錯する湿地帯のため氾濫が頻発し、とりわけ1947年(昭和22年)のカスリーン台風、1948年(昭和23年)のアイオン台風により甚大な洪水被害が発生しました。
1950年(昭和25年)に採択された北上特定地域総合開発計画(KVT)に合わせ宮城県は迫川の治水・利水を目的とした迫川総合開発事業に着手し、その中核施設として1957年(昭和32年)に竣工したのが花山ダム(元)です。
その後2004年(平成16年)にかけてダムの嵩上げおよびゲート・取水設備の更新大を伴う大規模なダム再開発が行われ、洪水調節能力が強化されるとともに新たに上水道用水容量が付加されました。
花山ダム(再)は建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、迫川の洪水調節(7月1日~9月30日の洪水期に最大毎秒1020立米の洪水カット)、安定した河川流量の維持と沿岸農地への不特定かんがい用水の補給、栗原・登米地区への上水道用水の供給、細倉金属鉱業(株)川口第二発電所での最大1500キロワットのダム式発電を目的としています。
ダムは迫川の狭隘な渓谷部分を活用して建設され、堤体積4万6000立米で有効貯水容量3200万立米を支えており貯水効率が695倍と非常に効率的なダムとなっています。
花山ダムには2016年(平成18年)4月と5月、2024年(令和6年)7月の3度訪問しており、掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

ダム下流から遠望
下流は牛渕渓谷と呼ばれる深い谷になっており、かつてはダム直下手前まで遊歩道が整備されていました。しかし、宮城岩手内陸地震以降落石の恐れありということで立入り禁止になっています。
(2016年4月2日)


ダムの下流には細倉金属鉱業(株)川口第二発電所から同川口第一発電所に通じる水圧鉄管が横切っています。
(2016年4月2日)

 
ダムの見学は管理事務所のある右岸からのみとなります。
周辺にはダムの展望台が設けられているほか、各種記念碑が並びます。
(2024年7月28日)


展望台から
花山ダム(再)の特徴の一つが再開発事業で設置された親子式のクレストローラーゲートです。
主ゲートにそれぞれ2門の子ゲートが併設され、洪水期は主ゲートを一定の開度で開ける一方、非洪水期は子ゲートを全開にして子ゲートから自然越流する自然調節を行います。
初回訪問時は水位が低く放流は見られませんでした。
(2016年4月2日)

 
再訪時は融雪や直前の大雨による水位上昇を受け、親子両ゲートから放流していました。
(2016年5月4日)

 
三度目の訪問時は洪水期ということで親ゲートが開けられる一方、子ゲートは閉じていました。
ちょうどゲートの塗装工事中で、向かって左手のゲートの塗装が終わったところです。
(2024年7月28日)

 
ダムは狭隘な渓谷に作られ、小さな堤体積で大きな貯水容量を貯留する効率的なダムとなっています。
(2016年4月2日)

 
洪水吐導流部。
(2016年5月4日)

 
ダム下右岸にある放流設備。
(2016年4月2日)


放流設備には細倉金属鉱業(株)川口第二発電所が併設されています。
もともと迫川では細倉金属工業の前身となる三菱鉱業が1941年(昭和16年)に川口発電所を稼働させていました。
同社は自社の鉱山事業で使用する電力確保のため、宮城県の迫川総合開発事業に発電事業者として参加し花山ダム建設に併せてダム式発電を行う川口第二発電所を稼働させました。
(2024年7月28日)

 
手前の青いゲートは取水設備からの放流ゲート。
朝顔形の余水吐が川口第二発電所及び利水用の取水工、奥の小さなゲートが川口第一発電所の取水ゲートになります。
(2016年4月2日)

 
ズームアップ。
(2024年7月28日)

 
さらにズームアップ。 
(2024年7月28日)


ダムサイトには各種説明板が並びます。
(2024年7月28日)

 
(2024年7月28日)

 
親子ゲートや朝顔型余水吐など見どころの多い花山ダム(再)ですが、ダムの見学は右岸展望台とダムサイトに限られます。
事前に予約をすればダム構内や放流設備なども見学できるようなので、機会があればぜひ見学イベントなどを開催してみたいと思います。

(追記)
花山ダム(再)は台風等の襲来に備え事前放流を行う治水協定が締結されています。
 
0289 花山ダム(元)
宮城県栗原市一迫川口小倉
DamMaps
北上川水系迫川
FNP
47.8メートル
72メートル
36600千㎥/30000千㎥
宮城県土木部
1957年
-------------
3108 花山ダム(再)(0287)
宮城県栗原市一迫川口小倉
北上川水系迫川
FNWP
48.5メートル
72メートル
36600千㎥/32000千㎥
宮城県土木部
2004年
◎治水協定が締結されたダム

荒砥沢ダム

2024-09-23 20:00:00 | 宮城県
2016年4月 2日 荒砥沢ダム
2024年7月28日
 
荒砥沢ダムは宮城県栗原市栗駒文字の北上川水系二迫川にある宮城県土木部が管理する多目的のロックフィルダムです。
栗駒山に源を発し栗原市、登米市を流下して旧北上川に合流する迫(はさま)川流域は伊達藩時代に新田開発された広大な穀倉地帯が広がり『金成耕土』と呼ばれています。
しかしもともとは河川が交錯する湿地帯だったこともあり洪水被害が多発、一方で1万ヘクタールを超える耕地面積に対して迫川の水量は絶対的に乏しく用水不足が常習化していました。
1957年(昭和32年)に迫川に花山ダム、1962(昭和37年)に三迫川に栗駒ダムが完成したことで治水能力は大きく向上しますが、用水不足はいまだ解決せず安定した水源確保やかんがい排水設備の整備は流域農家の悲願となっていました。
こうした状況を受け農林水産省は荒砥沢ダム及び小田ダム建設を軸とした国営かんがい排水事業迫川上流地区を採択、これに宮城県土木部が事業参加し迫川総合開発事業として治水機能を持った多目的ダム建設が進められることになりました。
このうち、1998年(平成10年)に二迫川上流部に建設されたのが荒砥沢ダムで、農林水産省東北農政局が施工し完成後は宮城県土木部が管理を受託しています。
荒砥沢ダムは二迫川の洪水調節(7月1日~9月30日の洪水期間中に最大毎秒320立米の洪水カット )、迫川上流土地改良区への灌漑用水の供給(荒砥沢用水路156.4ヘクタールおよび一の堰頭首工1498.1ヘクタール)を目的とするほか農林水産省東北農政局が管理する荒砥沢発電所で最大1000キロワットの小水力発電を行います。
国営かんがい排水事業全体も2005年(平成17年)に完了し金成耕土における用水不足はほぼ解消しました。
 
その後、2008年(平成20年)の宮城岩手内陸地震の際はダム湖上流で大規模な山体崩壊が発生しダム湖で津波が発生するとともに(堤体への影響はなし)大量の土砂が流入しました。
これにより毀損した洪水調節容量を補填するためダムの下流に遊水地が建設されました。

迫川上流地区概要図


荒砥沢ダムには2016年(平成28年)4月、2024年(令和6年)7月と2度訪問しており、掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
県道179号線のドン詰まりに荒砥沢ダムがあります。
こちらは洪水吐斜水路下流から
手前左手からの流入水は放流設備及び発電所からの放流水です。
(2016年4月2日)

 
初回訪問時は融雪期ということで水位が上昇し洪水吐から放流中、美しい転波列が現れています。
向かって左手の白い建屋が放流設備。
(2016年4月2日)

 
利水放流を利用した荒砥沢発電所
農林水産省東北農政局が管理を行い、売電収入は土地改良区の運営資金に供されます。
(2016年4月2日)

 
水利使用標識
こちらはダムのすぐ下流沿岸農地を対象とした荒砥沢用水路向け水利権。
(2024年7月28日)

 
ダムや洪水吐を一望できるポイントはありません。
これは右岸放流設備手前から見た下流面
中央を左岸ダムサイトに通じる道路が斜行しています。
(2024年7月28日)

 
左岸ダムサイトへ通じる道路から。
奥は洪水吐斜水路。
(2024年7月28日)


天端は立入り禁止。
(2024年7月28日)

 
上流面
かなり草が伸びています。
対岸には管理事務所と洪水吐、取水塔があります。
(2024年7月28日)

 
ダム湖は藍染湖と命名され左岸にふれあい公園が整備されています。
(2024年7月28日)

 
ふれあい公園から洪水吐・取水塔を遠望。
再訪時は洪水期のためこれで最高位。
(2024年7月28日)


取水塔とインクライン・艇庫をズームアップ。
(2024年7月28日)


2008年(平成20年)の宮城岩手内陸地震の際にダム湖上流で大規模な地滑りが起きダム湖内で津波が発生しました(堤体越流はなし)。
こちらはその説明板で『荒砥沢ダム上流崩壊地』として日本の地質百選に選ばれています。
(2024年7月28日)

 
地滑りを地点を遠望
地震から16年が経過しますがいまだに大きな傷跡が残ります。
奥の崩落地点手前側の斜面がダム湖に向けて大きく滑りました。
(2024年7月28日)

 
右岸に移動します。
洪水吐は横越流式洪水吐とローラーゲート併設です。
写真は上流側からローラーゲートを撮ったもので、このゲートの奥(下流側)に横越流式洪水吐がありますが横越流式洪水吐を目にすることはできません。
ローラーゲートは洪水期(7月1日~9月30日)は洪水調節容量を確保するために全開、非洪水期は全閉となります。
この写真は洪水期のものでゲートが開いています。
(2024年7月28日)


アングルを変えて
ローラーゲートと上流面。
この写真は非洪水期のためゲートが閉じられており、水位は平常時最高水位となります。
(2016年4月2日)

 
オレンジの屋根が鮮やかな取水塔。
(2016年4月2日)

 
荒砥沢ダムの下流約10キロ地点にある一の堰頭首工。
国営事業によって既設の3基の取水堰を統合して1993年(平成5年)に完成しました。
荒砥沢ダムから放流された水を取水し約1500ヘクタールの農地にかんがい用水を供給します。
(2024年7月28日)

 
一の堰頭首工の説明板。 
(2024年7月28日)

 
水利使用標識。
(2024年7月28日)

 
(追記)
荒砥沢ダムは台風等の接近が予想される場合に事前放流を行う治水協定が締結されました。

0309 荒砥沢ダム(0282)
宮城県栗原市栗駒文字
北上川水系二迫川
FA
74.4メートル
413.7メートル
13214千㎥/12594千㎥
宮城県土木部
1998年
◎治水協定が締結されたダム

栗駒ダム

2024-09-20 20:00:00 | 宮城県
2016年4月 2日 栗駒ダム
2024年7月28日
 
栗駒ダムは宮城県栗原市栗駒沼倉の一級河川北上川水系三迫川にある宮城県土木部が管理する多目的の重力式コンクリートダムです。
栗駒山に源を発し栗原市、登米市を流下して旧北上川に合流する迫川(はさまかわ)流域は伊達藩時代に新田開発された広大な穀倉地帯が広がり『金成耕土』と呼ばれています。
しかしもともとは複数の河川が交錯する湿地帯のため氾濫が頻発し、とりわけ1948年(昭和23年)のアイオン台風襲来時は3000ヘクタールを超える水田が冠水する大災害となりました。
これを受け宮城県は迫川上流三河川のうち迫川(一迫川)と三迫川への多目的ダム建設に着手、1957年(昭和32年)の花山ダムに次いで1962年(昭和37年)に竣工したのが栗駒ダムです。
ただ花山ダムが建設省(現国土交通省)の補助を受けた迫川総合開発事業によって建設された補助多目的ダムなのに対し、栗駒ダムは農林省(現農林水産省)の補助を受けた県営防災ため池事業で建設された農地防災ダムとなります。
完成後は県土木部が管理を受託し、三迫川の洪水調節(7月1日~9月30日の洪水期間中は最大毎秒735立米の洪水カット)、迫川沿岸約2600ヘクタールへの特定かんがい用水の供給、細倉金属鉱業(株)玉山発電所での最大2800キロワットのダム水路式発電を目的としています。
両ダムの完成により迫川の治水能力は大きく向上しますが、依然1万ヘクタールに及ぶ金成耕土では用水不足の状態が続き、この解決は1998年(平成10年)の荒砥沢ダム、2005年(平成17年)の小田ダムの完成しまで待つことになります。
上記のように栗駒ダムは完成後は宮城県土木部が管理を受託していますが、農林省の補助事業で建設されたダムのため目的は『FAP』ではありますが、補助多目的ダムとはなりません。

2008年(平成20年)の宮城岩手内陸地震では栗駒山周辺で地滑りや土石流など多大な被害が出ましたが、栗駒ダムでも下流からダムへ通じる道路が崩落により通行不能となりました。
一方、施設の老朽化を受けて2010年(平成22年)にかけてゲートと堤体の改修が行われ、さらに2015年(平成27年)には取水設備が刷新されました。
栗駒ダムには2016年(平成18年)4月、2024年(令和6年)7月と2度訪問しており掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

右岸から下流面
堤高57.2メートル、堤頂長182メートル、残念ながらダム下流から堤体と正対できるポイントはありません。
(2024年7月28日)

 
堤体は右岸側が屈曲。
(2016年4月2日)

 
ゲートピアをズームアップ
2010年(平成22年)にゲートが改修されるとともにゲートピアや扶壁の一部も刷新されました。
(2024年7月28日)


右岸ダムサイトには記念碑がありその隣にはゲート改修で撤去された古い巻上げ機がモニュメントとして展示されています。
(2024年7月28日)

 
天端は徒歩のみ開放。
(2024年7月28日)

 
上流面。
ゲートは扉高15.6メートル、径間メートルの縦長ローラーゲート。
(2024年7月28日)

 
右岸の管理事務所とインクライン。
かつては職員が常駐していましたが、現在は花山ダム管理所で統合管理されています。
(2024年7月28日)

 
インクラインをズームアップ。
(2024年7月28日)

 
ゲートを真上から。
(2024年7月28日)

 
天端から減勢工を見下ろします。
減勢工左手は放流設備、その下流に落ちている石は2008年(平成20年)の宮城岩手内陸地震で崩落したもの。
(2016年4月2日)

 
同じアングルで再訪時。
栗駒ダムの洪水期は7月1日~9月30日で、この間は常時クレストローラーゲートを開けて放流し洪水調節容量を確保します。
(2024年7月28日)

 
手前の青い機器は取水ゲートの操作機器。
(2024年7月28日)
 
2015年(平成27年)に置換された取水ゲートのプレート
日本では2例目となる遮水膜式取水ゲートになります。
(2024年7月28日)

 
減勢工はジャンプ台式。
(2024年7月28日)

 
ダム湖は『くりこま湖』
総貯水容量1371万5000立米、有効貯水容量1275万8000立米
かんがい期には有効貯水容量の7割の910万3000立米が洪水調節容量となります。
再訪時は直前まで記録的な豪雨が続き水位が上昇、ダム湖の水もかなり濁っています。
(2024年7月28日)

 
左岸から
取水設備は2015年(平成27年)に導入された遮水膜昇降式多段フロー取水ゲート
ダム水位に連動して鋼製フレームに取り付けられた複数段の遮水膜が伸縮し、最上部から取水することで連続的な表層取水を行います。
詳細はリンクをご覧ください。 
(2024年7月28日)

 
上流面
初訪時は非かんがい期にもかかわらずかなり水位が下がっていました。
(2016年4月2日)

宮城県のホームページでは、栗駒ダムの役割として
『既得用水の補給・維持流量の確保等、流水の正常な機能の維持と増進を図ります』と記され不特定利水(N)があるような表記がなされています。
しかし県が配布するダムカードにはダムの目的は『FAP』と記され『N』はありません。
貯水容量にも不特定利水容量の配分はないため当ブログでもダムの目的はFAPと記します。

(追記)
栗駒ダムでは台風の襲来に備え事前放流を行う治水協定が締結されています。
 
0293 栗駒ダム(0281)
宮城県栗原市栗駒沼倉
北上川水系三迫川
FAP
57メートル
182メートル
13715千㎥/12758千㎥
宮城県土木部
1962年
◎治水協定が締結されたダム

四和ダム

2024-09-19 20:00:00 | 青森県
2022年10月23日 四和ダム
2024年 7月26日  
 
四和ダムは青森県十和田市滝沢の二級河川奥入瀬川水系後藤川上流部にある農地防災目的のアースフィルダムです。
集水域での森林伐採が進んだ結果保水力が低下し、昭和10年以降は2年に一度のペースで出水が発生、とりわけ1945年(昭和20年)秋の氾濫では沿岸農地の約2割が埋没するという激烈な災害となりました。
こうした状況を受け1950年(昭和25年)に青森県は農林省(現農林水産省)の補助を受けた防災ダム事業に着手し1960年(昭和35年)に竣工したのが四和ダムです。
完成後は青森県農林水産部が管理を行い後藤川下流域の農地防災を担っています。
しかし、四和ダム完成後も出水は続き後藤川の防災が盤石になるのは2011年(平成23年)の指久保ダム完成まで待つことになります。
四和ダム完成から60年が経過したこともあり、2022年(令和4年)から2024年(令和6年)秋の竣工をめどに大規模な改修工事が着手され、この間2022年(令和4年)10月、2024年(令和6年)7月の2度にわたり訪問しました。
とくに再訪時は職員様同行でダム構内に立入り、洪水吐や放流ゲートなどを間近で見学することができました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

県道45号十和田三戸線から後藤川沿いのダートの林道を約4キロ西進すると四和ダムに到着します。
左岸から下流面
堤高22.8メートルのアース堤体は草に覆われています。
(2022年10月23日) 


左岸に洪水吐があり、初回訪問時は1961年(昭和36年)に設置された50年物の巻上げ機がまだ残っていました。
(2022年10月23日) 


再訪時には新品の巻上げ機に置換されていました。
赤が鮮やか。
(2024年7月26日) 


コンクリートが打ち直された洪水吐導流部。
(2024年7月26日) 


四和ダムは総貯水容量82万5000立米のうち堆砂容量2万3000立米を除いた有効貯水容量80万3000立米すべてが農地防災容量(=洪水調節容量)となり、普段は流入量はそのまま放流しダム湖に水は貯めません。
初訪時は、ダム湖内の堆砂が進むとともに草木が繁茂しまるで湿原のような状態になっていました。 
(2022年10月23日) 


こちらは再訪時のダム湖の写真
改修に合わせてダム湖内の浚渫が行われるとともに草木が除去され、当初の貯水容量が回復しました。
右手は非常用洪水吐の流木除けのフェンス。
このようなフェンスが設けられているのは同じ青森県の花木ダムと秋田県の羽根川ダムしか思い浮かびません。
(2024年7月26日) 


右岸から
天端は林道ですが、後藤川最上流部には放牧場があり関係車両が通るようです。
(2022年10月23日) 


左岸の非常用洪水吐
アースフィルダムとしては珍しく可動ゲートを装備、しかも4門すべてがフラップゲート(鋼製起伏ゲート)というのは日本でもここだけじゃないでしょうか?
初訪時はゲートや扶壁の改修は終わっていましたが、巻上げ機だけまだ古いまま。
(2022年10月23日) 


同じアングルで再訪時
ゲートも巻上げ機も鮮やかな真紅。
(2024年7月26日) 


こちらは管理事務所内に保存されていた完成直後の写真。
(2024年7月26日) 


再訪時は職員様同行で洪水吐に立ち入らせていただきました。
上流側から見た流木除けフェンス。
(2024年7月26日) 


流木除けフェンスを潜ります。
天端から見るよりも実際はかなり大きく、身長180センチの私でも立って歩ける高さ。
(2024年7月26日) 


非常用洪水吐に接近。
(2024年7月26日) 


機械巻上げ式のフラップゲート(鋼製起伏ゲート)では巻上げにワイヤーが使われるのが一般的ですが、ここではチェーンが使われておりこれまたレア。
(2024年7月26日) 


洪水吐導流部からゲートを見上げます。
たぶんこれまで、そして将来的にもここに足を踏み入れるダム愛好家は私一人だけかも?
(2024年7月26日) 


次に左岸の放流ゲートに移動
先述のように四和ダムは平時は流入量はそのまま流下させます。
ここには傾斜式の放流ゲートが3門設けられており洪水時の流入量や水位に合わせて放流量をコントロールします。
(2024年7月26日) 


堤体上流面から
左手は刷新された土砂吐ゲート。
(2024年7月26日) 


アングルを変えて
訪問時は、一番低位のゲートから放流中。
(2024年7月26日) 


アースフィルながらフラップゲートや流木除けのフェンスなど、当ダムならではのポイントが多々ありコアなマニア必見のダムと言えます。
再訪時はダムマイスターによる取材ということで、特別のご配慮で洪水吐の中や放流ゲート間近まで立入らせていただきました。
対応して頂いた青森県上北地域県民局地域農林水産部及びダム管理人様には厚く御礼申し上げます。

(追記)
四和ダムには農地防災容量が配分されており、治水協定により台風等の襲来時には洪水を防ぐための貯留が行われます。

0193 四和ダム(1900)
青森県十和田市滝沢
奥入瀬川水系後藤川
22.8メートル
121.2メートル
825千㎥/803千㎥
青森県農林水産部
1961年
◎治水協定が締結されたダム

指久保ダム 取材見学

2024-09-18 20:00:00 | ダム取材見学
2024年7月26日 指久保ダム 取材見学
 
青森県十和田市(左岸)と新郷村(右岸)に跨る二級河川奥入瀬川水系後藤川にある指久保ダムはダム湖上流に架かる県道十和田三戸線の後藤川大橋からの眺めの良さから、近年インスタ映えするスポットとして人気が上昇しています。
しかし、ダム構内は全面立入り禁止となっており、その姿は後藤川大橋から遠望するのみでダム便覧フォトアーカイブスにもその詳細を撮った写真の掲載はありません。
2022年(令和4年)10月に青森県を訪問した際に指久保ダムを管理する青森県上北地域県民局地域農林水産部に見学の申請をしたところ、ダム構内で撮った写真は一般公開しないという条件で見学許可を頂きました。
そのため、せっかくの見学内容もブログにアップしたり撮影写真のダム便覧への提供もできず終いでした。
ただこれを契機にダム管理人さんとの私的な交流が始まり、ダムの四季折々の写真やその後に増設された小水力発電所についての情報などを頂くことができました。
そして今年、2024年(令和6年)7月に再度青森を訪問することになり、ダムマイスターによる取材という形でダム見学が叶うとともに構内で撮った写真についてもブログへの掲載許可を頂きました。
 ここでは指久保ダムの見学の詳細に加え、ダムの受益組織であり所有者でもある奥入瀬川南岸土地改良区への取材について紹介したいと思います。
指久保ダムの詳細については指久保ダムの項をご覧ください。
 
2024年(令和6年)7月26日午前に、まずは青森県おいらせ町にある奥入瀬川南岸土地改良区へ伺います。


土地改良区の理事長さん、主務及び工事担当所の職員さん計3人から奥入瀬川南岸地区の概要や土地改良区の来歴、日常の業務内容等についてお話を伺います。


参考資料として土地改良区の沿革史とかんがい排水事業の事業概要書を頂きました。


土地改良区で2時間近く話を伺った後、奥入瀬川にある藤坂頭首工を見学。
奥入瀬川南岸地区は奥入瀬川本流及び主要水流の後藤川を主要水源としており、こちらは奥入瀬川からの取水堰となります。


藤坂頭首工から南西に約18キロ、車で20分ほどの指久保ダムへ向かいます。
こちらはダム湖に架かる後藤川大橋。
一見斜張橋のようですが、エクストラドーズド橋という斜張橋と桁橋の中間型となる型式で橋長230メートル、湖面からの高さは51メートルとなります。
珍しい型式の橋に加え、ここからのダム湖の眺めが美しいということで最近は訪れる人が増えています。


後藤川大橋からの眺め
中央が多段式取水塔、左手の建屋が管理事務所になります。


取水塔をズームアップ。


上流側の眺め
指久保ダムはかんがい期が終わるとかんがい容量分の水が抜かれます。
こちらはかんがい期が終わった2022年10月の写真。


同じ場所から2024年7月の写真
水位が全く違うのが見て取れます。
天気が良ければもっと素晴らしい眺めになるのですが、あいにくの曇天なのが残念。


ダムに通じる管理道路入口にバリケードがあり、ダム構内は関係者以外多立入り禁止です。
ここから先はすべて立入禁止エリアでの写真となります。
左岸ダムサイトの管理事務所。
365日職員さんが常駐します。


管理事務所1階の定礎石。


ダム操作室。


ダムの管理人さんより各機器の役割やダムの運用方法について説明を頂きます。


指久保ダムの構造上の特徴としては、ダム建設地点は十和田の火山排出物が堆積しており、特に右岸側の透水性が高くなっています。
そのため上流面はアースブランケットで遮水処理が施されておるほか、右岸地山内には連続地中壁が設けられています。
指久保ダム平面図(出典 県営かんがい排水事業指久保地区 事業概要書)

運用面の特徴として、指久保ダムはダムのある後藤川のみならず山の北側にある藤島川および小林川にもかんがい用水を補給しています。ダムによる安定した水源という効果を流域面積が極めて小さく慢性的な用水不足となっていた藤島川・小林川沿岸にも付与するため全長約3.3㎞の藤島導水路により補給を行います。
藤島導水路平面図(出典 沿革史 奥入瀬乃歩み)


ひとしきり説明を受けた後はいよいよダムの見学です。
こちらは左岸の横越流式洪水吐
試験湛水以降、豪雨等による越流はないそうです。


こちらは下流側。
斜水路手前にシルがあります。


減勢工を遠望
減勢工にも大きなシルがありその直下にはバッフルブロック
さらに下流にも背の低いシルが設けられています。
左手は放流設備と小水力発電所。


左岸から見たダムの上流面
見た目にはわかりませんが、堤体の半ばから先、右岸側一帯はアースブランケットにより遮水処理が施されています。


天端はアスファルトで舗装。


減勢工左手高台の建屋は先述の藤島導水路のゲートバルブ室。
ここへはサイフォンで揚水します。


ダム下流を遠望すると火山堆積物が露頭しています。
いわゆるシラス土壌になります。


広角でダム湖を撮ってみます。
総貯水容量292万2000立米。有効貯水容量は207万立米になります。


下流面
天端や地山には草が生えていますが、リップラップは極めてきれいな状態が保たれています。


右岸から上流面
これは初回訪問時の写真でかんがい期が終わり水位が低い状態です。


次にダム下に移動。
こちらも入口にゲートがあり関係者以外は立入り禁止。


ダム下流面
残念ながら地山が邪魔になり、堤体を一望できる場所はありません。


減勢工と後藤川へのゲートバルブ室
放流設備向かって左手が旧来の放流設備、右手が2023年(令和5年)に運転開始した小水力発電所。




発電所の最大出力は191キロワットでFIT認定されています。
発電所は土地改良区が所有管理し、発電した電力はすべて東北電力に売電し土地改良区の運営資金となります。


放流設備内部
写真右奥が発電所へのライン。


発電機。


こちらは取水塔からの導水管
建設時の仮排水路を活用しています。


放流設備の上流側には藤島導水路への分水設備があります。
ここから高台にあるゲートバルブ室にサイフォンで揚水します。


高台にある藤島導水路ゲートバルブ室。


藤島導水路
総延長は約3300メートルで自然流下となります。

 
再びダム天端に戻り監査廊入口へ。


階段を下ります。


クラック箇所に印がつけられ、補修に備えます。


変位計測器。


堤体内の排水設備。


地震計。


揚圧計。


監査廊は本堤から右岸アースブランケットに沿って連続地中壁まで全長406メートル。


監査廊の突き当り。
上北地域県民局のダム担当職員さん及びダム管理人さんと。
壁の向こう側に連続地中壁があります。


監査廊からダム湖左岸の取水塔へ移動。
取水塔への管理橋。


ゲートのプレート
この取水塔には主ゲートである取水放流ゲートのほか、修理用ゲート(予備ゲート)、低水位ゲートの3種類のゲートがあります。


ゲート巻き上げ機。


水位計。
主と副の二つがあります。


こちらは水位計周辺の凍結防止装置
寒冷地ならではの設備です。
 


修理用ゲート(予備ゲート)。


取水放流ゲート
水位が高いかんがい期の写真。
農業用水ですので表層取水を行います。

こちらは水が抜かれた非かんがい期の写真。
流入量をそのまま下流に放流します。


取水塔内部から見る後藤川大橋。
関係者以外でこの景色を眺めたのは私だけかも?


最後に指久保ダムから藤島導水路で用水を補給する2か所の注入口を見学。
こちらは小林川注入口で最大毎秒0.108立米を補給します。


こちらは藤島川に架かる導水路


藤島川注入口
最大毎秒0.159立米を補給します。


これにて、奥入瀬川南岸土地改良区の取材及び指久保ダムの取材見学は終了です。
見たいところはすべて見せて頂き大満足の見学となりました。
今回の取材見学については当ブログのほか(一財)日本ダム協会が発刊している月刊誌『ダム日本』にも掲載予定です。
今回の取材に対応していただいた青森県上北地域県民局地域農林水産部のダム担当様、指久保ダム管理人様および奥入瀬川南岸土地改良区の皆様には心より感謝を申し上げます。
指久保ダムは一般個人からの見学要請に対応しておりません。
今回はダムマイスターによる取材申し込みに対して特別のご配慮で見学が叶ったことを明記しておきます。