国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

どうにか復活

2018-12-31 | 帰省(2018〜19)
一向に回復の兆しの見られない私たちを見かねてAna Maríaさんは医者へ行くことを勧めてきましたが、基本的に海外の医療を信用していない(医療事故だけは勘弁と思っている)私は謹んで辞退。それでLindaだけが診察を受けることに。その前に済ませておくと後が早いということで彼女の便をクリニックに持って行って調べてもらったのですが・・・・その検査結果がこれ↓

イタリック(斜体)ではなかったものの、私はパッと見て何かの生物の学名(ラテン名)と直観しました。検便(顕微鏡観察)でその何とかのquisteとやら(後で辞書を引いたら嚢胞)が観察された、と書かれていますが、ではその何とかとはいったい? で、Ana Maríaさんに尋ねてみたところ「○○ー○」という答え。それを聞いて私は思わず「うっそー?!」と焦りました。

帰国時に○○ー○が原因の病気(赤○)に罹っていたことが判明したため空港で足止めされ、その後病院に隔離されたという事例を複数聞いていたからです。うち1例は私の研究室の後輩で、東南アジアへの卒業旅行の帰りに引っかかり、これといった症状は出ていないにもかかわらず1ヶ月ほど隔離入院させられたとのこと。(法律で定められているため、その間の諸経費はすべて国が持ってくれたそうですが。)帰国当日午後の授業をはじめスケジュールがビッシリの私が同じことになっては絶対に困ります。(さすがにクビにはならないでしょうけど。)

内科医の診察を受けたLindaには3種類の薬が処方されました。その何とかを駆除するための錠剤と、下痢などの症状を抑える錠剤、そして腸内の細菌相を整えるためのシロップ。それで私も同じ薬を飲み続けることにしましたので、帰国時には完全に治癒していたものと確信しています。(伏せ字にしなくても良かったかな?)

なお感染性胃腸炎の症状は大抵1~2日で治まるとネットにあったので、さほど心配はしていなかったのですが、実際私も大晦日の午後から次第に体が楽になり、飲み食いしてもすぐ腹が下るようなことはなくなりました。兎にも角にも新年を迎えるパーティーの前に体調が戻ってきたのはラッキーでした。
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知らなんだ

2018-12-31 | 帰省(2018〜19)

この書類は確かLindaと私が乗らなかったラパス→コチャバンバ便の権利をお姉さん達に譲る(注)ための書類だったと記憶していますが、そのLindaのサインを見て「これ『ベ』と違うか?」と訝しく思いました。(注:直前にキャンセルできたため、それが可能になりました。手数料として半分以上持って行かれましたが、それでも新規購入よりは安く上がったそうです。)

それまで全く気が付きませんでしたが、パスポートのサインもそれっぽい。さらに・・・・・

上は後日ペルーに入国する時のものですが、こちらには「う」としか読めない字までも。それでどうしてこうなっているのか尋ねてみました。Lindaの説明はこうでした。

今から二十年以上前のこと、既に私の知人H君の妻となっていた従姉妹のAさんから日本語の読み書き(ただし平仮名のみ)を学んだついでに自分の名前 "Urbelinda" をどう表記するのかも教えてもらい、以来それを自分のサインに採り入れることにしたのだとか。実際には「うRべりんだ」と書いているようです。

これが完全な「うるべりんだ」あるいは「ウルベリンダ」になる日がいつか来るのでしょうか?(長年使ってきた署名を今になって変えるというのは賢明ではありませんが。)
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