ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

灰塚ダム

2017-07-25 14:10:31 | 広島県
2017年7月16日 灰塚ダム 
 
古来より『中国太郎』と呼ばれ中国地方最大の河川である江の川は流域に大きな水の恵みをもたらす一方で、豪雨の度に洪水被害を引き起こしとりわけ主要支流が合流する三次盆地ではその被害が顕著になっていました。
戦後建設省は江の川水系の治水を図るべく、江の川最上流部と主要支流の馬洗川右支流上下川に2基の多目的ダムの建設を企図します。ところが後者については激しい反対運動のため交渉は難航、その間も1972年(昭和47年)の『昭和47年7月豪雨』で三次市一帯が未曽有の洪水被害を受けるなど交渉の早期の解決が求められました。
膠着していた交渉は1980年代になりよう動き出し、事業開始から30年以上の年月をかけ2001年(平成13年)にようやく本体工事が着工され、灰塚ダムは2006年(平成18年)に竣工しました。
 
灰塚ダムは上下川および馬洗川の洪水調節のほか、『江の川上流ダム群』として土師ダムと連携して江の川の洪水調節を行います。また既得取水権として灌漑用水への補給と河川流量の保持、三次市への上水道用水の供給を目的としています。
1997年(平成9年)の河川法改正により『河川環境の維持』が義務付けられましたが、灰塚ダムはこれに対応するためにダムの主要ゲートとしては珍しい環境用水放流ゲートを装備しています。
またダム湖上流2か所に常時満水位とサーチャージ水位間の土地の荒廃防止と洪水時の貯砂を目的とした堰堤が建設されており、そのうちの川井堰堤は全国的に見ても珍しい台形CSGダムとなっています。
 
県道61号線仁賀小学校入口交差点の南側分岐に灰塚ダムへの標識があり、これに従って東進すると灰塚ダムに到着します。
まずはダム下の駐車場に車を止めて見学をします。
堤高50メートル、堤頂長196.6メートルと国交省直轄ダムとしては小さいダムです。
クレストには自由越流式洪水吐が並び、訪問時はオリフィスゲートから放流中でした。
さらにオリフィスの間に全国でも珍しい環境用水放流ゲートとして引張りラジアルゲート2門が装備されています。
 
環境用水放流ゲートの引張りラジアルゲート。
 
自由越流式洪水吐は中央の1門だけ越流面が低くなっており、導流部はわずかに角度を変えジャンプ台式のようになっています。
 
ダム下から監査廊に入りエレベーターで天端に上がることができます。
 
右岸から自由越流式ゲートをズームアップ
越流部は刃先のような形状で天端通路は下流側にずれて作られています。
 
天端は2車線の車道で車両通行可能
右手が取水設備操作室、左手がエレベーター棟です。
 
天端から減勢工。
 
ダム湖(ハイヅカ湖)
写真では小さく見えますが、蛇行しながら奥へと続き総貯水容量5210万立米の規模を誇ります。
ダムの堤体積16万4000立米から比較すると非常に効率よく水を貯めることができるダムとなっています。
 
上流面を遠望
中央に環境用水ゲートの予備ゲートが見えます。
 
ダム湖上流にある小堰堤
こちらは川井堰堤で珍しい台形CSGダムとなっています。
 
越流部から減勢工がスタイリッシュで、越流した水が美しい3重の円を描いています。
 
こちらは和知堰堤
堤高は低いものの鋭角的な堤趾導流壁が堰堤を精悍に見せています。
 
灰塚ダムの完成により長きにわたりたびたび洪水被害に悩まされてきた三次の治水は万全のものとなりました。
今灰塚ダムは開かれたダムとして地域住民の憩いの場となっています。
 
 
追記
灰塚ダムには3800万立米の洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらに1189万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1998 灰塚ダム(1074
広島県三次市三良坂町仁賀
北緯34度46分51秒,東経132度59分16秒
江の川水系上下川
FNW
50メートル
196.6メートル
52100千㎥/47700千㎥
国交省中国地方整備局
2006年
◎治水協定が締結されたダム

大亀池

2017-07-25 13:16:19 | 広島県
2017年7月16日 大亀池
 
大亀池は広島県三次市東酒屋町にある灌漑用アースダムで、ダム便覧では1987年(昭和62年)の竣工となっています。
事業者等については記載がなく現地にも竣工記念碑等がないため詳細は不明です。
現在は三次市土地改良区が管理を行っています。
 
三次インター南側の東酒屋町交差点から市道をまっすぐ南下すると右手に大きくカーブする手前に大亀池へ通じる道が分岐しています。
入口には車両進入禁止の看板とともにチェーンが掛けられているので、ここからは徒歩です。
といってもたかだか200メートルほど、ほんの5分ほどで大亀池左岸に到着します。
 
上流面はコンクリートで護岸されています。
 
さらに上流から
写真では見えませんが、屈折した手前に池栓があります。
 
池栓。
 
総貯水容量4万1000立米の小さな溜池です。
池の形はカメには見えないので、大亀池の名前の由来は大きなカメが住んでいたと言ったところでしょうか?
 
天端。
 
右岸から下流面
写真左端に池栓が見えます。
 
下流面
春先に刈り払いされたのか?さほど草は伸びていません。
 
右岸の洪水吐。
 
アングルを変えて洪水吐
導流部は枝葉が覆い写真を撮ることができません。
 
3552 大亀池(1073)
広島県三次市東酒屋町
北緯34度46分09秒,東経132度51分46秒
江の川水系戸張川
15メートル
47メートル
41千㎥/41千㎥
三次市土地改良区
1987年

廻神溜池

2017-07-24 19:25:07 | 広島県
2017年7月16日 廻神溜池
 
廻神溜池は広島県三次市廻神町にある灌漑用アースダムで、ダム便覧によれば1959年(昭和34年)に農林省(現農水省)の事業によって建設されました。
廻神池周辺は現在富士三次カントリークラブのゴルフコースとなっており、池を見学するにはゴルフ場内に立ち入る必要があります。
訪問当日は連休の中日ということでプレイヤーが多く立ち入ることはできませんでした。
ゴルフ場西側の林道を進むと樹間から辛うじて溜池の写真を撮ることができます。
 
 
機会があれば平日にでもゴルフ場を訪問して、池を見せてもらえるか交渉してみたいと思います。
 
追記
廻神溜池は洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに4万4000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1962 廻神溜池
広島県三次市廻神町
北緯34度44分46秒,東経132度52分49秒
江の川水系芋面川
18.6メートル
75メートル
144千㎥/144千㎥
二本松水利組合
1959年
◎治水協定が締結されたダム

長田大池

2017-07-24 16:31:04 | 広島県
2017年7月16日 長田大池
 
長田大池は広島県三次市三良坂町長田にある灌漑用アースダムで、ダム便覧では1949年(昭和24年)に広島県の事業で竣工と記載されています。
ところが現地の改修工事碑では1943年(昭和18年)に堤高40尺(約12メートル)で貯水開始、1977年(昭和52年)から3年の歳月をかけて改修工事を行い1980年(昭和55年)に竣工と記されています。
またダムの堤高および堤頂長についてもダム便覧では20メートル・70メートルとなっているのに対して、現地の記念碑ではそれぞれ16.2メートル・76メートルとなっています。
このブログでは一応ダム便覧に従っておくことにします。
現在池は受益者で構成される長田大溜池利用組合によって管理されています。
 
三次市三良坂から県道61号を南下し寄国で左折します。そのまま集落を抜け川沿いの道を進むとダートになるので念のためここに車を置いて数百メートル歩くと長田大池に到着します。
下流面
冬前に刈り払いしたんでしょうが、だいぶ草が伸びています。
 
右岸に建つ改修工事碑。
 
裏面には池の歴史が書かれています。
 
上流面
コンクリートで護岸されています。
 
天端も草が伸びてます。
 
右岸上流側にある取水設備?
他にそれらしきものがなかったのでたぶんこれがそうでしょう。
 
総貯水容量4万1000立米
大池という名前の割に小さな溜池です。
 
左岸から上流面。
 
左岸洪水吐
どこの溜池でもそうですが、この時期は枝葉が茂ってよく見えません。
 
3550 長田大池(1072)
広島県三次市三良坂町長田
北緯34度43分20秒,東経132度55分48秒
江の川水系仮屋谷川
20メートル
70メートル
41千㎥/40千㎥
長田大溜池利用組合
1949年

芝山池

2017-07-24 14:56:10 | 広島県
2017年7月16日 芝山池
 
芝山池は広島県庄原市東城町森にある灌漑用アースダムで、ダム便覧によれば1919年(大正8年)に広島県の事業で建設されました。ダム便覧には左岸所在地と高梁川水系とのみ記載され、具体的な緯度経度の記載はありません。
しかし東城町森地区にはダム便覧に記載された規模に相当する溜池は田殿集落の北西、飯山南山麓にある溜池1基しかありません。そして広島県の溜池防災ハザードマップにはこの池について『芝山池』と記載されていることから、この溜池を芝山池と断定しました。
実は今年5月の中国地方遠征で一度芝山池にはアタックしましたが、この時は詳細地図を持参せず池への到達を断念しました。
今回は国土地理院地形図のほか、グーグルマップ、グーグルの空撮写真を持参し万全の態勢での再チャレンジとなりました。
 
県道53号から田殿集落を抜け地図の緑の直線で示した林道を進んで池へ向かいましたが、この林道は池の左岸のはるか上を通り池へと降りることはできません。
改めて池の下流部分を探すと、池の下流から水路沿いに堤体直下に向かう小径があり(地図の赤の矢印方向)ようやく芝山池に到達することができました。
 
上記地図の赤い矢印方向に小径を進むと減勢工手前で分水工が現れます。
向かって右手が河川、手前方向に灌漑用水路が流れています。
 
奥に堤体が見え手前が減勢工となります。
一寸見づらいですが減勢工の右側に取水設備からの水が吐き出されています。
 
洪水吐導流部と堤体。
 
導流部をズームアップ。
 
下流面
天端へはこの斜面を登ります。
 
洪水吐。
 
天端から
池の受益地となる水田ははるか下流です。
 
総貯水容量6万9000立米の小さな溜池です。
 
草が覆って分かりづらいですがこの下に池栓があります。
 
天端と下流面はきれいに刈り払われています。
 
ダム便覧に経度緯度の記載はありませんでしたが比較的簡単に池の特定はできました。
ただ、池へのアプローチにかなり手間取り、この池だけで1時間半近く時間を食ってしまいました。
詳しい池の位置情報や写真はのちほどダム協会へと報告しようと思います。
 
追記
芝山池の位置情報をダム協会に提供した結果8月24日にダム便覧の位置情報が特定されました。
 
3694 芝山池(1071)
広島県庄原市東城町森
北緯34度57分18秒,東経133度11分01秒
高梁川水系田黒川
15.5メートル
50メートル
69千㎥/69千㎥
1919年

樽床ダム

2017-05-19 13:21:01 | 広島県
2017年5月8日 樽床ダム
 
樽床ダムは広島県山県郡北広島町の太田川水系柴木川最上流域にある中国電力の発電用重力式コンクリートダムです。
1951年(昭和26年)の電力分割民営化によって誕生した中国電力は、戦後の電力不足解消を目指し新たな電源開発を進めます。
太田川水系ではすでに戦前に本流に立岩ダム、滝山川に王泊ダムが建設されていましたが、まだ開発の手が及んでいなかった柴木川に1957年(昭和32年)に建設されたのが樽床ダムです。
ここで取水された水は導水路で下流の柴木川第一発電所に送られ最大2万4000キロワットの発電を、さらに柴木川ダムを経て柴木川第二発電所で最大6600キロワットの発電を行っています。
樽床ダムは立岩ダム、王泊ダムとともに中国電力の『太田川3ダム』と総称されています。
ダムは観光名所である三段峡の最上流部にあたるほか、ダム湖の聖湖畔には大規模なキャンプ場が設置されており夏や紅葉シーズンには多くの観光客が訪れる観光スポットにもなっています。
 
国道191号線の道戦峠付近から樽床ダムの標識に従って分岐を南西に進むとダム左岸に到着します。
左岸から下流面
 
上流面
取水設備が見えます。
 
取水設備の機械室建屋
ガントリークレーンのような建屋は同じ時期に改修された王泊ダムのそれと似ています。
 
柴木川第一発電所への導水管が堤体から直接出ています。
 
天端は車両通行可能。
 
右岸上流から。
 
ゲートをズームアップ
関電と見紛うようなブラックゲートも王泊ダムと共通。
 
堤体直下への道は立ち入り禁止でしたが、たまたま作業中だった職員さんにお願いしたらOKが出ました。
1950年代のダムらしく打設面がくっきり出ています。
 
下流から
クレストはラジアルゲートが2門
下の穴が利水放流ゲートになるようで維持放流が行われています。
 
ゲートをズームアップ
さすがにこの辺りは雪が多いと思われゲートピアには被覆された管理橋があります。
 
訪問したのが午後4時過ぎ、ちょうど作業を終えかけた職員さんが駐在しておられ、だめもとでお願いしたら立ち入り禁止のダム下や監査廊の中まで見せていただけました。
 
追記
樽床ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに1081万3000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1958 樽床ダム (0999)
広島県山県郡北広島町東八幡原
太田川水系柴木川
42メートル
261.2メートル
中国電力
1957年
◎治水協定が締結されたダム

王泊ダム

2017-05-17 16:31:43 | 広島県
2017年5月8日 王泊ダム
 
王泊ダムは広島県山県郡安芸太田町と北広島町の境界をなす太田川水系滝山川にある中国電力の発電用重力式コンクリートダムです。
1921年(大正10年)に広島電燈と広島呉電気が合併して誕生した広島電気は中国地方最大の電気事業者となり、太田川水系を中心に電源開発を進める中1935年(昭和10年)に建設したのが王泊ダムです。
戦中戦後の日本発送電時代を経て、1951年(昭和26年)の電力分割民営化により中国電力が事業を継承しました。
戦後の電力不足解消を目指し中国電力は新たな電源開発を進め、王泊ダムも滝山川発電所の能力増強目的のために1958年(昭和33年)に嵩上げ再開発が行われました。
王泊ダムで取水された水は導水路で滝山川発電所に送られ最大出力5万1500キロワットの発電を行っています。
また太田川流域で発電に使われた水は最終的に広島市上水道となるため実質的には広島市の上水道水源となっているほか、2005年(平成17年)の台風14号襲来の際には温井ダムと連携して発電専用ダムとしては異例の洪水調節も行いました。
 
王泊ダムはダム右岸を国道186号を通っておりアプローチは簡単です。ただし現在土砂崩れにより王泊ダム以南が不通となっているためダムの見学は上流側からに限られています。
ダム湖上流から
黒いラジアルゲートが3門、その右手に取水設備があります。
 
取水設備の上にはガントリークレーンのようなものが乗っていますが詳細は分かりません。
 
左岸のインクライン。
 
ダムの手前には古い吊橋の遺構があります。
 
ダム湖をまたぐ吊橋の遺構
ダム湖は仙水湖と命名され総貯水容量3110万立米の規模です。
 
ダム右岸を結ぶ橋から国道が通行止めのため、ダム本体に渡ることはできず上流からの見学にとどまりました。復旧のめどは立っていないようですが、いつの日か再訪のチャンスがあれば訪れてみたいと思います。
 
追記
王泊ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに1272万1000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1960 王泊ダム (0998)
広島県山県郡安芸太田町平見谷
太田川水系滝山川
74メートル
155メートル
中国電力
1935年竣工
1958年嵩上げ再開発
◎治水協定が締結されたダム

温井ダム

2017-05-17 13:56:30 | 広島県
2017年5月8日 温井ダム 
 
太田川は廿日市市の冠山を水源として広島県西部を蛇行しながら貫流し、広島市で瀬戸内科に注ぐ一級河川で、古くから洪水が多発する暴れ川で広島藩の時代からその治水には手を焼いていました。
明治以降広島には陸軍第5師団、呉には海軍呉鎮台が置かれ広島は軍用都市として発展、太田川下流部の治水は重要視されました。1935年(昭和10年)から内務省の直轄事業として太田川放水路の建設が始まり、戦争による中断をはさんで1965年(昭和40年)に完成、広島市を中心とした太田川下流部の安全度は大きく向上しました。
しかし、中上流部の洪水対策は河川改修にとどまるのみで中国電力の王泊ダム・立岩ダム・樽床ダムのいわゆる『太田川3ダム』も発電目的のため抜本的な洪水対策とはなりませんでした。
一方、広島は原爆投下から奇跡的な復興を遂げ自動車、造船など重工業を中心に大きく発展、人口急増もとどまらず平成に入ると広島市の人口はついに100万人を突破しました。1975年(昭和50年)に完成した土師ダムにより江の川水系から太田川への導水が行われていましたが、その効果もかすむほどの急速な水需要増加を受けて新たな水源確保が求められました。
 
そこで建設省は『滝山川総合開発事業』を計画し太田川支流の滝山川に多目的ダムの建設を決定、補償交渉に手間取りつつも1991年(平成3年)に着工、2001年(平成13年)に竣工したのが温井ダムです。
当初重力式コンクリートダムで計画されましたが、地質調査の結果アーチダムでの着工となり、温井ダムの堤高156メートルはアーチダムとしては黒部ダムに次ぐ日本第2位、また新潟県の奥三面ダムとともに現状日本で建設された最後のアーチダムとなっています。
温井ダムは太田川の洪水調節、既得取水権としての農業用水への補給と河川流量の維持、広島水道用水供給事業の水源として離島の江田島市、大崎大島町を含む5市5町村への上水道用水の供給を目的とするほか、中国電力温井発電所で最大出力2300キロワットのダム式発電を行っています。
 
今回は毎年4月から5月にかけて行われる温井ダム水位低下放流に合わせてダムを訪問しました。
右岸の駐車場に車を止めて放流前のダムを見学します。
右岸から。
 
減勢工。
 
左岸から。
 
天端は車両通行可能。
 
上流面
ダム湖(龍姫湖)はダム湖100選に選ばれています
総貯水容量は8200万立米。
 
クレストにはローラーゲートが5門
こちらは一般的なローラーゲートと異なり日本初の越流式ローラーゲートになっています。
写真はオープン状態ですが、ゲートを占める際には下方からゲートが上昇します。
さらにオリフィス、コンジットの予備ゲートが並びます。
 
左岸管理所前に展示された放流管。
 
エレベーターが開放され堤体直下も見学できます
利水次郎君。
 
下流から
堤高日本第2位のアーチは迫力満点
クレストにはローラーゲート5門
常用洪水吐としてホロージェットバルブ2門 ローラーゲート4門を装備しています。
 
 
水位低下放流の様子です
2門のホロージェットバルブから放流されます。
 
ゲート直上から見ると見事な虹がかかります。
 
 
できるならダム下からも放流を見学したかったのですが、15分間の放流ということで今回は虹が見られる天端からのみとなりました。
 
温井ダムの完成により太田川の治水能力は大きく改善しましたが、万全というわけではありません。
それは太田川本流上流部に治水目的のダムがないからです。
本流には戦前に建設された中国電力の立岩ダムがありますが、発電用ダムのため現在の滝山川の温井ダムだけでは太田川の治水は片肺飛行状態と言わざるを得ません。
本線上流部への新規ダム建設や立岩ダムの改修などの観測気球は上がりますが実現するには大きな時間がかかりそうです。
 
追記
温井ダムには4100万立米の洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらに3921万4000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1991 温井ダム(0997)
広島県山県郡安芸太田町加計
北緯度分秒,東経度分秒
DamMaps
太田川水系滝山川
FNWP
156メートル
382メートル
千㎥/千㎥
国交省中国地方整備局
2001年
◎治水協定が締結されたダム

滝本ダム

2017-05-17 13:02:09 | 広島県
2017年5月8日 滝本ダム
 
滝本ダムは広島県山県郡安芸太田町の太田川水系滝山川にある中国電力の発電用重力式コンクリートダムです。
1951年(昭和26年)の電力分割民営化で誕生した中国電力は、戦後の電力不足解消や広島の復興に伴う電力需要の高まりに対応するため積極的な電源開発に乗り出し、太田川流域で新たなダムや発電所の建設を推し進めました。
左支流の滝山川では戦前に建設された王泊ダムが嵩上げされたほか流域で多数のダムや取水堰や発電所が建設されました。
滝本ダムも滝山川に建設されたダムのひとつで、1959年(昭和34年)に竣工し滝本発電所で最大出力20000キロワットのダム式発電を行っています。
また2001年(平成13年)に直上に温井ダムが完成、温井ダムの放流の際の逆調整池としても機能しています。
滝本はダムは堤高14.7メートルのため河川法上のダムとはならず、ダム便覧にも掲載されていませんが、ラジアルゲート4門を装備したその姿は紛いなくダムといえる雄姿です。
 
加計中心街から国道186号を北上して温井ダムへ向かい、『ダム下』への標識に従って旧道に入るとすぐに右手に滝本ダムが見えてきます。
管理橋のないゲートピアは中国電力独特のスタイルです。
 
左岸の排砂ゲートから放流が行われています。
 
多くの中国電力のダム同様天端は立ち入りできます。
 
貯水池のすぐ直上に温井ダムがあります。
 
上流から。
 
滝本ダム
広島県山県郡安芸太田町加計
太田川水系滝山川
14.7メートル
156.4メートル
中国電力
1959年

柴木川ダム

2017-05-17 10:56:48 | 広島県
2017年5月8日 柴木川ダム
 
柴木川ダムは広島県山県郡安芸太田町の太田川水系柴木川にある中国電力の発電用重力式コンクリートダムです。
1951年(昭和26年)の電力分割民営化で誕生した中国電力は、戦後の電力不足解消や広島の復興に伴う電力需要の高まりに対応するため積極的な電源開発に乗り出し、太田川流域で新たなダムや発電所の建設を推し進めました。
太田川左支流の柴木川では源流部に樽床ダムが、板ヶ谷川との合流地点に柴木川ダムがほぼ同時に着工され、樽床ダムに先んじて1954年(昭和29年)に竣工したのが柴木川ダムです。
柴木川第1発電所の逆調整池として機能するほか、ここで取水された水は導水路で柴木川第二発電所に送られ最大出力6600キロワットの発電を行っています。
 
国道191号線を北上すると三段峡橋手前で左手に柴木川ダムが見えてきます。
おなじみ、中国電力特有の管理橋のないゲートピアと前面に張り出したゲート操作室という構図。
 
 
天端は立ち入り可能です。
 
ゲート操作室は横から見ると城郭の鉄砲櫓のよう。
 
ダム湖は総貯水容量23万1000立米
この奥は広島を代表する景勝地三段峡になります。
 
天端から
とにかく水がきれいなんです・・・・ここは。
 
右岸から
対岸に柴木川第二発電所への取水口があります。
 
天端高覧のアーチ状の抜き。
 
左岸上流から すぐ手前が取水口。
 
さらに上流から。
 
追記
柴木川ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに21万8000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
3342 柴木川ダム(0996)
広島県山県郡安芸太田町川手
太田川水系柴木川
15.5メートル
104.9メートル
中国電力
1954年
◎治水協定が締結されたダム

鱒溜ダム

2017-05-17 09:59:23 | 広島県
2017年5月8日 鱒溜ダム
 
鱒溜ダムは広島県山県郡安芸太田町の太田川本流、立岩ダムの下流約4キロ地点にある中国電力の発電用重力式コンクリートダムです。
戦前の中国地方最大の電気事業者だった広島電気によって立岩ダムとほぼ同時に着工され1938年(昭和13年)に竣工しました。
上流の立岩ダムおよび打梨発電所の逆調整池としての役割を持つほか、ここで取水された水は導水路で土居発電所に送られ最大8000キロワットの発電を行います。
一連の発電施設とともに1939年(昭和14年)に日本発送電に現物出資され、戦後1951年(昭和26年)の電力分割民営化により中国電力が事業を継承しています。
 
今回は上流の立岩ダムから県道286号線を北上して鱒溜ダムへと向かいます。
ダムのずいぶん上流に土居発電所への取水口があります。
 
左岸上流から
全面越流式のダムです。
 
 
 
なんだか巨大なクジラが横たわっているかのようです。
 
右岸に排砂ゲートがありここから河川維持放流が行われています。
 
500メートルほど下流に行かないとダムの姿は見えません。
 
ズームアップ、というかトリミング。
継ぎ接ぎのコンクリートがこの川の厳しさを表しているようです。
 
追記
鱒溜ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに21万5000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1395 鱒留ダム(0995)
広島県山県郡安芸太田町吉和郷
太田川水系太田川
19.2メートル
98メートル
中国電力
1938年
◎治水協定が締結されたダム

立岩ダム

2017-05-16 20:19:28 | 広島県
2017年5月8日 立岩ダム
 
立岩ダムは広島県山県郡安芸太田町の太田川本流最上流部にある中国電力の発電用重力式コンクリートダムです。
広島県では広島電燈と広島呉電気が激しい電源開発競争を繰り広げていましたが、1921年(大正10年)に両者が合併し広島電気が誕生、中国地方最大の電気事業者となりました。
広島電気は太田川水系を中心に電源開発を進め1935年(昭和10年)の王泊ダムに次いで1939年(昭和14年)に竣工したのが立岩ダムです。堤高67.4メートルは戦前では7番目の高さを誇る巨大ダムで、打梨発電所で2万3600キロワット、さらに逆調整池の鱒溜ダムを経由して土居発電所で8000キロワット、計3万キロワット強の電力を生み出しその大半は呉の海軍工廠へと送られました。
しかし竣工直後に日本発送電が誕生し、立岩ダムおよび関連の発電設備はすべて接収されました。
戦後1951年(昭和26年)の電力分割民営化により中国電力が事業を継承して現在に至りますが、立岩ダムは滝山川の王泊ダム、戦後建設された柴木川の樽床ダムとともに『太田川3ダム』と呼ばれ広島の復興の下支えとなりました。
立岩ダムは戦前の巨大ダムということでその技術的価値からBランクの近代土木遺産に選定されています。
 
今回は廿日市市吉和から県道286号線を北上して立岩ダムに至りました。
ダム左岸の県道から俯瞰。
 
同じく天端を俯瞰
右岸に打梨発電所への取水口があります。
 
下流面。
 
ゲートの塗装工事が行われていますが天端への立ち入りは問題ありません。
左岸の照明は竣工当時のものでしょうか?
 
ずらっと並ぶ巻き上げ機。
 
フェンスの隙間から見た導流面。
 
ダム湖(竜神湖)は総貯水容量1720万立米。
 
右岸の取水口。
 
下流面。
 
上流から何とかゲートを撮影。
ゲート扶壁の並びが高暮ダムに似てるような・・・・。
 
塗装工事中のため落ち着いて見学できなかったうえに、下流からダムを正対することができません。
戦前を代表するダムのひとつでありながら、正面を見れないのが全国的な知名度が今一つ低い理由かもしれません。
 
追記
立岩ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに858万1000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1936 立岩ダム (0994)
広島県山県郡安芸太田町打梨
北緯度分秒,東経度分秒
DamMaps
太田川水系太田川
67.4メートル
179メートル
㎥/㎥
中国電力(株)
1939年
◎治水協定が締結されたダム

飯ノ山ダム

2017-05-16 18:27:27 | 広島県
2017年5月8日 飯ノ山ダム
 
飯ノ山ダムは広島県廿日市市飯山の小瀬川源流部にある発電用アースダムです。
1932年(昭和7年)に広島に本拠を置いた広島電気によって建設され、日本発送電を経て1951年(昭和26年)の電力分割民営化の結果中国電力が事業継承しました。
飯ノ山ダムで水量調整された水は下流の栗栖川発電所取水堰で取水され導水路で栗栖川発電所に送られ最大出力2500キロワットの発電を行っています。
飯ノ山ダムは珍しい中央鉄筋コンクリート遮水壁式、つまりコンクリートコアのアースダムとなっています。
飯ノ山ダム以外では栃木県の東京電力の逆川ダムがコンクリートコアのアースダムとして知られています。
 
今回は国道186号線を北上し飯ノ山ダムに至りました。
MRC乗馬クラブの入口に入り、そのまま乗馬クラブの脇を抜けてダートの道を進むと飯ノ山ダム右岸に到着します。
洪水吐と上流面、左岸に斜樋が見えます。
 
洪水吐と飯ノ山貯水池
ずいぶん水位が低下しています。
 
右岸から上流面。
 
天端は立ち入り禁止。
 
洪水吐導流部。
 
 
下流面。
 
下流から。
 
堤体基礎部分は石積みになっています。
堤体直下に放流設備があり放流が行われています。
飯ノ山ダムから導水路で直接発電所に送水するわけではなく、水量調節して小瀬川に流下させ、下流の取水堰から発電所に導水路で水が送られます。
 
ダムの説明板
 
小瀬川の源流にある貯水池ということで高原感たっぷりですが、立ち入り禁止のため観光開発などの気配はありません。
 
追記
飯ノ山ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに39万3000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1932 飯ノ山ダム (0993)
広島県廿日市市飯山
小瀬川水系小瀬川
18.5メートル
78.5メートル
中国電力
1932年
◎治水協定が締結されたダム

小瀬川ダム

2017-05-16 16:24:39 | 広島県
2017年5月8日 小瀬川ダム 
 
小瀬川ダムは広島・山口県境を形成する小瀬川中流域にある広島県と山口県が共同管理する多目的重力式コンクリートダムです。
江戸時代の広島藩・長州藩の時代から小瀬川の水をめぐる両者の争いは絶えず、それは維新後、広島県と山口県になってからも変わりはありませんでした。
しかし終戦直後に立て続けに襲来した台風による甚大な被害や、戦後急速に工業化が進んだ沿岸部の水需要の増大を受けて両県は1957年(昭和32年)にようやく『小瀬川総合開発事業』を策定、対立するダム建設地点や利水配分を建設省に一任する形で1964年(昭和39年)に完成したのが小瀬川ダムです。
 
小瀬川ダムは小瀬川の洪水調節、安定した河川流量と既得取水権への補給、広島・山口両県への工業用水の供給を目的とするほか、1989年(平成元年)には山口県企業局小瀬川発電所が増設され河川維持放流を利用して最大630キロワットの小水力発電を行っています。
小瀬川ダムは複数の都道府県が共同で管理を行う唯一のダムとなっており、広島県側にある管理事務所に両県の職員が駐在しています。
 
小瀬川ダムの完成後も小瀬川の洪水調整は万全ではなく、さらに水需要も一段と増加したため、1989年(平成元年)に小瀬川下流に建設省直轄の弥栄ダムが完成し、小瀬川の治水・利水は盤石のものとなりました。
 
国道186号線を北上すると小瀬川ダム左岸に到着します。
管理事務所でカードをもらった後ダムを見学します。
左岸から上流面 対岸にインクラインが見えます。
 
下流面。
 
左岸のこの建物は?
 
右岸のハウエルバンガーバルブ。
 
減勢工
右手は小水力発電の小瀬川発電所。
 
ダム湖は真珠湖 総貯水容量1140万立米。
 
天端は車両通行可能
対岸に見えるのが管理事務所 広島側にありますが広島・山口両県の職員が管理を行います。
 
下流からの展望スポットを探しましたが見当たりません。
ゲートの扶壁前面に階段が見えます。
 
何とかゲートが見える場所を見つけましたがこれが精いっぱい
青いラジアルゲートがさわやか。
 
弥栄ダムのように天端に県境を示す標識はありませんが、親柱に両県を示す銘板が埋め込まれています。
左岸は広島県。
 
右岸は山口県。
 
追記
小瀬川ダムには840万立米の洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらに57万3000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2071 小瀬川ダム(0992)
左岸 広島県廿日市市浅原
右岸 山口県岩国市美和町釜ヶ原
小瀬川水系小瀬川
FIP
49メートル
158メートル
広島県・山口県
1964年
◎治水協定が締結されたダム

渡之瀬ダム

2017-05-16 15:02:36 | 広島県
2017年5月8日 渡之瀬ダム
 
渡之瀬ダムは広島県廿日市市大野の小瀬川水系玖島川にある中国電力の発電用重力式コンクリートダムです。
1951年(昭和26年)の電力分割民営化で誕生した電力各社は戦後の電力不足を解消するために積極的に電源開発を推し進めます。
中国電力も例外ではなく太田川や高梁川水系を中心に新たなダムや発電所の建設を推し進めました。
1956年(昭和31年)に完成した渡之瀬ダムもそんなダムのひとつで、ここで取水された水は約6キロの導水路で大竹市にある玖波発電所に送られ最大出力2万キロワットの発電を行っています。
 
今回は大竹インターから県道42号を北上、渡之瀬貯水池湖岸で国道289号に入り上流から渡之瀬ダムに至りました。
ダムサイトの駐車スペースに車を止めてダムを見学します。
まずは下流から
目につくのは中国電力独特の管理橋のないゲートピアと前面に張り出したゲート操作室。
二級ダムではじめてこのタイプを見たときは『なんじゃこりゃ?』と思いましたが、さすがにもう慣れてきました。
 
クレストには2門のローラーゲート
3本のゲートピアはカブトムシのようです。
 
右岸から上流面
ゲート手前の建屋の向こう側に取水口があるようです。
 
 
 
インクラインはなく、右岸に浮き桟橋に降りる階段が見えます・・・
??桟橋が見当たりません 笑
 
ダム湖は渡之瀬貯水池と呼ばれているようです。
浮き島が点在する貯水池は見た目さほど大きくなさそうですが、実は1042万4000立米もあります。
 
ダムの案内板。
 
追記
渡之瀬ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに950万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1957 渡之瀬ダム(0991)
広島県廿日市市大野
小瀬川水系玖島川
34.5メートル
125.6メートル
中国電力
1956年
◎治水協定が締結されたダム