ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

四和ダム

2024-09-19 20:00:00 | 青森県
2022年10月23日 四和ダム
2024年 7月26日  
 
四和ダムは青森県十和田市滝沢の二級河川奥入瀬川水系後藤川上流部にある農地防災目的のアースフィルダムです。
集水域での森林伐採が進んだ結果保水力が低下し、昭和10年以降は2年に一度のペースで出水が発生、とりわけ1945年(昭和20年)秋の氾濫では沿岸農地の約2割が埋没するという激烈な災害となりました。
こうした状況を受け1950年(昭和25年)に青森県は農林省(現農林水産省)の補助を受けた防災ダム事業に着手し1960年(昭和35年)に竣工したのが四和ダムです。
完成後は青森県農林水産部が管理を行い後藤川下流域の農地防災を担っています。
しかし、四和ダム完成後も出水は続き後藤川の防災が盤石になるのは2011年(平成23年)の指久保ダム完成まで待つことになります。
四和ダム完成から60年が経過したこともあり、2022年(令和4年)から2024年(令和6年)秋の竣工をめどに大規模な改修工事が着手され、この間2022年(令和4年)10月、2024年(令和6年)7月の2度にわたり訪問しました。
とくに再訪時は職員様同行でダム構内に立入り、洪水吐や放流ゲートなどを間近で見学することができました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

県道45号十和田三戸線から後藤川沿いのダートの林道を約4キロ西進すると四和ダムに到着します。
左岸から下流面
堤高22.8メートルのアース堤体は草に覆われています。
(2022年10月23日) 


左岸に洪水吐があり、初回訪問時は1961年(昭和36年)に設置された50年物の巻上げ機がまだ残っていました。
(2022年10月23日) 


再訪時には新品の巻上げ機に置換されていました。
赤が鮮やか。
(2024年7月26日) 


コンクリートが打ち直された洪水吐導流部。
(2024年7月26日) 


四和ダムは総貯水容量82万5000立米のうち堆砂容量2万3000立米を除いた有効貯水容量80万3000立米すべてが農地防災容量(=洪水調節容量)となり、普段は流入量はそのまま放流しダム湖に水は貯めません。
初訪時は、ダム湖内の堆砂が進むとともに草木が繁茂しまるで湿原のような状態になっていました。 
(2022年10月23日) 


こちらは再訪時のダム湖の写真
改修に合わせてダム湖内の浚渫が行われるとともに草木が除去され、当初の貯水容量が回復しました。
右手は非常用洪水吐の流木除けのフェンス。
このようなフェンスが設けられているのは同じ青森県の花木ダムと秋田県の羽根川ダムしか思い浮かびません。
(2024年7月26日) 


右岸から
天端は林道ですが、後藤川最上流部には放牧場があり関係車両が通るようです。
(2022年10月23日) 


左岸の非常用洪水吐
アースフィルダムとしては珍しく可動ゲートを装備、しかも4門すべてがフラップゲート(鋼製起伏ゲート)というのは日本でもここだけじゃないでしょうか?
初訪時はゲートや扶壁の改修は終わっていましたが、巻上げ機だけまだ古いまま。
(2022年10月23日) 


同じアングルで再訪時
ゲートも巻上げ機も鮮やかな真紅。
(2024年7月26日) 


こちらは管理事務所内に保存されていた完成直後の写真。
(2024年7月26日) 


再訪時は職員様同行で洪水吐に立ち入らせていただきました。
上流側から見た流木除けフェンス。
(2024年7月26日) 


流木除けフェンスを潜ります。
天端から見るよりも実際はかなり大きく、身長180センチの私でも立って歩ける高さ。
(2024年7月26日) 


非常用洪水吐に接近。
(2024年7月26日) 


機械巻上げ式のフラップゲート(鋼製起伏ゲート)では巻上げにワイヤーが使われるのが一般的ですが、ここではチェーンが使われておりこれまたレア。
(2024年7月26日) 


洪水吐導流部からゲートを見上げます。
たぶんこれまで、そして将来的にもここに足を踏み入れるダム愛好家は私一人だけかも?
(2024年7月26日) 


次に左岸の放流ゲートに移動
先述のように四和ダムは平時は流入量はそのまま流下させます。
ここには傾斜式の放流ゲートが3門設けられており洪水時の流入量や水位に合わせて放流量をコントロールします。
(2024年7月26日) 


堤体上流面から
左手は刷新された土砂吐ゲート。
(2024年7月26日) 


アングルを変えて
訪問時は、一番低位のゲートから放流中。
(2024年7月26日) 


アースフィルながらフラップゲートや流木除けのフェンスなど、当ダムならではのポイントが多々ありコアなマニア必見のダムと言えます。
再訪時はダムマイスターによる取材ということで、特別のご配慮で洪水吐の中や放流ゲート間近まで立入らせていただきました。
対応して頂いた青森県上北地域県民局地域農林水産部及びダム管理人様には厚く御礼申し上げます。

(追記)
四和ダムには農地防災容量が配分されており、治水協定により台風等の襲来時には洪水を防ぐための貯留が行われます。

0193 四和ダム(1900)
青森県十和田市滝沢
奥入瀬川水系後藤川
22.8メートル
121.2メートル
825千㎥/803千㎥
青森県農林水産部
1961年
◎治水協定が締結されたダム

指久保ダム 取材見学

2024-09-18 20:00:00 | ダム取材見学
2024年7月26日 指久保ダム 取材見学
 
青森県十和田市(左岸)と新郷村(右岸)に跨る二級河川奥入瀬川水系後藤川にある指久保ダムはダム湖上流に架かる県道十和田三戸線の後藤川大橋からの眺めの良さから、近年インスタ映えするスポットとして人気が上昇しています。
しかし、ダム構内は全面立入り禁止となっており、その姿は後藤川大橋から遠望するのみでダム便覧フォトアーカイブスにもその詳細を撮った写真の掲載はありません。
2022年(令和4年)10月に青森県を訪問した際に指久保ダムを管理する青森県上北地域県民局地域農林水産部に見学の申請をしたところ、ダム構内で撮った写真は一般公開しないという条件で見学許可を頂きました。
そのため、せっかくの見学内容もブログにアップしたり撮影写真のダム便覧への提供もできず終いでした。
ただこれを契機にダム管理人さんとの私的な交流が始まり、ダムの四季折々の写真やその後に増設された小水力発電所についての情報などを頂くことができました。
そして今年、2024年(令和6年)7月に再度青森を訪問することになり、ダムマイスターによる取材という形でダム見学が叶うとともに構内で撮った写真についてもブログへの掲載許可を頂きました。
 ここでは指久保ダムの見学の詳細に加え、ダムの受益組織であり所有者でもある奥入瀬川南岸土地改良区への取材について紹介したいと思います。
指久保ダムの詳細については指久保ダムの項をご覧ください。
 
2024年(令和6年)7月26日午前に、まずは青森県おいらせ町にある奥入瀬川南岸土地改良区へ伺います。


土地改良区の理事長さん、主務及び工事担当所の職員さん計3人から奥入瀬川南岸地区の概要や土地改良区の来歴、日常の業務内容等についてお話を伺います。


参考資料として土地改良区の沿革史とかんがい排水事業の事業概要書を頂きました。


土地改良区で2時間近く話を伺った後、奥入瀬川にある藤坂頭首工を見学。
奥入瀬川南岸地区は奥入瀬川本流及び主要水流の後藤川を主要水源としており、こちらは奥入瀬川からの取水堰となります。


藤坂頭首工から南西に約18キロ、車で20分ほどの指久保ダムへ向かいます。
こちらはダム湖に架かる後藤川大橋。
一見斜張橋のようですが、エクストラドーズド橋という斜張橋と桁橋の中間型となる型式で橋長230メートル、湖面からの高さは51メートルとなります。
珍しい型式の橋に加え、ここからのダム湖の眺めが美しいということで最近は訪れる人が増えています。


後藤川大橋からの眺め
中央が多段式取水塔、左手の建屋が管理事務所になります。


取水塔をズームアップ。


上流側の眺め
指久保ダムはかんがい期が終わるとかんがい容量分の水が抜かれます。
こちらはかんがい期が終わった2022年10月の写真。


同じ場所から2024年7月の写真
水位が全く違うのが見て取れます。
天気が良ければもっと素晴らしい眺めになるのですが、あいにくの曇天なのが残念。


ダムに通じる管理道路入口にバリケードがあり、ダム構内は関係者以外多立入り禁止です。
ここから先はすべて立入禁止エリアでの写真となります。
左岸ダムサイトの管理事務所。
365日職員さんが常駐します。


管理事務所1階の定礎石。


ダム操作室。


ダムの管理人さんより各機器の役割やダムの運用方法について説明を頂きます。


指久保ダムの構造上の特徴としては、ダム建設地点は十和田の火山排出物が堆積しており、特に右岸側の透水性が高くなっています。
そのため上流面はアースブランケットで遮水処理が施されておるほか、右岸地山内には連続地中壁が設けられています。
指久保ダム平面図(出典 県営かんがい排水事業指久保地区 事業概要書)

運用面の特徴として、指久保ダムはダムのある後藤川のみならず山の北側にある藤島川および小林川にもかんがい用水を補給しています。ダムによる安定した水源という効果を流域面積が極めて小さく慢性的な用水不足となっていた藤島川・小林川沿岸にも付与するため全長約3.3㎞の藤島導水路により補給を行います。
藤島導水路平面図(出典 沿革史 奥入瀬乃歩み)


ひとしきり説明を受けた後はいよいよダムの見学です。
こちらは左岸の横越流式洪水吐
試験湛水以降、豪雨等による越流はないそうです。


こちらは下流側。
斜水路手前にシルがあります。


減勢工を遠望
減勢工にも大きなシルがありその直下にはバッフルブロック
さらに下流にも背の低いシルが設けられています。
左手は放流設備と小水力発電所。


左岸から見たダムの上流面
見た目にはわかりませんが、堤体の半ばから先、右岸側一帯はアースブランケットにより遮水処理が施されています。


天端はアスファルトで舗装。


減勢工左手高台の建屋は先述の藤島導水路のゲートバルブ室。
ここへはサイフォンで揚水します。


ダム下流を遠望すると火山堆積物が露頭しています。
いわゆるシラス土壌になります。


広角でダム湖を撮ってみます。
総貯水容量292万2000立米。有効貯水容量は207万立米になります。


下流面
天端や地山には草が生えていますが、リップラップは極めてきれいな状態が保たれています。


右岸から上流面
これは初回訪問時の写真でかんがい期が終わり水位が低い状態です。


次にダム下に移動。
こちらも入口にゲートがあり関係者以外は立入り禁止。


ダム下流面
残念ながら地山が邪魔になり、堤体を一望できる場所はありません。


減勢工と後藤川へのゲートバルブ室
放流設備向かって左手が旧来の放流設備、右手が2023年(令和5年)に運転開始した小水力発電所。




発電所の最大出力は191キロワットでFIT認定されています。
発電所は土地改良区が所有管理し、発電した電力はすべて東北電力に売電し土地改良区の運営資金となります。


放流設備内部
写真右奥が発電所へのライン。


発電機。


こちらは取水塔からの導水管
建設時の仮排水路を活用しています。


放流設備の上流側には藤島導水路への分水設備があります。
ここから高台にあるゲートバルブ室にサイフォンで揚水します。


高台にある藤島導水路ゲートバルブ室。


藤島導水路
総延長は約3300メートルで自然流下となります。

 
再びダム天端に戻り監査廊入口へ。


階段を下ります。


クラック箇所に印がつけられ、補修に備えます。


変位計測器。


堤体内の排水設備。


地震計。


揚圧計。


監査廊は本堤から右岸アースブランケットに沿って連続地中壁まで全長406メートル。


監査廊の突き当り。
上北地域県民局のダム担当職員さん及びダム管理人さんと。
壁の向こう側に連続地中壁があります。


監査廊からダム湖左岸の取水塔へ移動。
取水塔への管理橋。


ゲートのプレート
この取水塔には主ゲートである取水放流ゲートのほか、修理用ゲート(予備ゲート)、低水位ゲートの3種類のゲートがあります。


ゲート巻き上げ機。


水位計。
主と副の二つがあります。


こちらは水位計周辺の凍結防止装置
寒冷地ならではの設備です。
 


修理用ゲート(予備ゲート)。


取水放流ゲート
水位が高いかんがい期の写真。
農業用水ですので表層取水を行います。

こちらは水が抜かれた非かんがい期の写真。
流入量をそのまま下流に放流します。


取水塔内部から見る後藤川大橋。
関係者以外でこの景色を眺めたのは私だけかも?


最後に指久保ダムから藤島導水路で用水を補給する2か所の注入口を見学。
こちらは小林川注入口で最大毎秒0.108立米を補給します。


こちらは藤島川に架かる導水路


藤島川注入口
最大毎秒0.159立米を補給します。


これにて、奥入瀬川南岸土地改良区の取材及び指久保ダムの取材見学は終了です。
見たいところはすべて見せて頂き大満足の見学となりました。
今回の取材見学については当ブログのほか(一財)日本ダム協会が発刊している月刊誌『ダム日本』にも掲載予定です。
今回の取材に対応していただいた青森県上北地域県民局地域農林水産部のダム担当様、指久保ダム管理人様および奥入瀬川南岸土地改良区の皆様には心より感謝を申し上げます。
指久保ダムは一般個人からの見学要請に対応しておりません。
今回はダムマイスターによる取材申し込みに対して特別のご配慮で見学が叶ったことを明記しておきます。

指久保ダム

2024-09-12 20:00:00 | 青森県
2022年10月23日 指久保ダム
2024年 7月26日
 
指久保ダムは左岸が青森県十和田市滝沢、右岸が三戸郡新郷村戸来の二級河川奥入瀬川水系後藤川にある灌漑目的のロックフィルダムです。
十和田湖を水源として青森県東部を横断して太平洋に注ぐ奥入瀬川は古くから流域の貴重な水源となってきました。
奥入瀬川右岸に当たる奥入瀬川南岸地区は奥入瀬川本流及び主要右支流である後藤川を取水源として農地開発が進められてきましたが、渇水による用水不足が常習化し安定した水源確保とかんがい排水設備の整備は地域農家の悲願となっていました。
これを受け1985年(昭和60年)より農林水産省の補助を受けた青森県営かんがい排水事業指久保地区が着手され、そのかんがい用水源として2011年(平成23年)に竣工したのが指久保ダムです。
運用開始後は青森県農林水産部が管理を受託し、奥入瀬川南岸土地改良区管内約900ヘクタールの水田に灌漑用水を供給しています。
ダム建設地点は十和田の火山活動による火山堆積物が堆積し特に右岸側では透水性の高い地質となっていました。
そこで建設に際して右岸上流面に全長372メートルのアースブランケットが、地山内には全長232.5メートルの連続地中壁が設けられるなど止水対策に重きが置かれています。

指久保ダム平面図(出典 県営かんがい排水事業指久保地区 事業概要書)

また、国営や県営の農業水利事業で建設されたダムは事業者が所有し、管理は関係自治体や土地改良区に委託するのが一般的ですが、指久保ダムについては完成後に奥入瀬川南岸土地改良区に移譲され管理は県が受託という珍しい形式となっています。
土地改良区が県営事業で建設されたダムを所有するというのは全国でも非常に珍しい事例です。
その後、2023年(令和5年)7月に利水放流を利用した指久保ダム小水力発電所(最大出力194キロワット)が増設されました。
こちらの事業者は奥入瀬川南岸土地改良区で、発電した電力はすべて売電され土地改良区の運営費用に充てられます。
 
指久保ダム構内は関係者以外立入り禁止となっており、ダム湖上流に架かる後藤川大橋から遠望するのみです。
2022年(令和4年)の初訪時は、ダム構内で撮影した画像を公開しないという条件で見学許可を頂きました。
その後2024年(令和6年)7月にダムマイスターとしての取材見学という形で再度訪問、この時には職員様同行でダムの監査廊内部や放流設備・小水力発電所などの見学が叶い、併せてブログへの写真掲載の許可もいただきました。
ここでの掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
また内部見学の詳細については『指久保ダム取材見学』の項をご覧ください。

まずはダム湖に架かる後藤川大橋へ
一見斜張橋のようですが、エクストラドーズド橋という斜張橋と桁橋の中間型となる型式で橋長230メートル、湖面からの高さは51メートルとなります。
(2022年10月23日)


後藤川大橋からダムを遠望
ダム中央に多段式取水塔、左手に管理事務所が見えます。
(2024年7月26日)


こちらはダム湖上流側の様子。
指久保ダムは灌漑期以外は水を抜き総貯水容量292万2000立米のうち堆砂容量85万2000立米分が貯留されているだけです。
初訪時は水が抜かれ上流側はご覧の眺め。
(2022年10月23日)

こちらは再訪時。
かんがい期のためインレットまで水が溜まっています。
(2024年7月26日)


この先はすべてダム構内、関係者以外立入り禁止エリアの写真となります。
左岸の管理事務所
365日職員さんが常駐されます。
(2024年7月26日)


左岸の横越流式洪水吐
試験湛水以来、豪雨等で越流したことはないそうです。
(2024年7月26日)


こちらは下流側。
斜水路手前にシルがあります。
(2024年7月26日)


減勢工を遠望
減勢工にも大きなシルがありその直下にはバッフルブロック
さらに下流にも背の低いシルが設けられています。
左手は放流設備と小水力発電所。
(2024年7月26日)


指久保ダムは後藤川のみならず山の北側の藤島川と小林川に藤島導水路を通じて補給します。
減勢工対岸の建屋は藤島導水路のゲートバルブ室。
(2022年10月23日)


天端からダム湖を超広角で撮影
こちらは初訪時でかんがい容量は抜かれ堆砂容量分だけ貯留されています。
(2022年10月23日)


取水塔と後藤川大橋。
こちらも初訪時の水が抜かれた状態。
(2022年10月23日)


再訪時のほぼ同じアングル
かんがい期なので上の写真と水位の違いがよく見て取れます。
(2024年7月26日)


右岸から下流面
奥は洪水吐斜水路
天端や地山には草が生えていますが、リップラップ上は非常にきれいな状態に保たれています。
(2022年10月23日)


左岸から上流面
見た目にはわかりませんが、右岸側(写真手前側)上流面は遮水処理のためアースブランケットが施工されています。
(2022年10月23日)


下流から。
こちらも立入り禁止エリアで一般には見れない眺めです。
(2024年7月26日)


減勢工と放流設備
放流設備向かって右手が旧来の放流設備、左手の放流口のあるのが2023年(令和5年)に運転開始した小水力発電所。
(2024年7月26日)


こちらは後藤川の山の北側を流れる小林川
藤島導水路からかんがい用水を補給します。
(2024年7月26日)


藤島川に架かる導水路管。
(2024年7月26日)


ダムを管理する青森県上北地域県民局地域農林水産部のご厚意により2度にわたりダム構内の見学が叶いました。
同局及び職員様には厚く御礼申し上げます。
ただし今回はあくまでもダムマイスターによる取材見学として対応していただきました。一般個人からの見学申請は一切受け付けていない旨明記しておきます。

(追記)
指久保ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、台風等の襲来に備え事前放流や水位低下運用を行う治水協定が締結されています。

0215 指久保ダム(1899)
左岸 青森県十和田市滝沢 
右岸  同県三戸郡新郷村戸来 
奥入瀬川水系後藤川 
 
 
37.8メートル 
200メートル 
2922千㎥/2070千㎥ 
青森県農林水産部
2011年
◎治水協定が締結されたダム

丸山ダム 見学会

2024-08-29 08:00:00 | ダム見学会
2024年5月29日 丸山ダム 見学会
 
5月25日(土)から5泊6日で木曽川流域のダム巡りを計画し、最終日の5月29日(水)に国土交通省が管理する丸山ダム(元)のダム見学会に参加しました。
丸山ダム(元)では毎週水曜日に事前予約により定員6名までの見学会を実施しており今回はこれに申し込みました。
ところが見学会2日前から東海地方ではまとまった雨となり、28日には豪雨と呼んでもおかしくない激しい雨脚となり、丸山ダム(元)ではピーク時に毎秒最大2400立米の放流が実施されました。
丸山ダム管理所のホームページには、ゲート放流の際には見学会は中止と記されており見学会が行われるのかやきもきしましたが、見学会の直前には放流量が毎秒600立米まで減ったことから無事開催される運びとなりました。
ここでは丸山ダム見学会の詳細についてご紹介してゆきたいと思います。

見学会開始前にダムの下流にある丸山ダム展望台・まるっとテラスおよび丸山大橋からダムを望みます。
こちらはまるっとテラスから
ダム左岸(向かって右)では転流工を建設中
右岸(向かって左)のエンジの建造物の下には新丸山発電所があります。


これは丸山大橋から
丸山大橋では駐車の自粛要請があるので駐車場からてくてく歩きました。
5門のクレストゲートから放流中。
これで毎秒600立米ですがそれでも激しい放流。未明には毎秒2400立米の放流が行われました。


ズームアップ。


左岸で建設中の転流工
ダム完成後は放流設備の放流口として活用されます。


午後1時から見学会が開始
まずは簡単なレクチャーから。
今回は我が家夫婦のほか男性2名の計4名。
gooブログを通じて知り合い『木曽川大堰ダム研見学会』でもご一緒したMさんも参加されました。

 
現在の丸山ダム(元)の諸元や目的、運用のほか新丸山ダム(再)建設についても説明がありました。
以下は新丸山ダム(再)建設の進め方。
これについては国土交通省新丸山ダム建設事務所ホームページに動画が掲載されているのでそちらも参照ください。








20分ほどのレクチャーのあと、管理支所屋上から説明を受けます。


上記のように新ダムは左岸側から施工されるため、左岸で掘削が行われています。


橋台が設置されているあたりには転流工の取水工が新設される予定。


ケーブルクレーンも架設済み。



管理支所での説明を終え、マイカーでダムの天端へと向かいます。
再開発工事中のダムの天端にマイカーで乗り付けるというのもなかなかできない経験。


まずはエレベーターで監査廊に下ります。


エレベーターを降り監査廊へ
階段がさらに続きますが今回はここまで。


監査廊では地元の酒蔵のお酒が貯蔵されています。


プラムライン。


昭和20年代のダムということで、各所で炭酸カルシウムが染み出しています。


こちらはミニ鍾乳石の様相。


エレベーターで天端に戻ります。
エレベーターには昔ながらの手動の蛇腹がついています。


あまり見かけない日立のロゴ。


極めつけは積載量の表記
キログラムは漢字で『瓩』、初めて見ました。


天端に戻りました。
ダムを施工した『間組』の銘板
今でこそ中堅ゼネコンに甘んじていますが、かつては『ダムの間』と呼ばれダム建設の第一人者でした。


ゲート部前面にはキャットウォーク(歩廊)が設置されています。
普段ならここからゲートを間近に見ることができたんですが、今回は放流中のため立ち入れません。




毎秒600立米まで減ったとはいえ、間近で見る放流はかなりの迫力、轟音もすごい。


ダムの下流
かつては橋の手前右岸側に管理支所がありました。 


ピア上の巻き上げ機を見上げます。
放流がなければこちらにも昇れたんですが、今回はお預け。


前日までの大雨でダム湖も濁りまくり
写真左手に関西電力の発電用取水工があります。
新ダム建設ではこの取水工も水没するため、奥の橋台部分に新しい取水工が建設されます。


左岸から見た歩廊
前面の円形のバルコニーは昭和20年代らしい造形。


左岸では新ダム建設の備え絶賛掘削中
上部の法面はかなり出来上がっています。


タンクのある場所が新ダムのダム軸。


眼下の重機群がまるでおもちゃのよう。


最後に記念写真。


国土交通省中部地方整備局管内で今年から配布が始まった『ダム印』
丸山ダムには通常バージョンと見学会用バージョンの2種類があります。


2016年(平成28年)以来8年ぶりの丸山ダムでした。
今回は放流中ということで通常の見学会とは異なるメニューとなましたが、むしろ間近で放流を見れる方が希少な体験だったと思います。
新丸山ダム(再)の完成は2036年(令和18年)と14年も先。
今後も再開発の進捗に合わせて見学会に参加したいと思います。

丸山ダム(元)

2024-08-28 08:00:00 | 岐阜県
2016年1月10日 丸山ダム(元)
2024年5月29日
 
丸山ダム(元)は左岸が岐阜県可児郡御嵩町小和沢、右岸が同県加茂郡八百津町八百津の一級河川木曽川本流にある国土交通省中部地方整備局が管理する多目的の重力式コンクリートダムです。
電力国家管理政策により木曽川水系の発電施設を接収した日本発送電(株)は包蔵水力豊富な木曽川での電源開発を進め、1943年(昭和18年)に丸山ダム及び丸山発電所の建設に着手しますが、戦況悪化により事業は中断。
しかし、戦後の電力不足を受け1950年(昭和25年)に工事が再開され、電気事業再編成により木曽川水系の発電施設を継承した関西電力(株)が建設事業を継承しました。
一方、ダムによる木曽川の洪水調節を企図していた建設省(現国土交通省)は丸山ダムに着目、1952年(昭和27年)より丸山ダム建設事業に参加し関西電力と建設省の共同事業として1955年(昭和30年)に丸山ダム(元)が完成しました。
丸山ダム(元)は建設省(現国土交通省)と関西電力(株)が共同管理する『兼用工作物ダム』として運用が開始され、最大毎秒1800立米の洪水をカットする一方、丸山発電所(最大12万5000キロワット)でのダム水路式発電が開始されました。
さらに1971年(昭和46年)には新丸山発電所(最大出力6万3000キロワット)が稼働し合計18万8000キロワットと一般水力発電では国内有数の発電量を誇るに至りました。
丸山ダム(元)は近代的建設技術を駆使しわが国初の堤高100メートル級ダムとして完成し、その後の巨大ダム建設に大きな影響を与え建設業界におけるエポック的存在となっています。

ダム運用開始以降幾多の豪雨においてその治水能力を発揮した一方で、日本有数の大河川である木曽川本流における治水目的を持つ唯一のダムとしての丸山ダム(元)の治水能力には懸念も多く、その再開発は早期から遡上に上っていました。
1983年(昭和58年)の台風10号により木曽川中下流部で多大な洪水被害が発生したことを契機にダム再開発機運は一気に高まり、途中民主党政権下での事業検証による遅延はあったものの、2021年(令和3年)より新丸山ダム(再)本体建設が着手されました。
これに合わせ従来の国土交通省と関西電力の共同管理を国土交通省直轄管理に改め、兼用工作物多目的ダムから特定多目的ダムに変更されました。
現在は2036年(令和18年)竣工をめどに建設が進められている途上で、竣工の暁には丸山ダム(元)の総貯水容量に匹敵する7200万立米の洪水調節容量を有し、最大毎秒2500立米の洪水カットが可能となるほか、新たに不特定利水容量が付加されるとともに発電能力の増強が行われる予定です。

丸山ダム(元)には2016年(平成28年)1月に初訪、2024年(令和6年)5月に再訪シ、この際に職員様案内によるダム見学に参加しました。
当記事前半は初訪時、後半は再訪時の紹介となっています。また、見学については別項の『丸山ダム見学』にて紹介していますのでそちらをご覧ください。

こちらは新丸山ダム(再)の完成予想図。
丸山ダム(元)の50メートル下流側に新ダムが建設されます。
新ダム建設の進め方については国土交通省新丸山ダム建設事務所ホームページに動画が掲載されているのでそちらを参照ください。

 
【2016年1月10日】
ダム下の県道358号線からダムと正対できます。
堤高は98.2メートルでわが国初の100メートル級のダムとして建設されました。
クレストにはローラーゲート5門を装備し最大毎秒4800立米の放流能力を持ちます。

 
ゲートをズームアップ
当初は大井ダムのような堤頂一杯にゲートを並べる構造が想定されていましたが、巨大ゲートの導入により5門のゲートに収まりました。
当ダム以降、それまで主流だった横並びのゲートで川を閉め切るダムは姿を消しました。
ピアにはアーチのデザインが採用されています。
前身の大同電力を指揮した福澤桃介はアールデコを好みましたが、これに敬意を表したのかも?

 
右岸展望台から
導流部の膨らみはちょっと中空ダムっぽい。

 
ダム湖右岸にある関西電力の取水工。
奥は丸山発電所、手前は新丸山発電所の取水工となります。

 
上流面。

 
天端
ゲートごとに金属製のグレーチングがありますが、これは予備ゲート嵌め込み用。

施工した間組の銘板
当時は『ダムの間』と呼ばれ、ダム建設における第一人者でした。

 
ゲート部前面にはキャットウォーク(歩廊)が架かっています。
半円形のバルコニーはいかにも昭和20年代といったフォルム。


減勢工は深い渓谷。

丸山蘇水湖と命名されたダム湖は総貯水容量7952万立米。

 
下流面。


【2024年5月29日】
ここからは2024年(令和6年)の再訪時の記事となります。
新ダム着工に合わせて新たに設けられた丸山ダム展望台・まるっとテラスから
前日までの大雨で訪問時は毎秒600立米を放流中。

 
これは新たに建設された丸山大橋から
初訪時に写真を撮った、ダム直下の県道はすでに通行禁止。

 
その県道を工事用ダンプが横切ります。

 
ダム左岸では転流工を建設中。
ダム完成後は放流設備の放流口となります。

 
右岸の新丸山発電所
巨大なガントリーが四つ足ロボットのようです。

まるっとテラスには各種石碑が移設されています。
これはダム建設を指揮した関西電力社長太田垣士郎の揮毫で、『静中動』とは見た目は静かながらもその内には機に応じて動くべく熱量が潜められているという意。 

 
右岸から
掘削や法面補強など新ダム建設工事が進行中。

 
天端から放流を見下ろす
毎秒600立米でもかなりの迫力、前夜のピークには毎秒2600立米の放流を行ったそうです。



 
新丸山ダム(再)の竣工は12年も先。
定期的に見学会が開催されているので、機会があればまた参加しようと思います。
 
(追記)
丸山ダム(元)にはには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
1084 丸山ダム(元)(0185)
左岸 岐阜県可児郡御嵩町小和沢
右岸 岐阜県加茂郡八百津町八百津
木曽川水系木曽川
FP
98.2メートル
260メートル
79520千㎥/38390千㎥
国土交通省中部地方整備局
1955年
◎治水協定が締結されたダム
--------------
1136 新丸山ダム(再)
左岸 岐阜県可児郡御嵩町小和沢
右岸 岐阜県加茂郡八百津町八百津
木曽川水系木曽川
FNP
118.4メートル
340.6メートル
131350千㎥/90220千㎥
国土交通省中部地方整備局
2036年竣工予定

大井ダム

2024-08-20 20:00:00 | 岐阜県
2016年1月 9日 大井ダム
2023年4月20日
2024年5月29日
 
大井ダムは左岸が岐阜県恵那市大井町、右岸が同県中津川市蛭川の一級河川木曽川本流にある関西電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
水量豊富で急流が多い木曽川では大正中期より木曽電気製鉄(株)による電源開発が進められていました。
1921年(大正10年)に同社を含む3社の合併により新たに大同電力(株)が誕生、電力王と呼ばれた福沢桃介指揮のもと同社は木曽川での電源開発に邁進し、同社初の発電ダムとして1922年(大正11年)に大井ダムが建設着手されます。
大井ダム建設事業はわが国初の本格的コンクリートダム建設事業であり、海外の先端技術を導入し機械化が進められ、関東大震災による資金不足や洪水による堤体流失などの障害を乗り越え1924年(大正13年)に無事竣工しました。
併せて建設された大井発電所も1925年(大正14年)に運用を開始、最大出力4万2900キロワット(のちに4万8000キロワットに増強)は当時のわが国発電所の最大出力を誇りました。
大井ダム建設の成功は大同電力のみならず、例えば東信電気による阿賀野川の鹿瀬ダムなど他の電力各社の電源開発にも大きな影響を与え、まさに戦前日本のダム建設の金字塔ともいえる事業となっています。
大井ダム・発電所をはじめ木曽川水系の大同電力の発電施設は配電統制令により日本発送電に接収されたのち、1951年(昭和26年)の電気事業再編成により関西電力(株)が事業継承し現在に至っています。
木曽川は中部電力(株)の営業管内ですが、日本発送電の分割に際しては発生電力はどの地域に供給されるか?という『潮流主義』が採用され、阪神地域への送電線網を持つ木曽川の発電施設はほぼ関西電力が受け継ぎました。
その後1983年(昭和58年)に新大井発電所(最大出力3万2000キロワット)が新設、1997年(平成9年)には大井発電所の出力が5万2000キロワットに増強され、大井ダムの発電能力は計8万4000キロワットとなっています。

大井ダムは日本初の本格的ダムとしての評価が高くダムおよび発電所は土木学会選奨土木遺産に、ダムはAランク、発電所はBランクの近代土木遺産および近代化産業遺産に指定されています。
またダムは日本ダム協会による日本100ダムに、ダム湖の恵那峡はダム湖百選に選ばれています。

大井ダムには2016年(平成28年)1月、2023年(令和5年)4月、翌2024年(令和6年)5月の3度訪問しています。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

先ずは2015年(平成17年)に完成した県道82号バイパスの東雲大橋から。
水面からの高さは80メートルあり、まるで空撮のようなアングルでダムを俯瞰できます。
ここから見ると大正期に木曽川を締め切るダム建設事業がいかに難工事だったかが容易に想像がつきます。 
ダムの背後にそびえるのは日本百名山の恵那山
(2023年4月20日)

3度目の訪問時は前日までの豪雨で水位が上昇し、21門全門からの放流を見ることができました。
かなり高い位置ですが放流の轟音が響きます。
(2024年5月29日)


堤体をズームアップ
21門のラジアルゲートで木曽川を締め切ります。
ゲートはもちろん関電ブラック。
湖面では浚渫船が稼働していますが、大井ダムの浚渫は川砂採取業者が行っています。
(2023年4月20日)

普段は穏やかな表情のダムも、全門放流となるとまるで暴れまわる竜のようです。
(2024年5月29日)


ダム下の東雲橋に移動します。
ここも大井ダム撮影の定番スポット
手前が1925年(大正14年)運用開始の大井発電所。
現在はピーク発電を行っていますが、訪問時岐阜県は気温30度に迫る季節外れの夏日。見学中の正午ちょうどに発電が開始されました。
右奥は新大井発電所でこちらは常時発電を行います。
(2023年4月20日)

(2024年5月29日)


木曽川左岸の阿木川合流点にあるのは中部電力(株)奥戸発電所
1921年(大正10年)竣工と大井発電所よりも歴史の古い発電所ですが、こちらは阿木川の水を利用した水路式発電所で大井ダムとの水利関係はありません。
(2023年4月20日)


発電所下流の支流和田川に流下する大井発電所のサージタンクからの余水吐流路。
擁壁や流路はすべて石積、石敷で竣工当時のものと思われます。
(2023年4月20日)


右岸発電所脇からサージタンクの下を通り天端へ向かいます。
サージタンクから大井発電所に伸びる水圧鉄管。
内径は306~370センチ、有効落差は42.42メートル。
(2023年4月20日)


大井ダムの特徴の一つ、エプロン直下のシュート。
ブロックを積み上げたような幾何学形状のシュートは大井ダムならでは。
さらに21番ゲートからの導流部も大きく転流する独特の形状。
(2023年4月20日)


右岸天端には各種記念碑や説明板が並びます。
こちらは福沢諭吉のレリーフで『独立自尊』の文字が刻まれています。
大同電力を率いた福沢桃介の義父であり、維新直後から水力発電による国家近代化を訴えた諭吉を顕彰しています。
(2023年4月20日)


こちらの記念碑には大井ダム・発電所建設事業に貢献した大同電力幹部、国内外技術者、さらに資金難に陥った大同電力に出資した海外投資家など13人のレリーフが嵌め込まれています。
(2023年4月20日)


左岸ダムサイトの新大井発電所取水ゲート
1983年(昭和58年)に増設されたためコンクリートやゲートは見た目にも新しい。
(2023年4月20日)

右岸から下流面
21門のゲートが並びます。
この後全国で建設される発電ダムの多くが大井ダムをモデルとしました。
(2023年4月20日)


左岸エプロン下のシュート。
減勢や河底洗堀防止目的ではありますが、染み出した錆色の骨材成分と相まってもはや芸術作品の領域。
(2023年4月20日)


新大井発電所の取水工
スクリーン上に除塵機が鎮座します。
(2023年4月20日)


天端は恵那峡遊歩道として開放されています。
大正期のダムということで照明や天端高欄の意匠も手が込んでおり、当時流行だったアールヌーボーやアールデコが多用されています。
(2023年4月20日)


天端から
右手に新大井・大井発電所
手前の橋が東雲橋、高架橋が東雲大橋。
(2023年4月20日)


右岸にある大井発電所取水工
背の高いクレーンは取水工周辺の浚渫用。
(2023年4月20日)


左岸から発電所・サージタンクを俯瞰
ここから見ると発電所やサージタンクの位置関係がよくわかります。
(2023年4月20日)


ズームアップ
撮影時は新旧発電所ともに運転中
発電所手前に擁壁がありますが、1983年(昭和58年)の台風10号により浸水被害が出たため、この擁壁が増設されました。
(2023年4月20日)


左岸ダムサイトから。
(2023年4月20日)

このブログでは一つのダムについては投稿写真を10枚超に抑えるようにしていますが、さすが大井ダム。
見どころが多く添付写真は20枚に膨らんでしまいました。
大井ダムだけに見どころも写真も『多い』…ちゃんちゃん・・・

(追記)
大井ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

1057 大井ダム(0180)
近代化産業遺産
左岸 岐阜県恵那市大井町
右岸  同県中津川市蛭川
木曽川水系木曽川
53.4メートル
275.8メートル
29400千㎥/9250千㎥
関西電力(株)
1924年
◎治水協定が締結されたダム

阿木川ダム

2024-08-19 20:00:00 | 岐阜県
2016年 1月 9日 阿木川ダム
2016年10月22日
2024年 5月29日 
 
阿木川ダムは岐阜県恵那市東野の一級河川木曽川水系阿木川にある水資源機構が管理する多目的のロックフィルダムです。
木曽川の主要支流である阿木川は沿岸の都市用水源となる一方、洪水被害も多く抜本的な治水・利水対策が求められてきました。
一方東濃地区の木曽川沿岸農地は木曽川に新規水利権を配分する余裕がなく慢性的な水不足に悩まされてきました。さらに、牧尾ダムを水源とする愛知用水事業も高度経済成長による水需要の急増に対し同ダムだけでは対応しきれず新たな水源確保が喫緊の課題となっていました。
1969年(昭和44年)に当時の建設省により阿木川への多目的ダム建設が採択され、のちに水資源開発公団(現水資源機構)が事業を継承、1981年(昭和56年)に本体着工、1990年(平成2年)に竣工したのが阿木川ダムです。
阿木川ダムは6月1日~10月15日の洪水期に最大毎秒730立米の洪水カットによる阿木川および木曽川の洪水調節、安定した河川流量の維持と木曽川沿岸の不特定利水への用水補給、岐阜県東濃地区への上水道用水の供給、愛知用水への上水・工水の供給を目的としています。
また利水放流を利用した阿木川ダム発電所で最大2600キロワットの管理用発電を行っています。
ダム湖の阿木川湖は地元恵那市民憩いの場としてレクリエーション施設が整備されダム湖百選に選ばれています。

愛知用水概要図(出典 水資源機構愛知用水総合管理所HP)


阿木川ダム容量配分図
(出典 水資源機構 阿木川ダム管理所HP)


阿木川ダムには2016年(平成28年)1月と10月、2024年(令和6年)5月の3度訪問、掲載写真にはそれぞれ訪問日時を記載しています。

ダム下から
2024年(令和6年)5月訪問時は前日までのまとまった雨を受けオリフィスゲートから最大毎秒195立米の放流が行われていました。
(2024年5月29日)

 
こちらは2016年(平成28年)10月。
堤頂部に5門の多彩なゲートを配しており、堤頂部で幅68メートルとかなり幅が広い導流部になっています。
(2016年10月22日)


真正面から。
(2024年5月29日)


ゲートをズームアップ
中央にオリフィスゲートとなる高圧ラジアルゲート1門、
その両側に常用洪水吐となるラジアルゲート2門、さらに両端に非常用洪水吐となるフラップゲート2門と特徴的なゲート配置となっています。
訪問時は中央のオリフィスゲートからの放流でした。
(2024年5月29日)


洪水吐ゲートのほか利水放流バルブとしてフィクストコーンバルブ1門、緊急放流バルブとして高圧スライドゲート1門を装備。
減勢工の下流にその放流口があります。
(2024年5月29日)


ダムの右岸を国道257号が通り、落葉期にはダムの下流がよく見えます。
(2016年1月9日)


天端は徒歩のみ開放、水資源機構管理ダムということで堤頂は2車線幅になっています。
(2024年5月29日)


洪水吐管理橋親柱のプレート
水資源開発公団になっています。
(2024年5月29日)


洪水吐はゲートに合わせて5つのラインになっています。
中央のオリフィスゲートから放流中。
(2024年5月29日)


減勢工の先でS字にクランクしそのまま阿木川として流下します。
(2024年5月29日)

堤頂長は362メートル
堤体は緩やかなアーチ状。
(2024年5月29日)

 
天端からの眺め
眼下には恵那市街、はるか彼方には御岳山が遠望できます。
(2016年1月9日)

 
総貯水容量4800万立米の阿木川湖
ダム湖百選に選ばれています
右手は選択取水設備。
(2024年5月29日)

 
左岸には水資源機構の文字。
(2024年5月29日)

 
左岸から下流面。
(2016年1月9日)

 
(2016年10月22日)

 
左岸ダムサイトの慰霊碑
斬新なデザインでぱっと見慰霊碑とは思えません。
(2024年5月29日)


ダム湖にかかる国道257号線阿木川大橋から遠望。
(2024年5月29日)


洪水吐をズームアップ
こちらから見るとゲート配置がよくわかります。
繰り返しになりますが、中央にはオリフィスゲートとなる高圧ラジアルゲートと予備ゲート
その両側に常用洪水吐となるラジアルゲート
両端には非常用洪水吐となるフラップゲート
本格的なダムの洪水吐にフラップゲートが装備されてるのは珍しい。
(2024年5月29日)

 
左岸の選択取水設備と隣接する艇庫とインクライン。
(2024年5月29日)

都合3度訪問しましたが、3度目の訪問では運よくオリフィスからの放流を見ることができました。
阿木川ダムでは10人以上が条件ですが、事前申し込みでダムの見学ができます。
できれば特徴的な洪水吐ゲートを間近で見てみたいものです。
 
(追記)
阿木川ダムにはには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
1127 阿木川ダム(0178)
岐阜県恵那市東野
木曽川水系阿木川
FNWI
101.5メートル
362メートル
48000千㎥/44000千㎥
水資源機構
1990年
◎治水協定が締結されたダム

読書ダム

2024-08-05 20:00:00 | 長野県
2015年11月22日 読書ダム
2024年 5月26日
 
読書(よみかき)ダムは長野県木曽郡大桑村野尻の一級河川木曽川本流にある関西電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
戦前の5大電力の一つで福沢桃介率いる大同電力(株)は急流かつ水量豊富な木曽川に着目し1920年代以降、次々と発電所を建設します。
読書発電所もその一つで1923年(大正12年)に運用が開始され、当初は最大4万700キロワットの水路式発電を行っていました。
木曽川流域の発電施設は電力国家管理政策による日本発送電(株)の接収を経て1951年(昭和26年)の電気事業再編成で関西電力が事業継承します。
同社は戦後の電力不足に対応するため各所で活発な電源開発を進めますが、とりわけ包蔵水力豊富な木曽川水系では既設発電施設の再開発や新規電源開発が積極的に展開されました。
その一環として1960年(昭和35年)に完成したのが読書ダムで、その完成により取水量が大幅アップした読書発電所では発電機が増設され発電能力は従来の2倍以上となる最大11万7100キロワットに増強されました。
2011年(平成23年)には読書ダムの河川維持放流を利用した大桑野尻発電所(最大出力490キロワット)が運用を開始しますが、同発電所は同社として河川維持放流を利用した初の小水力発電所となります。
また読書発電所は大正期の発電所の形態をほぼ完全に残す貴重な建設物として1994年(平成6年)に稼働中の発電所としては初めて重要文化財の指定を受けたほか、Bランクの近代土木遺産に選定されています。

読書ダム構内は関係者以外立入り禁止ですが、左岸ダム下流側から堤体を眺めることができます。
堤頂長293.8メートルの過半は左岸段丘上に伸び、見えている洪水吐はダムの一端に過ぎません。

 
洪水吐は関電ブラックのラジアルゲート5門を装備、左岸側(向かって右手)1門の減勢工のみ導流壁で隔てられています。


扶壁、下流側の鋼板に目が行きます。
どういう役割なんでしょう? 


左岸から
堤体越しに延びる水管は後付けの河川維持放流設備
2011年(平成23年)には維持放流を利用した大桑野尻発電所が新設されました。

 
大桑野尻発電所をズームアップ
関西電力としては初の河川維持放流を活用した小水力発電所となります。


さらに引いた位置からダム全景を眺めます。
上記のように堤頂長293.8メートルの過半は左岸段丘上に伸び、洪水吐部分と段丘部の境界で堤体は『く』の字に折れています。

 
屈曲部をズームアップ
下流側に突き出るように折れておりいわゆる『カド』になります。
対岸には読書発電所への取水ゲートが2門あります。

 
大桑野尻発電所の竣工記念碑。

 
ダムの右岸に移動しますが、構内は立入り禁止のためフェンス越しの見学。
読書発電所への取水ゲートが2門。


上流面。


後付けの河川維持放流用取水工。


ダムの下流約8キロにある読書発電所。
こちらは1923年(大正12年)運用開始の1~3号機建屋で現役の発電所としては初めて重要文化財に指定されました。


円形の窓など当時ヨーロッパで流行していたアールデコが多用され、同様のデザインは桃山発電所や大井ダムでも踏襲されます。


重要文化財指定を受けた読書発電所の説明板。


1923年(大正12年)の読書発電所竣工記念碑
碑文には『流水有方能出世』(りゅうすいほうありよくよにいず)とあります。
これは『流水は方法によって電気にすることができ、世の中の文明を開くことができる』 との意(出典 関西電力ホームページ)。


(追記)
読書ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

1012 読書ダム(0059)
長野県木曽郡大桑村野尻
木曽川水系木曽川
32.1メートル
293.8メートル
4358㎥/2677㎥
関西電力(株)
1960年
◎治水協定が締結されたダム

小沢溜池

2024-07-25 20:00:00 | 岐阜県
2016年10月22日 小沢溜池
2024年 5月26日
 
小沢溜池は左岸が岐阜県恵那市長島町鍋山、右岸が同市岩村町飯羽間の木曽川水系阿木川左支流湯壺川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
恵那市長島町・三郷町・武並町にまたがる恵那中部地区は土岐川左岸の台地に農地が展開しますが、水利に乏しく小規模な営農を余儀なくされ安定した灌漑用水源の確保とかんがい排水設備の整備は地域住民の悲願となっていました。
こうした状況を受け、1956(昭和31年)に岐阜県営農地開発事業恵那中部地区が着手され、その灌漑用水源として建設されたのが小沢溜池です。
小沢溜池は恵那中部地区からは鍋山を挟んだ山の南方に位置し、鍋山隧道により山を貫通し同地区約400ヘクタールの水田言灌漑用水を供給します。
管理は受益農家で組織された小沢ため池管理組合が受託しています。
1990年(平成2年)に下流に水資源機構の阿木川ダムが完成しますが、上記のように小沢溜池の水は鍋山隧道経由で送水されるため、両ダム間では直接的な水のやり取りはありません。
小沢溜池には2016年(平成28年)10月に初訪、2024年(令和6年)5月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

阿木川ダム湖に掛かる国道257号線の湯壺橋南詰から林道を西に向かうと小沢溜池に到着します。
まずは下流から
小沢溜池の竣工記念碑。

 
天端と下流面。
草でわかりづらいんですが下流面は石で覆われています。

 
上流面、対岸に洪水吐があります。

 
右岸の取水設備。


 
堤体上流面の階段
上流面は城の石垣のように石がきれいに積まれています。

 
左岸の洪水吐。

 
下流に回り込んでみます。
左岸には取水設備からの導水路があり右岸の洪水吐導流部と合流します。
手前の導水管は受益地への水路で阿木川ダムをバイパスしトンネルで山を抜けます。

 
取水設備からの導水路吐口。
ここにゲートがあるのは意味があります。

 
ここで受益地への導水管(2枚上の写真手前の導水管)が分岐しておりこのゲートで水量を調節します。

 
天端と下流面。
草でわかりづらいんですが下流面は石で覆われています。

 
上流面、対岸に洪水吐があります。

 
右岸の取水設備。

 
下流の眺め。

 
堤体上流面の階段
上流面は城の石垣のように石がきれいに積まれています。

 
左岸の洪水吐。

 
下流に回り込んでみます。
左岸には取水設備からの導水路があり右岸の洪水吐導流部と合流します。
手前の導水管は受益地への水路で阿木川ダムをバイパスしトンネルで山を抜けます。

 
取水設備からの導水路吐口。
ここにゲートがあるのは意味があります。

 
ここで受益地への導水管(2枚上の写真手前の導水管)が分岐しておりこのゲートで水量を調節します。

 
1103 小沢溜池(0665)
ため池コード 212100200 
左岸 岐阜県恵那市長島町鍋山
右岸     同市岩村町飯羽間
木曽川水系湯壺川
32メートル
141メートル
946千㎥/925千㎥
小沢ため池管理組合
1965年(ダム便覧)
1967年(現地記念碑)

岩村ダム

2024-07-24 20:00:00 | 岐阜県
2016年1月 9日 岩村ダム
2024年5月26日
 
岩村ダムは岐阜県恵那市岩村町富田の一級河川木曾川水系富田川にある岐阜県県土整備部が管理する多目的の重力式コンクリートダムです。
富田川は上流域が急流且つ土砂流出量が多いため出水が多く、抜本的な治水対策が求められていました。
一方、生活様式の近代化による水道需要増加を受け旧岩村町では水道事業整備のため安定した上水用水源の確保が課題となっていました。
こうした状況を受け岐阜県は1986年(昭和61年)に富田川最上流部への多目的ダム建設を採択し、1993年(平成5年)に本体工事着手、1997年(平成9年)に竣工したのが岩村ダムです。
岩村ダムは建設省(現国土交通省)の補助を受けた補助多目的ダムで、富田川の洪水調節(最大毎秒20㎥の洪水カット)、安定した河川流量の維持と既得灌漑用水への補給、岩村町(現恵那市岩村町)への浄水府道用水の供給を目的としています。
岩村ダムには2016年(平成28年)1月に初訪、2024年5月に再訪しました。
掲載写真はすべて再訪時のものとなります。
 
恵那市岩村町富田の国道363号線から富田川沿いの町道を約3キロ、車で10分ほど走ると岩村ダムに到着します。
途中でダム下に至る管理道路が分岐しますが関係者以外立入り禁止、下流からダムを見るすべはありません。
洪水吐はクレスト1門、オリフィス1門のゲートレスダム。

 
右岸ダムサイトの説明板。

 
同じくダムの竣工記念碑。
このほかダム湖の『三森山湖』と書かれた石碑があります。

 
天端は徒歩のみ開放。

 
高欄のプレート
『公共岩村多目的ダム』という表記が珍しい。


右岸の管理事務所
委託職員さんが常駐されています。

 
天端から減勢工を見下ろす。
減勢工左側にダムにビルトインされたに放流設備があり2門の放流バルブがら放流中。


『三森山湖』と命名されたダム湖は総貯水容量僅か18万立米
貯水池のサイズからてっきり生活貯水池ダムかと思っていましたが、事業採択が1986年(昭和61年)ということで正々堂々の補助多目的ダム。
ちなみに三森山はダムの東南東約1.4キロにある標高1101メートルの山で、ダムのすぐ上流が登山口となります。

 
左岸から下流面。


通常艇庫はダム湖畔にあるのですが、このダムはスペースの関係で左岸ダムサイトにあります。

 

 
上流面。
中央に選択取水設備、右奥は管理事務所。

 
上流から
取水設備建屋は変形六角形のちょっと特徴的な形。

 
ダムに向かう途中の道路わきにはこんな標石が。


恵那の岩村と聞けば真っ先に想起するのが『女城主の城』として知られる岩村城
ダムから西方約2キロの山上にあります。
実は私の故郷は奈良県高取町で町内には高取城があります。
岩村城、高取城ともに日本三大山城の一つとなっており、その点で旧岩村町は非常に親近感を覚える町となっています。
 
(追記)
岩村ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
2952 岩村ダム(0177)
岐阜県恵那市岩村町富田
木曽川水系富田川
FNW
35.8メートル
144メートル
180千㎥/160千㎥
岐阜県県土整備部
1997年
◎治水協定が締結されたダム