ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

水内ダム

2020-06-25 12:00:00 | 長野県
2015年11月 7日 水内ダム
2020年 6月21日
 
水内(みのち)ダムは長野県長野市信州新町水内の信濃川水系犀川下流部にある東京電力リニューアブルパワーが管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
信濃川の最大支流である犀川(梓川)本支流では北アルプスが生み出す豊富な水量や急流に着目して戦前より各河川で電源開発が進められました。犀川本流の生坂村から長野市に至る部分は渓谷と蛇行を繰り返し『犀峡』と呼ばれていますが、ここでは当時千曲川や高瀬川で電源開発を進めていた東信電気が犀川電力を設立して水利権を獲得、1939年(昭和14年)より水内ダム・発電所建設に着手しました。
しかし着工直後に電力国家統制法が成立、東信電気は1941年(昭和16年)に日本発送電に接収され解散、水内ダム・発電所建設事業も日本発送電が引き継ぎ1943年(昭和18年)に竣工しました。
戦後の経済復興による電力不足解消のため日本発送電は犀川でのさらなる電源開発を推進し、水内ダム下流に2基のダム・発電所の建設を目論みますが、1951年(昭和26年)の電力事業再編政令により同社は解体され犀川流域の発電事業の大半は東京電力が継承しました。
新たに誕生した東京電力は1954年(昭和29年)に笹平ダム・発電所を完成させ、さらに同年小田切ダム・発電所、1957年(昭和32年)に平ダム・発電所、1964年(昭和39年)には生坂ダム・発電所が運用を開始し、現在は5基の発電所で合計最大9万9600キロワットの発電能力を持つに至っています。
水内ダムは5基の発電ダムの中では最古参で唯一ダム水路式発電を行っており、水内ダムで取水された水は約1.7キロの導水路で水内発電所に送られ最大3万1400キロワットの発電を行っています。
1978年(昭和53年)には水内ダム上流に犀川総合制御所が設置され、5発電所は一括遠隔操作が行われています。
なお2020年(令和2年)の東京電力ホールディングスの組織改編により水内ダム・発電所をはじめとした犀川流域の東京電力の発電施設はすべて同社の100%子会社である東京電力リニューアブルパワー(株)に移管されました。
 
長野市街から国道19号を松本方面に向かい、小田切ダム、笹平ダムをやり過ごしたのち、道の駅『信州新町』を過ぎるとすぐ左手に水内ダムが見えてきます。
笹平ダムには2015年(平成27年)11月に初めて訪問、2020年6月に再訪しました。
国道19号線脇から
クレストにはラジアルゲートが14門並び、右岸3門は川岸護岸目的でシュート部分が高く作られ下流まで長く伸びています。
(2020年6月21日)
 
左岸の沈砂池(2020年6月21日)
 
発電用取水ゲート
犀川の東電5ダムの中では唯一ダム水路式発電を行っており、ここから約1700メートルの導水路で水内発電所に送られます。
(2020年6月21日)
 
ピアにかけられた管理橋は一般に開放されています。
ピアにはゲート巻き上げ機がずらりと並びます。
 
右岸3門のシュート部
護岸のため水叩きが厚く作られています。
(2020年6月21日)
 
右岸から(2020年6月21日)
 
オーソドックスな発電ダムのスタイル。
(2020年6月21日)
 
右岸上流から
対岸に取水口が見えます。
 
取水口と取水ゲートをズームアップ
(2020年6月21日)
 
上流から
ダム湖は琅鶴湖(ろうかくこ)と名付けられています。
 
最初の訪問時は水面が穏やかでダムが綺麗に写り込んでいました。
 
(追記)
水内ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。  
 
0993 水内ダム(0046) 
長野県長野市信州新町水内
信濃川水系犀川
25.3メートル
185.2メートル
4248千㎥/1220千㎥
東京電力リニューアブルパワー(株)
1943年
◎治水協定が締結されたダム

笹平ダム

2020-06-25 11:10:00 | 長野県
2015年11月 7日 笹平ダム
2020年 6月21日
 
笹平ダムは長野県長野市七二合の信濃川水系犀川下流部にある東京電力リニューアブルパワーが管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
信濃川の最大支流である犀川(梓川)本支流では北アルプスが生み出す豊富な水量や急流に着目して戦前より各河川で電源開発が進められますが、これらの発電施設の大半は1939年(昭和14年)の電力国家統制法により日本発送電に接収されました。
犀川本流の生坂村から長野市に至る部分は渓谷と蛇行を繰り返し『犀峡』と呼ばれていますが、ここでも1939年(昭和14年)から日本発送電による電源開発が進められ、1943年(昭和18年)に水内ダム及び発電所が完成しました。
戦後の経済復興による電力不足解消のため日本発送電は犀川でのさらなる電源開発を推進し、水内ダム下流に2基のダム・発電所の建設を目論みますが、1951年(昭和26年)の電力事業再編政令により同社は解体され犀川流域の発電事業の多くは東京電力が継承しました。
犀川本流での東京電力初の事業として1952年(昭和27年)に着工、1954年(昭和29年)5月に完成したのが笹平ダムと笹平発電所です。
笹平発電所は東京電力初の半地下式発電所として建設され、最大1万4700キロワットのダム式水力発電を行っています。
さらに笹平ダム・発電所に遅れること3カ月で小田切ダム・発電所が、さらに1957年(昭和32年)に平ダム・発電所、1964年(昭和39年)には生坂ダム・発電所が運用を開始し、現在は5基の発電所で合計最大9万9600キロワットの発電能力を持つに至っています。
1978年(昭和53年)には犀川総合制御所が設置され、5発電所の一括遠隔操作が開始されました。
なお2020年(令和2年)の東京電力ホールディングスの組織改編により笹平ダム・発電所をはじめとした犀川流域の東京電力の発電施設はすべて同社の100%子会社である東京電力リニューアブルパワー(株)に移管されました。
 
笹平ダム湖では1985年(昭和60年)に日本福祉大学の学生を乗せた三重交通のスキーバスが転落、25人の犠牲者を出す悲惨な事故が起きており、湖畔には事故の慰霊碑が建てられています。
 
長野市街から国道19号を西進、小田切ダムから約4キロ進むと笹平ダムに到着します。
笹平ダムには2015年(平成27年)11月に初めて訪問、2020年6月に再訪しました。
 
ダム左岸に遊歩道が整備され、下流からダムを見ることができます。
クレストにはラジアルゲートが8門並び、ゲートピアに巻き上げ機が並んでいます。
 
ダム左岸に取水ゲートと笹平発電所があります。
東京電力としては初めて採用された半地下式発電所です。
 
上流側から見た左岸の取水ゲート。
 
沈砂池。
 
2度目の訪問時は発電所改修工事のため沈砂池には水がありませんでした。
(2020年6月21日)
 
上流から
手前に発電用取水口のスクリーンがあります。
 
ほぼ同じアングルで2度目の訪問時の写真です
発電所改修工事のためダムのゲートはすべて開けられダム湖の水位は下げられています。
(2020年6月21日)
 
天端は開放されています。
発電所改修工事のためゲートはすべてフルオープン
天端下流側にゲートが並ぶ、普段は見られない貴重なショットとなりました。
(2020年6月21日)
 
右岸上流から
水位が下がっているので左岸の取水口スクリーンがよく見えます。
(2020年6月21日)
 
フルオープンのゲート
(2020年6月21日)
 
2度目の訪問では発電所改修工事のため、ゲートがすべて開けられダム湖の水位が下がった貴重な光景を目にすることができました。
ただ、工事中のためダム下流の遊歩道が立ち入り禁止となり、取水ゲートフルオープンの眺めを下流側から見れなかったのは残念です。
 
(追記)
笹平ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。  
 
1004 笹平ダム(0042) 
長野県長野市七二会
信濃川水系犀川

19.3メートル
113.3メートル
2755千㎥/493千㎥
東京電力リニューアブルパワー(株)
1954年
◎治水協定が締結されたダム

小田切ダム

2020-06-25 10:00:00 | 長野県
2015年11月 7日 小田切ダム
2020年 6月21日
 
小田切ダムは長野県長野市塩生甲の信濃川水系犀川下流部にある東京電力リニューアブルパワーが管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
信濃川の最大支流である犀川(梓川)本支流では北アルプスが生み出す豊富な水量や急流に着目して戦前より各河川で電源開発が進められますが、これらの発電施設の大半は1939年(昭和14年)の電力国家統制法により日本発送電に接収されました。
犀川本流の生坂村から長野市に至る部分は渓谷と蛇行を繰り返し『犀峡』と呼ばれていますが、ここでも1939年(昭和14年)から日本発送電による電源開発が進められ、1943年(昭和18年)に水内ダム及び発電所が完成しました。
戦後の経済復興による電力不足解消のため日本発送電は犀川でのさらなる電源開発を推進し、水内ダム下流に2基のダム・発電所の建設を目論みますが、1951年(昭和26年)の電力事業再編政令により同社は解体され犀川流域の発電事業の多くは東京電力が継承しました。
新たに誕生した東京電力は1954年(昭和29年)5月に笹平ダムと笹平発電所、ついで同年8月に小田切ダムと小田切発電所を建設し運用を開始しました。
小田切発電所では最大1万6900キロワットのダム式水力発電を行っています。
さらに1957年(昭和32年)に平ダム・発電所が、1964年(昭和39年)には生坂ダム・発電所が運用を開始し、5基の発電所で計最大9万9600キロワットの発電能力を持つに至っています。
1978年(昭和53年)には犀川総合制御所が設置され、5発電所の一括遠隔操作が開始されました。
なお2020年(令和2年)の東京電力ホールディングスの組織改編により小田切ダム・発電所をはじめとした犀川流域の東京電力の発電施設はすべて同社の100%子会社である東京電力リニューアブルパワー(株)に移管されました。 
 
一方犀川流域の善光寺平や川中島では古くから犀川を灌漑用水源とし流域には多くの灌漑用取水堰が設置されていました。ところが犀川の河床低下による取水困難が深刻化し、これら取水堰の合口化による安定した灌漑用水確保が悲願となっていました。
そこで長野県は小田切ダム建設にあわせて1953年(昭和28年)に善光寺川中島平農業水利改良事業に着手、犀川左岸の小田切発電所放流路及び小田切ダム湖右岸にそれぞれ灌漑用取水口が設けられ、善光寺川中島平土地改良区連合の計1455.36ヘクタールの農地への慣行水利権としての灌漑用水の補給も行うことになりました。
小田切ダムの目的は発電のみとなっていますが、実質的には犀川流域への安定した灌漑用水の補給も併せ持ち、流域農家にとっては貴重な存在となっています。
 
小田切ダムには2015年(平成27年)11月に初めて訪問、2020年6月に再訪しました。
長野市街から国道19号長野南バイパスを西進、小松原トンネルを抜け小松原トンネル西交差点を右折すると左手に小田切ダムが現れます。
ダム直下両郡橋から
右手(左岸)は小田切発電所の放流口で、この奥に半地下式の小田切発電所があります。
発電所が運転中でダムのゲートがすべて閉まる一方発電所からの放流水が勢いよく流下してゆきます。
 
こちらは2度目の訪問時
前日の雨で水位が増し、ダム中央の2門から放流されています。
写真では分かりませんが、放流ゲートの手前に善光寺川中島平土地改良区連合向け取水口があります。
今回は発電に使用した放流水は灌漑用水補給に回しており、放流ゲートは閉じられたままでした。
(2020年6月21日)
 
ダム下流から
9門のラジアルゲートが並ぶ様はいかにも発電用ダムと言った風。
(2020年6月21日)。
 
ゲート直下にはコンクリートで水叩きが設置されています。
右岸(向かって左)1門だけ導流部が高くなっていますが、これは放流の際の河岸へのダメージを減少させるためと思われます。
 
水位上昇を受けで中央2門が開放されています。
(2020年6月21日)。
 
右岸に回り込みます
ラジアルゲートをズームアップ。
 
右岸上流側から
 
発電所の取水ゲート。
 
これはダム湖右岸にある灌漑用取水口。
善光寺川中島平土地改良区連合向け取水口は左右両岸にあります。
(2020年6月21日)
 
左岸高台から
奥からダムゲート、取水ゲート、手前の建物は管理事務所。
(2020年6月21日)
 
取水ゲートと沈砂池
ゲート左手に除塵装置があります。
(2020年6月21日)
 
小田切発電所。
ひと足早く完成した上流の笹平発電所同様半地下式になっています。
 
善光寺川中島平土地改良区連合の水利使用標識
(2020年6月21日)
 
最初の訪問はダム巡りを始めたばかり、水力発電所の仕組みもよくわからない中での見学でした。
4年半の時を越え、2度目の訪問で納得のゆく見学ができました。
 
(追記)
小田切ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。  
 
1003 小田切ダム(0041) 
長野県長野市塩生
信濃川水系犀川
21.3メートル
143メートル
2546千㎥/1290千㎥
東京電力リニューアルブルパワー(株)
1954年
◎治水協定が締結されたダム

美和ダム(元)

2017-08-09 12:00:00 | 長野県
2015年11月3日 美和ダム(元)
2017年  8月5日
 
美和ダムは長野県伊那市高遠町勝間の天竜川水系三峰川中流部にある国交省中部地方整備局天竜川ダム統合管理事務所が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
南アルプスの仙丈ヶ岳に源を発し南アルプス西側を大きく蛇行したのち北上、伊那市で天竜川に注ぐ三峰川は、全長56.8キロ、流域面積481.4平方キロの一級河川で天竜川最大規模の支流です。
源流部は糸魚川静岡構造線、上中流域は中央構造線と重なる土砂崩落常襲地帯となっているうえ、集水域は年間降水量が2000ミリ前後の多雨地帯となっています。そのため古来より大量の土砂流出を伴った洪水被害が頻発、ときにはその災禍が天竜川本流に及ぶことも多々ありました。
1941年(昭和16年)に長野県により『三峰川河水統制事業』が計画されるも戦争激化により中断しますが、1947年(昭和22年)に襲来したカスリン台風により三峰川流域で壊滅的な洪水被害が発生したことで、県は三峰川河水統制事業再開に向けて動き出しました。
その後1950年(昭和25年)の国土総合開発法成立により、天竜川流域は治水・灌漑・電源開発を中心とした『天竜奥三河特定地域総合開発計画』に指定されたことで、三峰川の河川開発は県から建設省に移管されることになりました。
建設省は新たに『第1次三峰川総合開発事業』を採択し三峰川中流域への多目的ダム建設を決め、1952年(昭和27年)に着工され1959年(昭和34年)に竣工したのが美和ダムです。
しかし美和ダム完成2年後の1961年(昭和36年)6月のいわゆる三六水害では長時間による豪雨継続でダムの洪水調節容量を超える水が流入し長時間にわたり洪水調節機能を喪失しました。
さらに上流からの大量の土砂流入により計画を越える堆砂が進み、洪水調節機能に深刻な影響を与え始めました。
そこで建設省は三峰川において新たな多目的ダム『戸草ダム』の建設と美和ダムの堆砂を掘削して貯水容量を確保する『第2次三峰川総合開発事業』および天竜川支流小渋川への多目的ダム建設を軸とする『小渋川総合開発事業』を採択します。
このうち小渋ダムは1969年(昭和44年)に竣工しますが、戸草ダム建設は2012年(平成24年)の検証により事業中止が決定しました。
一方美和ダムの貯水容量拡大を目的とする『美和ダム再開発事業』は2000年(平成12年)からスタートし、洪水時の排砂目的のバイパストンネル(三峰川トンネル)やバイパストンネルに土砂を誘導させる分派堰(三峰堰)など施設の大半はすでに完成しています。
再開発事業は2023年(令和5年)の竣工に向けて最終段階に差し掛かっています。
美和ダムには16020万立米の洪水調節容量が設定されていますが、近年頻発する豪雨災害に備えて2020年(令和2年)より豪雨の際に事前放流を行う治水協定が締結され、基準降雨量330ミリの雨が予想される場合には事前放流によりさらに218万9000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
美和ダムは三峰川および小渋ダムと連携しての天竜川の洪水調節、伊那市三峰川両岸の農地2512ヘクタールへの灌漑用水の供給、長野県企業局美和発電所での最大出力1万2200キロワットのダム式発電を目的としており、国交省中部地方整備局天竜川ダム統合管理事務所によって小渋ダムと一体管理されています。
また美和ダム下流では美和ダム建設に合わせて長野県企業局が高遠ダムを建設、美和発電所の逆調整池としての機能を果たすほか、灌漑用水の供給と春近発電所での水力発電を行っています。
 
美和ダムには2015年(平成27年)11月に初めて訪問、2017年(平成29年)に再訪しました。 
高遠から国道152号を南下すると正面に美和ダムが見えてきます。
非常用洪水吐としてクレストにラジアルゲート1門、常用洪水吐としてオリフィスにラジアルゲート2門を装備しています。
(2017年8月5日)
 
バイパストンネル吐口。
 
堤体直下は園地になっています。
 
天端
左岸高台のプラント跡地はかつて展望台として開放されていましたが現在は立ち入りできません。
(2017年8月5日)
 
ゲート操作室。(2017年8月5日)
 
ダム湖(美和湖)は総貯水容量2995万2000立米。
ダム湖百選に選ばれています。
(2017年8月5日)
 
減勢工と長野県企業局美和発電所。(2017年8月5日)
 
左岸のインクラインの遺構。
現在は右岸に新しい艇庫が設置されこれは使われていません。(2017年8月5日)
 
下流面
左岸側が緩やかに湾曲しています。(2017年8月5日)
 
右岸から。
堆砂が進み湖岸はビーチ。
 
ゲートをズームアップ
左側のオリフィスだけ予備ゲートが見えます。
ゲート左側は取水設備。
 
ダム湖上流の吊橋。(2017年8月5日)
 
分派堰の三峰堰
対岸にバイパストンネル呑口があります。(2017年8月5日)
 
上流から三峰堰。(2017年8月5日)
 
バイパストンネルゲート。(2017年8月5日)
 
現在ストックヤード(湖内堆砂対策施設)が建設中。(2017年8月5日)
 
バイパストンネル入り口の魚道。(2017年8月5日)
 
追記
美和ダムには洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらなる洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1010 美和ダム(元)(0038)
長野県伊那市高遠町勝間
天竜川水系三峰川
FAP
69.1メートル
367.5メートル
29952千㎥/20745千㎥
国交省中部地方整備局
1959年竣工
◎治水協定が締結されたダム
--------------
2963 美和ダム(再)
長野県伊那市高遠町勝間
天竜川水系三峰川
FAP
69.1メートル
367.5メートル
29952千㎥/20745千㎥
国交省中部地方整備局
1987年~
2023年再開発事業竣工予定

高遠ダム

2017-08-09 10:00:00 | 長野県
2015年11月3日 高遠ダム
2017年  8月5日
 
高遠ダムは長野県伊那市高遠町勝間の天竜川水系三峰川中流部にある長野県企業局が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
三峰川は流路延長56.8キロ、流域面積481.4平方キロの一級河川で天竜川最大の支流です。源流部は糸魚川静岡構造線、上中流域は中央構造線と重なる土砂崩落常襲地帯となっているうえ、集水域は年間降水量が2000ミリ前後の多雨地帯となっています。そのため古来より大量の土砂流出を伴った洪水被害が頻発、ときにはその災禍が天竜川本流に及ぶこともありました。
戦後、建設省により『第1次三峰川総合開発事業』が採択され、その中核して多目的ダムである美和ダムの建設が決定しました。
これに合わせて長野県が美和ダム下流に建設を進めたのが高遠ダムで、美和ダムと同じ1952年(昭和27年)に本体工事に入り、美和ダムに先駆け1958年(昭和33年)に竣工しました。
高遠ダムは美和ダム直下の長野県企業局美和発電所の放流水の逆調整池として三峰川下流の河川流量を安定させるほか、下流2500ヘクタールへの灌漑用水の供給、長野県企業局春近発電所での最大出力2万3600キロワットの発電を目的としています。
さらに2017年(平成29年)に河川維持放流を利用して最大199キロワットの発電を行う高遠さくら発電所が増設されました。
ダム湖の高遠湖はダム湖百選に選ばれ、桜や紅葉の名所として高遠観光の人気スポットの一つになっています。
 
高遠ダムには2015年(平成27年)11月に初めて訪問、2017年(平成29年)に再訪しました。
国道152号線高遠橋北交差線から県道211号を南に向かうと高遠ダムに到着します。
ダム管理事務所は高遠歴史博物館や絵島囲屋敷に隣接しています。
ダムのすぐ下流にある白山橋からダムと正対できます。
 
再訪時に再び白山橋から
向かって左(ダム右岸)に高遠さくら発電所が増設されました。
(2017年8月5日)
 
高遠さくら発電所をズームアップ。(2017年8月5日)
 
右岸から。(2017年8月5日)
 
左岸から
対岸は管理事務所。
 
春近発電所への取水ゲートと沈砂池。(2017年8月5日)
 
左岸上流から
上流側に歩廊があります。(2017年8月5日)
 
高遠湖上流から
背後の白山橋とのバランスが素晴らしい。(2017年8月5日)
 
1011 高遠ダム(0037)
長野県伊那市高遠町勝間
天竜川水系三峰川
AP
30.9メートル
76.1メートル
2310千㎥/500千㎥
長野県企業局
1958年

大沼池

2017-08-08 20:00:00 | 長野県
2015年11月23日 大沼池
2017年 8月 5日
 
大沼池は長野県東筑摩郡麻績村聖の信濃川水系宮川源流部にあるアースダムです。
1960年代より聖高原一帯の山林を別荘地として開発分譲する聖高原総合開発事業が着手され、その水源の確保のために宮川をせき止めて1963年(昭和38年)に竣工したのが大沼池です。
ダム湖は公募によって『すずらん湖』と命名され、現地では『すずらん湖』の呼び名の方がよく知られています。
運用開始後は麻績村が管理を行っており、上水道用水と灌漑用水の水源となっています。
大沼池には2015年(平成27年)11月に初めて訪問し、2017年(平成29年)8月に再訪しました。
 
国道403号線沿いにある観光名所の聖湖から別荘地内を走る県道501号線を西進し、最初の分岐を左に取ると大沼池に到着します。
大沼池の案内板。
ハイドロック・カーテンクラウトという特殊工法で建設されたとありますが、ネットで検索すると他には見当たらずどういう工法かは不明です。(2017年8月5日)
 
右岸から
手前の橋が洪水吐で天端を村道が通っています。(2017年8月5日)
 
右岸の洪水吐。(2017年8月5日)
 
左岸に取水設備があります。(2017年8月5日)
 
すずらん湖
総貯水容量は6万立米。(2017年8月5日)
 
取水設備。(2017年8月5日)
 
わかりにくいんですがこれが堤体になります。
下流面は草ボウボウ、天端を村道が通過します。(2017年8月5日)
 
取水設備。(2017年8月5日)
 
上流面
左側の草木が茂っているところが堤体になります。(2017年8月5日)
 
上流から洪水吐。(2017年8月5日)
 
3433 大沼池(0067)
ため池データベース
長野県東筑摩郡筑麻績村聖
信濃川水系宮川
AW
15.60メートル
60メートル
60千㎥/60千㎥
麻績村
1963年

北山ダム

2017-08-08 15:00:00 | 長野県
2015年11月23日 北山ダム
2017年 8月 5日
 
北山ダムは長野県東筑摩郡麻績村の信濃川水系麻績川右支流宮川の源流部に建設された長野県営の多目的重力式コンクリートダムです。
宮川は急流河川のため豪雨のたびに流域に洪水被害をもたらす一方、麻績村のある筑摩地方は内陸性気候のため年間降水量が少なく渇水による干ばつや取水制限が頻発していました。加えて長野道の開通や聖高原のリゾート開発などに伴い上水道需要の高まりが予想され新たな水源の確保が課題となっていました。
そこで長野県は宮川総合開発事業を策定し2000年(平成12年)に竣工したのが北山ダムです。
北山ダムは宮川の洪水調節、既得取水権としての灌漑用水への補給と安定した河川流量の保持、麻績村への上水道用水の供給を目的としています。
ダム湖の総貯水容量は21万3000立米と溜池サイズで、建設省の補助を受けた生活貯水池ダムとして建設されました。
北山ダムには2015年(平成27年)11月に初めて訪問、2017年(平成29年)8月に再訪しました。
 
長野道の麻績インターから国道403号線を北上すると北山ダムの標識が現れます。これに従って左折すると北山ダムの下流に到着します。
ダム下は親水公園として整備されています。
オリフィスから越流。
 
同じ場所から
夏は葉が茂りダムの大半は隠れてしまいます。(2017年8月5日)
 
ダム湖は地元の公募で『カタクリの湖』
近くにカタクリの自生地があることにちなんでいます。(2017年8月5日)
 
天端高覧にはカタクリの陶板。(2017年8月5日)
 
減勢工。(2017年8月5日)
 
ダム湖(カタクリの湖)は総貯水容量21万3000立米と溜池サイズ
北山ダム建設以前にあった大沢ダムという砂防ダムがそのまま残り、貯砂ダムとなっています。
(2017年8月5日)
 
右岸管理事務所と浮き桟橋
周辺が別荘地ということで管理事務所もロッジ風。(2017年8月5日)
 
天端は歩行者のみ通行可能。(2017年8月5日)
 
ダム下流面。(2017年8月5日)
 
上流から見ると二つのダムが重なる不思議な眺め。(2017年8月5日)
 
ズームアップ。(2017年8月5日)
 
追記
北山ダムには9万4000万立米の洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらに1万5000万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
3040 北山ダム(0066)
長野県東筑摩郡麻績村北山
信濃川水系宮川
FNW
43メートル
109メートル
213千㎥/186千㎥
長野県建設部
1999年
◎治水協定が締結されたダム

上組溜池

2017-08-07 19:03:43 | 長野県
2017年8月5日 上組溜池
 
上組溜池は長野県飯山市蓮の信濃川支流皿川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
竣工記念碑によれば1924年(大正13年)に飯山鉄道(現JR飯山線)の鉄道敷設により既存の溜池を現在地に移設して上組溜池としました。
ダム便覧では竣工が1918年(大正7年)となっていますが、ここでは竣工記念碑に記された1924年を採用します。
(上組溜池は地図の赤マル)。
 
飯山市を貫流する千曲川沿岸は河岸段丘が続き、灌漑用水源は小河川を堰き止めた溜池や天水に頼らざるを得ず農業も畑作が中心となっていました。
17世紀に飯山藩の川除普請奉行となった野田喜左衛門は領内各所に灌漑用水路を開削『用水の神様』と評されました。
蓮堰も彼が開削した用水路の一つで千曲川の支流である斑尾川から千曲川左岸河岸段丘上に約13キロの用水を建設し、これにより蓮地区の段丘上で大規模な新田開発が可能となりました。
上組溜池は蓮堰からの補給を受けており、調整池の役割を果たす溜池と思われます。
(緑マルは蓮堰の開削により開発された上組の新田)
 
上組溜池の天端と上流面。
 
左岸上流から。
 
左岸の取水設備
木栓を差し込むタイプの池栓です。
 
下流面
右岸に沿って小さな溝のような余水吐導流部があります。
 
堤体下流面真ん中の底樋樋門。
 
総貯水容量は9000立米と非常に小さな溜池です。
それでも周辺の農地にとっては貴重な水源となっています。
 
右岸から天端と下流面。
 
溜池左岸を流れる蓮堰
斑尾川から千曲川左岸に沿って灌漑用水を運んでいます。
 
堰から溜池への小さな水門。
上組溜池も蓮堰からの用水補給を受けています。
 
蓮堰から見た千曲川
揚水技術のない時代、人々は目の前の大河の水をただ指を咥えて見るのみでした。
 
上組溜池の竣工記念碑。
 
上組溜池の訪問により蓮堰を知り、さらに野田喜左衛門という地方巧者の功績や江戸時代の土木技術の成果を知ることができました。
これだから溜池は侮れません。
 
0980 上組溜池(1097)
ため池コード
長野県飯山市蓮
信濃川水系皿川
15メートル
61メートル
9千㎥/9千㎥
蓮地区
1918年(便覧)
1924年(記念碑)


里島発電所取水堰

2017-08-05 17:20:00 | 長野県
2015年11月7日 里島発電所取水堰
2017年7月30日
 
里島発電所は長野市広瀬の信濃川水系犀川支流裾花川にある中部電力(株)が管理する発電目的の取水堰堤です。
ここで取水された水は約2.8キロの導水路で里島発電所(最大出力3500キロワット)に送られ水路式水力発電を行います。
1936年(昭和11年)に長野電燈(のちに長野電気)により建設され、中部配電の接収を経て1951年(昭和26年)の電力事業再編令により中部電力(株)が事業を継承しました。
 
湯の瀬ダムを見学する途中で偶々発見、帰宅後調べると里島発電所の取水堰だと分かりました。
右岸がゴム引布製起伏堰いわゆるラバー 左岸はコンクリートの固定堰になっています。
 
 
2017年に再訪した際は水量が多く、ラバー、固定堰ともに越流していました。
(2017年7月30日)
 
右岸の取水口
200メートルほど下流の沈砂池を経て里島発電所に送られます。
(2017年7月30日)

里島発電所取水堰
左岸 長野県長野市広瀬
右岸     同市小鍋
信濃川水系裾花川
重力式コンクリート ゴム引布製起伏堰
中部電力(株)
1936年

湯の瀬ダム

2017-08-05 12:30:00 | 長野県
2015年11月 7日 湯の瀬ダム
2017年 7月30日
 
湯の瀬ダムは左岸が長野県長野市入山、右岸が同市小鍋の一級河川信濃川水系犀川支流裾花川にある長野県企業局が管理する上水・発電目的の重力式コンクリートダムです。
長野県の裾花川上流総合開発事業の一環として裾花ダム(元)及び裾花発電所とともに1969年(昭和44年)に竣工しまし た。
ピーク発電を行う裾花発電所の出力調整に伴う水位変動を平準化するための発電逆調整池として機能するほか、長野市上下水道局の上水取水ダムになっています。
湯の瀬ダムには2015年(平成27年11月)に初めて訪問、2017年(平成29年)7月に裾花ダム・裾花発電所の見学会に合わせて再訪しました。
再訪時はダムを管理する長野県企業局様のご厚意により、普段は立ち入りできないダム敷地内を見学させていただくことができました
なお日付のない写真はすべて再訪時のものです。

企業局の職員さんに常用洪水吐減勢工に架かる管理橋の鍵を開けていただき、これまで見ることができなかったゲートと対面。
主ゲートはラジアルゲート3門、塗装をし直したばかりで青が鮮やか。
 
主ゲート右手(左岸側)の細いゲートが利水放流ゲート。
 
利水放流ゲートの減勢工に長野市上下水道局の取水ゲートがあります。
 
左岸から
普段はこの位置からしか見ることができません。
手前の建屋は上水用の調圧水槽。
 
堤体下流面
地上高は4~5メートル程度にしか見えませんが、基礎地盤からは18メートルとなります。
 
上流面。
 
天端
ここも通常は立ち入り禁止ですが特別に見せていただきました。
 
利水ゲートの減勢工
副ダムの奥に長野市上下水道局の上水取水ゲートがあります。
 
上水取水後の余水は河川維持放流として裾花川に戻されます。
 
右岸から。
 
右岸にある国道406号線から。
 
発電所見学会の折に、企業局の職員さんにダメモトで湯の瀬ダムが見たいと申し上げたら、見学会の対応で忙しいにもかかわらず特別のご配慮で見せていただくことができました。
長野県企業局様には厚く御礼申し上げます。

1016 湯の瀬ダム(0043)
左岸 長野県長野市入山
右岸     同市小鍋
信濃川水系裾花川
WP
18メートル
140メートル
330千㎥/290千㎥
長野県企業局
1969年

裾花ダム(元)

2017-08-04 18:30:00 | 長野県
2015年11月 7日 裾花ダム(元)
2017年 7月30日
 
裾花ダム(元)は左岸が長野県長野市入山、右岸が同市小鍋の一級河川信濃川水系犀川支流の裾花川にある長野県建設部が管理する多目的アーチ式コンクリートダムです。
裾花川は土砂流出量が多い上に急流河川のため犀川との合流地点を中心に洪水被害が絶えず、特に1949年(昭和24年)のキティ台風では長野市街の大半が水没する未曽有の災害となりました。
一方、長野市では戦後の発展を受け上水需要が急拡大し安定した水源確保が急がれていました。
これを受け1962年(昭和37年)に長野県は目的ダム建設を軸とした裾花川上流総合開発事業に着手、これに発電事業者として県企業部が事業参加し1969年(昭和44年)に竣工したのが裾花ダム(元)です。
裾花ダム(元)は建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、裾花川の洪水調節(最大毎秒660立米の洪水カット)、長野市水道局への上水道用水の供給、長野県企業局裾花発電所(最大出力1万4600キロワット)でのダム式水力発電を目的としています。
1979年(昭和54年)には裾花川源流部に奥裾花ダムが完成したことで、裾花川の治水能力は格段に向上し、長野県各所で甚大な水害が発生した1995年(平成7年)7月豪雨2019年(令和2年)台風19号の際にも裾花川流域での洪水被害は軽微にとどまっています。
一方で、両ダムではは計画を上回る堆砂が進行しており、貯水池内への土砂流入抑止策や治水計画の見直し等により2020年(令和2年)に『裾花川流域ダム再生事業』が採択され、裾花、奥裾花両ダムの再開発が着手されました。
2062年(令和44年)竣工をめどに、裾花ダム(元)では土砂バイパスの新設と貯水池掘削、奥裾花ダムではダムの嵩上げ、バイパス水路の新設、貯水池掘削が実施される予定です。
 
 裾花ダム(元)には2015年(平成27年)11月に初めて訪問、2017年7月にダム見学会に合わせて再訪しました。
2017年(平成29年)の再訪時は見学会に参加し、普段は立ち入ることができない堤体直下からダムを望むことができました。
(2017年7月30日)
 
クレストには2門のラジアルゲート、下段にはコンジットゲートが2門あります。
竣工以来洪水調節のためクレスト放流が行われたことがないそうです。
(2017年7月30日)
 
国道406号線の小鍋1号トンネルを抜けた先にダムの入口があり、目の前にダムの上流面と取水塔が現れます。
コンジットゲートの予備のコースターゲートが見えます。
(2017年7月30日)
 
初回訪問時、右手の予備ゲートは降ろされたままでした。
 
独特の風貌の取水塔。(2017年7月30日)
 
右岸上流側のインクライン、奥は国道のスノーシェッド。
(2017年7月30日)
 
左岸から
天端は平日のみ開放されています。今回は見学会ということで職員さんの解説付きでした。
(2017年7月30日)
 
コンジットゲートの下から放流されている水は不特定灌漑用水(既得灌漑用水)への補給です。
裾花ダムには不特定利水容量の配分はなく、あくまでも流入量の範囲で既得灌漑用水へ用水補給を行っています。
(2017年7月30日)
 
副ダムの手前に灌漑用水の取水口があるようです
一方副ダムの右手の地下に裾花発電所があります。
(2017年7月30日)
 
ラジアルゲート。(2017年7月30日)
 
国道406号線裾花大橋から
ラジアルゲートと両端にコンジットゲートの予備ゲート
実は裾花ダム(元)はここから見た姿が一番恰好よかったりします。
(2017年7月30日)
 
通常は土日は天端に入ることもできず見学スポットが限られる裾花ダム(元)ですが、見学会ということで天端はもちろん、直下の発電所からもアーチの雄姿を眺めることができました。
なお見学会のついては裾花ダム見学会に詳細を記してあります。
 
(追記)
裾花ダム(元)には洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

1017 裾花ダム(元)(0044)
左岸 長野県長野市入山
右岸     同市小鍋 
信濃川水系裾花川
FWP
83メートル
211.2メートル
15000千㎥/10000千㎥
長野県建設部
1969年
◎治水協定が締結されたダム
-------------
3713 裾花ダム(再)
左岸 長野県長野市入山
右岸     同市小鍋 
信濃川水系裾花川
FWP
83メートル
211.2メートル
15000千㎥/10000千㎥
長野県建設部
2020年~

奥裾花ダム(元)

2017-08-04 06:00:00 | 長野県
2015年11月 7日 奥裾花ダム(元)
2017年 7月30日
 
奥裾花ダム(元)は左岸が長野市鬼無里、右岸が同市鬼無里日影の一級河川信濃川水系裾花川上流部にある長野県建設部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
1969年(昭和44年)の裾花ダム(元)の完成により裾花川中下流部の治水能力は大きく向上しますが、上流部については依然脆弱な状態が続いていました。
さらに増加する長野市の上水需要や鬼無里村への上水供給から新たな上水用水源の確保が求められました。
そこで長野県は裾花ダム(元)竣工直後の1969年(昭和44年)に裾花川上流部での新たな多目的ダム建設に着手、1979年(昭和64年)に竣工したのが奥裾花ダム(元)です。
奥裾花ダム(元)は建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、裾花川の洪水調節(最大毎秒220立米の洪水カット)、長野市及び鬼無里への上水道用水の供給、長野県企業局奥裾花第1第2発電所合わせて最大2680キロワットのダム式水力発電を目的としています。

両ダムの完成により裾花川の治水能力は格段に向上し、長野県各所で甚大な水害が発生した1995年(平成7年)7月豪雨2019年(令和2年)台風19号の際にも裾花川流域での洪水被害は軽微にとどまっています。
一方で、両ダムでは計画を上回る堆砂が進行しており、貯水池内への土砂流入抑止策や治水計画の見直し等により2020年(令和2年)に『裾花川流域ダム再生事業』が採択され、両ダムの再開発事業が着手されました。
2062年(令和44年)竣工をめどに、裾花ダム(元)では土砂バイパスの新設と貯水池掘削、奥裾花ダム(元)ではダムの嵩上げによる貯水容量の増大、バイパス水路の新設、貯水池掘削が実施される予定です。

奥裾花ダム(元)には2015年(平成27年)11月に初訪、2017年7月にもりみず旬間のダム見学会に合わせて再訪しました。
日付のない写真はすべて再訪時のものです。

ダム手前の樹間から。普段はここから眺めるのみ。
(2015年11月7日) 
 
2017年7月30日の見学会ではダム下の発電所まで入ることができました。
非常用洪水吐としてクレストラジアルゲートを2門、常用洪水吐としてオリフィス高圧ラジアルゲートを1門装備。
向って右手に第1第2発電所があり、放流水が流下しています。
 
ゲートをズームアップ
オリフィスゲート上に見学者が見えます。
 
下流面。
堤体から発電用水圧鉄管が突き出ています。
 
上流面
中央に取水設備、対岸にはインクラインと艇庫。
(2015年11月7日) 
 
初回訪問時は第二発電所はまだ建設中。
(2015年11月7日) 
 
再訪時。
 
オリフィスゲート直上から
奥から増設された第2発電所、手前に第1発電所、一番手前の小さな建屋は利水放流設備。
 
ラジアルゲート下流側。
 
ラジアルゲート上流側。
 
天端。
 
右岸から上流面
対岸は管理事務所、奥はダム湖に架かる奥裾花大橋。
 
2017年7月30日の見学会では監査廊やゲート操作室などを見せていただけました。
なおダム見学会の詳細は奥裾花ダム見学会に記してあります。 

(追記)
奥裾花ダム(元)には洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

1028 奥裾花ダム(元)(0045)
左岸 長野県長野市鬼無里
右岸     同市鬼無里日影
信濃川水系裾花川
FWP
59メートル
170メートル
5400千㎥/3300千㎥
長野県建設部
1979年
◎治水協定が締結されたダム
---------------
3714 奥裾花ダム(再)
左岸 長野県長野市鬼無里
右岸     同市鬼無里日影
長野県長野市鬼無里
信濃川水系裾花川
FWP
59メートル
170メートル
5400千㎥/3300千㎥
長野県建設部
2020年~

浅川ダム

2017-08-04 00:00:26 | 長野県
2017年7月29日 浅川ダム
 
浅川ダムは長野市真光寺の信濃川水系千曲川左支流浅川上流部にある長野県建設部が管理する治水目的の重力式コンクリートダムです。
飯綱山に源を発し長野市街北部を東西に横断して千曲川に注ぐ浅川は全長約17キロ、流域面積73平方キロの一級河川ですが、上流域は急流河川、中流域は天井川を形成しほぼ毎年のように洪水が発生していました。
1977年(昭和52年)に長野県は浅川上流部への多目的ダム実施計画が採択され、多目的ダムによる治水・利水事業を図り2000年(平成12年)には本体工事契約の締結まで漕ぎ着けました。
ところが同年就任した田中知事は『脱ダム宣言』を発表、浅川ダムについても工事契約を解約し本体工事は事業中止、ダムに依らない治水対策が検討されました。
しかし田中知事の後を継いだ村井知事はダムを含めた治水計画を再検討し、新たに流水型治水専用ダムの建設という形で浅川ダム事業が再採択されました。そして2010年(平成22年)に本体工事に着手し2016年(平成28年)に竣工したのが浅川ダムです。
ダムは同年3月より浅川の洪水調節を目的とする治水専用ダムとして運用が開始されました。
浅川ダムは全国でも数少ない流水型の治水専用ダムで、通常はダム湖には水を貯めず浅川の水はそのままダムを潜り下流へと流下します。一方洪水時は貯水池に110万立米まで貯水して下流の洪水を食い止め、100年に一度の規模の洪水まで対応できる設計となっています。
 
今回は『森と湖に親しむ旬間』に併せて実施される『浅川ダム祭り』のダム見学会に参加させていただきました。
長野市街中心部から県道37号を北上すると、浅川東条交差点に『浅川ダム』を示す標識が出ています。これに従って左折し真光寺ループを超えると浅川ダム左岸ダムサイトに到着します。
 
上流から
非常用洪水吐としてクレストには6門の自由越流式洪水吐があります。
一方堤体は左岸が屈曲しているのが特徴です。
 
下流から
中央の建物はエレベーター棟
クレスト放流に備え背の高い堤趾導流壁が設置されています。
 
治水専用ダムのため普段はダム湖には水はありませんが洪水時には110万立米の水が貯留されます。
手前のゲートは建設工事期間中の転流用のゲートで、運用開始後は流木や土石除けの役目を果たします。
 
ズームアップ
ダム湖上流部は湖岸保護のため階段状の流路が作られ、流路右岸側(向かって左手)にはジグザグの魚道が設置されています。
 
堤体直上の眺め
水がない治水専用ダム独特の眺めです。
平時は、浅川の水は真下見える流木除けのゲージ(鳥籠)の下にある常用洪水吐から堤体を潜って流下します。
 
天端から見た減勢工
洪水時、クレストを越流した水は堤趾導流壁内の減勢工へ向かいます
平時は常用洪水吐から流下した水は左手の減勢工から下流に流下します。
 
天端は24時間開放されています
長野市街の絶好の夜景展望ポイントだそうです。
 
下流から。
 
減勢工をズームアップ
向かって左手は洪水時クレストを越流した際の減勢工
中央は常用洪水吐からの水路
一番右手の細い水路は魚道。
 
複雑な構造ですが、見れば見れるほど『実に面白い』。
 
今回は見学会ということで常用洪水吐の中も見せていただけました。
向かって左が水路、右は魚道。
 
政治に翻弄されながら、今年無事に運用が開始された浅川ダム。
関心の高さを示すように見学会も大盛況、午前10時過ぎには午後の部も含めてすべての定員がいっぱいになってしまいました。
ダム周辺も整備され、24時間開放される天端は長野夜景の展望スポットとして観光名所になればいいですね。
 
1036 浅川ダム(1095)
長野県長野市真光寺
信濃川水系浅川
53メートル
165メートル
1100千㎥/1060千㎥
長野県建設部
2016年

小仁熊ダム(富蔵ダム)

2017-05-24 10:00:00 | 長野県
2015年11月 7日 小仁熊ダム
2017年 5月21日
 
小仁熊(おにくま)ダムは長野県東筑摩郡筑北村の信濃川水系麻績川左支流小仁熊川にある長野県建設部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
筑北村を南北に貫流する麻績川支流東条川は河川整備が遅れていたため豪雨のたびに洪水被害をもたらす一方、筑北村周辺は内陸性気候のため年間降水量が少なく渇水による干ばつや取水制限も頻発し抜本的な治水対策が求められていました。
また生活様式変化や長野自動車道の開通による上水道需要の増加が見込まれ新たな水源確保も大きな課題になっていました。
1983年(昭和58年)に長野県は東条川総合開発事業を採択、多目的ダム建設事業に着手します。
しかし、東条川にはダム建設適地がなかったため、並行する別所川支流の小仁熊川に着目します。
小仁熊川にダムを建設する一方、東条川には分水堰を設けてダムまでの導水路を整備し洪水時には東条川の水量をカットして小仁熊ダムに導水することで東条川の洪水を防ぐという仕組みを採用しました。。
小仁熊ダムは1998年(平成10年)に本体工事が着工されますが、ダムの建設地が旧炭鉱跡地だったことから止水対策に手間取り計画の3倍の費用が掛った上に工期も大幅に遅れ、2004年(平成16年)にようやく竣工に至りました。
これが当時の田中知事による脱ダム宣言につながったともいわれています。
小仁熊ダムは東条川および小仁熊川の洪水調節、小仁熊田川および東条川の安定した河川流量の維持と既得取水権としての灌漑用水への補給、上水道用水の供給を目的としています。
小仁熊ダムには108万立米の洪水調節容量が設定されていますが、近年頻発する豪雨災害に備えて2020年(令和2年)より豪雨の際に事前放流を行う治水協定が締結され、基準降雨量160ミリの雨が予想される場合には事前放流によりさらに45万立米の洪水調節容量が確保されることになりました
 
なお正式名称は小仁熊ダムですが、現地では『富蔵(とくら)ダム』が一般的で、道の駅の案内板や道路マップでも富蔵ダムと表記されています。
国道403号沿いの『西条温泉 とくらの湯』の先から富蔵ダムの標識に従って西に折れると右岸ダムサイトに到着します。
脱ダム宣言をした田中知事在任中に竣工したということで知事名が入った竣工記念碑は設置されず、代わりに『愛称 富蔵ダム』という碑が建てられています。
 
右岸から下流面
ガッツリ系の堤趾導流壁。
 
減勢工
オリフィスから越流しています。右手は利水放流設備。
 
左岸から
ダム周辺にはかつて炭鉱があり茶褐色な山肌が続きます。
今もダム右岸の山は崩落が続いていますが大丈夫なんでしょうか?
 
上流面
対岸に管理事務所とインクラインがあります。
 
ダムの少し下流に展望台があります
非常用洪水吐として自由越流式クレストゲート4門 常用洪水吐として自然調節式オリフィスゲート1門を備えています。
 
ダム下にも行けますが、減勢工がカーブしているのでこれが精いっぱい。
 
上流から。
 
ダム湖を長野道が横切っています。
 
2度目の訪問で前回見逃してしまった東条川の分水堰を見学しました。
分水堰とダムの位置関係は地図の通りです。
赤マルの分水堰から小仁熊ダム上流の小仁熊川にトンネル式導水路が作られています。
洪水時にはここで水をカットして小仁熊ダムに導水し、東条川の洪水調節を行う仕組みです。
 
分水堰上流にラバー堰が設置され右岸には魚道があります
東条川の河川維持放流水はこの魚道を流下し、東条川の河川流量を安定させています。
 
上流から見た分水堰
右手の水路は上の写真の魚道です。
 
 
本川および左岸の導水路ともに同じ高さの越流面があります。
本線と導水路への越流量を計算して設計されているのでしょう。
導水路側には手動の放流用スライドゲートがありこれで細かい調整を行うようです。
 
アングルを変えて下流から
向かって右手が小仁熊川への導水路 左手が本川となります。
こうやってみると低いながらも堰堤と洪水吐という並びです。
 
小仁熊川への導水路はこのゲートの先からトンネルとなります。
 
2度目の訪問でようやく小仁熊ダムの全貌を見ることができました。
なお写真はすべて2回目の訪問時のものと差し替えました。
 
1041 小仁熊ダム(富蔵ダム)(0049)
信濃川水系東条川
FNW
36.5メートル
99メートル
1930千㎥/1610千㎥
長野県建設部
2004年
◎治水協定が締結されたダム

水上ダム

2017-05-24 05:00:00 | 長野県
2015年11月23日 水上ダム
2017年 5月21日
 
水上ダムは松本市北東部の旧四賀村の信濃川水系間川左支流水上沢川に建設された長野県営の多目的重力式コンクリートダムです。
会田川は豪雨のたびに流域に洪水被害をもたらす一方、この地域は内陸性気候のため年間を通して降水量が極めて少なく渇水による干ばつや取水制限が頻発していました。さらに山間部でも下水道や簡易下水道の普及で生活用水の需要の増加が見込まれることもあり新たな水源確保が課題となっていました。
そこで長野県が2000年(平成12年)に建設したのが水上ダムで、会田川流域の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権としての灌漑用水への補給、旧四賀村地域への上水道用水の供給を目的としています。
ダム湖の総貯水容量は27万6000立米と非常に小規模で、いわゆる生活貯水池として建設されました。
 
松本市街から国道143号を青木村方面に進むと『横沢バス停』に水上ダムを示す標識があります。
これに従って右折すると集落のすぐ上に水沢ダムが現れます。
まずはダム下から
クレストは非常用の自由越流式洪水吐が3門、その下に常用洪水吐のオリフィスゲートが1門のゲートレスダムです。
 
 
右岸ダムサイトに管理事務所や竣工記念碑、駐車場があります。
 
右岸から下流面。
 
管理事務所。
管理事務所の壁にはコンクリートの凹凸が施されぱっと見大谷石の石造り風洋館に見えるデザイン。
 
ダム湖は溜池サイズ。
 
天端は歩行者のみ通行可能。
 
減勢工
右岸に利水放流設備があり河川維持放流が行われています。
 
上流面
手前は取水設備。
 
上流から。
 
初回訪問時はコンデジでの撮影となったので、掲載した写真はすべて2度目の訪問時のものに差し替えました。
 
 追記
水上ダムには15万立米の洪水調節容量が設定されていますが、豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらに10万3000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
3012 水上ダム(0065)
長野県松本市中川
北緯度分秒,東経度分秒
DamMaps
信濃川水系水上沢川
FNWG
38メートル
171.5メートル
㎥/㎥
長野県建設部
2000年
◎治水協定が締結されたダム