2023年11月26日 大平池
大平池は三重県伊賀市山畑の淀川水系滝川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
伊賀市のある伊賀盆地は豊かな地味と寒暖差の大きな気候を生かし江戸時代より良質米の産地となっていました。
一方で年間降水量は1200ミリ超の少雨地帯であり加えて大河がないため水源をため池に求め、現在も市内に約1400基のため池を有す県内屈指のため池密集地帯となっています。
大平池もそんなため池の一つで、ダム便覧には1979年(昭和54年)に三重県の事業で竣工と記されています。
しかしこれは現地改修記念碑に刻された県営の老朽ため池等改修事業の竣工を指すもので、関係者の話では昭和初期に築造されたようです。
管理者は伊賀町土地改良区ですが、実際の池の管理は伊賀地方で『井子(いご)』と呼ばれる受益者組織が行っています。
また約1キロ下流にある田代池とは上下池のような位置関係ですが、それぞれの池ごとに受益農地は明確に区別されています。
田代池と大平池の位置関係(国土地理院地形図より)
大平池に通じる車道は下流の田代池手前から通行止めで徒歩でのアプローチとなります。田代池から貯水池湖畔沿いの遊歩道を進み、廃止された大阪市伊賀青少年野外活動センターの廃墟をやり過ごすと大平池に到着します。
右岸に洪水吐があり、それを跨ぐように管理橋が架かります。
洪水吐導流部
このまま下流の田代池へと流下します。
上流面。
洪水吐越流部。
右岸湖畔の改修記念碑と水神。
こちらは1979年(昭和54年)の県営老朽ため池等改修事業の竣工記念碑でダム便覧ではこれを竣工年度としています。
工事協力者として三重県、伊賀町(現伊賀市)、大阪市の名があり青少年野外活動センター建設に合わせて池の改修が行われたようです。
天端入り口には関係者以外立ち入り禁止と書かれていますが、今回は事前に立ち入り許可を頂きました。
天端は芝生のようにきれいに草が刈られています。
また貯水池側にはかつて野外活動センターがあったためか、ガードレールが設置されています。
左岸に池栓がある一方、湖面からも取水用と思われるパイプが伸びています。
放流量を増やすために増設されました。
総貯水容量14万立米の貯水池。
下流面もきれいに草が刈られています。
土地改良区の話では、草刈は年に一度だけ、シカが草を食みこのような状態になったそうです。
左岸から上流面
花崗岩の谷積で護岸。
左岸の階段式池栓
チェーンは新しくこちらも取水設備として機能しています。
池の下に下りてみました。
堤高は15.4メートル(ため池データベース)
底樋管を探しましたが見つかりませんでした。
基部は石積。
帰宅後改めて土地改良区に両池の運用について問い合わせてみました。
大平池の水は田代池経由で滝川に放流されますが、両池の水利権は明確に区別されそれぞれ下流の取水堰から受益農地に補給されるそうです。
当然池の管理や維持・整備についても両池それぞれの井子によりに行われているとのこと。
1256 大平池(2029)
ため池コード 242160549
三重県伊賀市山畑
淀川水系滝川
A
E
15.1メートル(ため池データベース 15.4メートル)
124メートル
140千㎥/126千㎥
伊賀町土地改良区
1979年
「井子」とはどういう意味でしょうか。
文章の流れから
それぞれの受益者の事かなとも思ったのですが・・
わからないまま読み進めるより
聞くは一時・・の方を選択しました。
お時間のある時で良いので、教えてください。
伊賀地方固有の名称で、おっしゃるように池の受益農家組織=水利組合と同義とお考え下さい。
本文にもあるように伊賀には1000を超える溜池があり、それぞれ受益農家が決まっています。
でも溜池は田んぼのすぐそばにあるわけではなく川のはるか上流に作られ複数の溜池が一つの河川を流下して流域の田んぼに水を供給することもあります。
でも水に色がついているわけではないので、放流については井子ごとに日時や時間を変えるなどして区分しています。
さらに、井子の中でもAさんの田んぼは朝の6時から7時、Bさんの田んぼは7時から8時などと取水できる時間を厳密に定めていました。
これを「刻水(ときみず)」と言い、ずるをする農家がいないか?見張りをするのが昔の農家の子供の役目だったそうです。
規則破りの罰は厳しく、他所の溜池の水を掠め取ったり、時間を超えて取水すれば場合によっては「村八分」。
渇水時などは井子ごとの争いもあり流血騒ぎが起きることも少なくなかったとか。
有難うございました。
農家さんにとって水は命。
互いを信頼し合って取り決めた約束は
ある意味、命懸けで守らなければならなかった事だったと思います。
水は命 まさしく命の水なんだと
改めて学ばせて頂きました。