2023年5月23日 氷川ダム(再)
氷川ダム(再)は熊本県八代市泉町下岳の二級河川氷川本流にある熊本県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(現国交省)の補助を受けた補助多目的ダムで、氷川の洪水調節、不特定灌漑用水への補給、特定灌漑用水の供給、上水道用水の供給を目的として1973年(昭和48年)に竣工しました。
しかし洪水調節容量と利水容量のうち55万立米が重複配分され機動的な洪水調節が困難な一方、不特定利水も用水不足が頻発するなど絶対的容量不足が顕在化しました。
1987年(昭和62年)7月の集中豪雨を契機に、県はダムの嵩上げ再開発事業に着手し2010年(平成22年)に氷川ダム(再)が竣工しました。
再開発事業では堤体の2メートル嵩上げ(堤高56.5メートル⇒58.5メートル)により総貯水容量および有効貯水容量がともに80万立米増加し、安定的な洪水調節容量と不特定利水容量が確保されました。
また再開発に合わせて河川維持放流を利用した氷川ダム管理発電所(最大出力657キロワット)も増設されました。
氷川ダム再開発事業による容量配分の変更(氷川ダムパンフレットより)
再開発事業によりゲートハウスは特徴的なデザインに刷新され、下流からの眺めを楽しみにしていたのですがあいにくゲートの塗装工事中。
非常用洪水吐としてクレストラジアルゲート2門、常用洪水吐としてコンジットゲート1門を備えています。
ダム入り口にはダム名の付いたバス停。
ダム再開発により旧管理事務所が水没するため2001年(平成13年)に、熊本アートポリス参加事業により吊橋をモチーフにした展望台付き管理事務所が新設されました。
関連施設が同事業に参加したダムとしては宇城市の石打ダムがあります。
展望台からダム湖を俯瞰
総貯水容量710万立米
氷川源流の平家の落人伝説にちなみ肥後平家湖と名付けられました。
湖岸の繋留設備。
下流面
堤頂部の色が異なり、2メートル嵩上げした部分がよくわかります。
天端高欄に嵌め込まれた銘板
九州らしく金箔文字。
減勢工と放流設備
放流設備の下流側に2010年(平成22年)に稼働した半地下の管理発電所があります。
鮮やかな青に塗り替えられたばかりのラジアルゲート。
天端は車両の通行ができます。
上流から
富栄養のためか貯水池は緑が濃く、水質改善のため曝気装置2基、噴水1基が設置されています。
ゲートをズームアップ
ラジアルゲートの間にコンジット予備ゲート。
管理事務所を遠望。
(追記)
再開発により従前の予備放流量は撤廃されましたが激化する洪水被害に対応するため治水協定が締結され、台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が新たに配分されました。
2668 氷川ダム(元)
熊本県八代市泉町下岳
氷川水系氷川
FNAW
G
56.5メートル
193.5メートル
6300千㎥/5100千㎥
熊本県土木部
1973年
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2668 氷川ダム(再)(2011)
熊本県八代市泉町下岳
氷川水系氷川
FNAW
G
58.5メートル
202メートル
7100千㎥/5900千㎥
熊本県土木部
2010年
◎治水協定が締結されたダム
そんなに広範囲に落ちのびる事が出来たのかと考えると、平家の武者も女御も最強だったんじゃないかと思えてきます。
落人として、これだけ日本国中を席巻した人たちって、外にいるのかしら?
ps
展望台からのダム湖の俯瞰
まっちさんが見せてくれるダム湖って、本当に綺麗
日本の歴史を通しても飛鳥時代に蘇我氏に敗れた物部氏、源平合戦に敗れた平家、後醍醐に敗れた北條氏や南北朝時代の南朝方など敗者に関わる伝説は全国各地に残っています。
ただことさら平家に脚光が当たるのは、平家物語という古典文学として後世に残ったことが大きいと思います。
清盛の代に一気に頂点に上り詰め、その栄華は清盛一代で脆くも滅び去った。
平家物語の主題である盛者必衰の理と滅びの美学は桜の散り際の潔さを好む日本人の琴線に触れるんだと思います。