2日目
2023-12-17 | 日記
前日に五稜郭を消化したお陰で余裕ができました。次の訪問予定地だった熱帯植物園は当然繰り上げですが、そこへは開園時刻の9時半までに着ければ十分ということで、外でゆっくり朝食を摂ってから向かえば良いだろうと考えていたのですが・・・・・直前に気が変わりました。7時半に出発。既に夜明け前から雨が降っていましたが、4日間も滞在すれば1日ぐらい天気が崩れるのは織り込み済。それよりも寒さが案じていたほど厳しくないのが助かりました。
植物園とは逆方向の市電に乗り、停車中に1日乗車券を買いました。そして魚市場通で下車。9月訪れた氷見では見学したいと思いながら休場で叶わなかったからです。
中に入ってみれば、そこは小売店とか飲食店の関係者が買い付けに来る場所のようで、食堂も観光客も全く見ませんでした。
停泊中のイカ釣り漁船が数隻。
奥には立ち並ぶ赤レンガ倉庫群。さらに遠方には函館山が。この後、出口を探していた時に呼び止められました。ここは許可なくして立ち入ってはいけない場所(ただし一般人も事前に入構許可を取ればOK)だったとは! 全く知らなかったとはいえスンマセン(平身低頭)。
再び市電に乗って移動。傘は差していましたが結構濡れました。左腕のポケットに入れていた乗車券もいつしかグッショリ。
新川町で降り、真ん前のはこだて自由市場へ。
ここは駅前の函館朝市ほど観光地化していない(地元の人が買いに来る)ため割安というレビューを見ていました。
一回りして生タコ、イカ刺し、マグロ中落ちのパックを購入し・・・・・・
それらをイートインスペースで買ったご飯に乗せて即席の海鮮丼。(ここでは釧路の勝手丼のようにネタを一切れ単位で買うことはできないようです。)あとアオサの味噌汁も。
計算してみたら一人当たり1200円。十分お値打ちな朝食で、とくに大きめにぶつ切りされた生タコが絶品でした。ちなみに500円払えば炭火を使うこともでき、ホッケやLindaの大好物のサーモンなどを網で焼くことも可能。それで後日もう1回来ようということになりました。
函館競馬場の前を通過。私が人生で最も競馬場に近づいた瞬間だったかも。(競輪場なら自転車琵琶湖一周時に大津で必ず前を通るのですが。)レースはたまにテレビで観ても馬券は一度も買ったことがありませんからね。
終点の湯の川で降り、そして徒歩で1kmほどの植物園へ。(1日乗車券を買っていなければ駅からバスで直に来ることもできました。)入場直後、左前方に人だかりが見えたので目当てだとすぐ判りました。
温泉に入る猿といえば長野の地獄谷の方が有名でしょうし、それをテレビで観たLindaからもせがまれていましたが、関西からはちょっと行きにくい。(東京からは大手旅行社のバスツアーが出ているようですが。)それでひとまずこれで満足してもらうことにしました。とはいえ、雨足は一向に弱まる気配がなく、それ以上に参ったのが強風。
それで温室内に避難。
実際にも雨粒が落ちてきました。
ヘラクレスオオカブトなど外国の甲虫の展示も。
この多肉植物の学名(種名)が・・・・・
パラグアイに由来するとは全然知りませんでした。マテ茶の原料であるIlex paraguayensisは講義でもちょっとだけ触れているので頭に入っていますけど。(他にサボテンやオオトカゲにも。ちなみに同国原産のステビア (Stevia rebaudiana) やパラグアイオニバス (Victoria cruziana) には入っていません。)スマホで雨雲の動きをチェックしたところ10分後(10:50頃)に雨が止むという予報だったのですが見事的中。外に出ました。
手を叩いて餌(入口にて1袋100円で販売)をおねだりしています。
ここでLindaが最も印象に残ったものを話してくれたのですが(私も同意)、そして動画にも写っているのですが伏せときますね。その代わりに現地でも上映していたこちら(埋め込みは禁止らしいのでリンク)を貼っときます。
前日スーパーに寄る途中に場所を確認していたネパール料理店で昼食。3年前の道東旅行では結局食べ損なってしまったスープカレーを是非にと思っていました(ここがランチでも出しているのは確認済)。あとノーマルなチキンカレーも。ところが予想外の事態が。スープカレーはサラサラのインディカ米と合うので当然それですが、チキンカレーに添える方はナンを頼んだはずなのに出てきたのはともにライス。言えば代えてくれたかもしれませんが、時間が勿体ないし、言った言わないで揉めるのも嫌だったのでそのまま食べました。ちょっと残念。飲食店での注文時の「復唱します」が煩わしいと思ったりする私ですが、やっぱり必要かなあと思ったのでした。
停留場で多言語によるこういう表示を何度も見かけました。その理由を後で知らされることになります。(予想はついたのでLindaに話しました。)
何度もスマホを構え、ようやく決定的瞬間(大袈裟)が撮れました。既に語り尽くされていることとは思いますが、関西人にはやはりインパクトがありますわ。(後の街歩きツアーでもガイドさんがしっかりそれに言及していたし、私たちと同じく阪急交通社のツアーで参加したと思しき人達も一様に頷いていました。)「よっぽどイライラが溜まってたんやなぁ」とあれこれ想像してしまったのは決して私だけではないはず(苦笑)。
北方民族資料館の近くで下車。旧日本銀行函館支店だったそうで、たいそう立派な建物です。
天井は高いし、大正15年(1926年)建築当初の設備等も一部残されていました。
そして興味深い展示物も多数。前日の繰り返しですが、これで入館料金300円は安すぎ。
(隣の文学館は「石川啄木生誕百年記念」の文字も見えましたが、既述した通り興味がないのでパス。)
続いて郷土資料館にも。
漢字は右から読みます。元は旧金森洋物店だったそうですが・・・・・
その金森さんは赤レンガ倉庫の創業者でもありました。
最終日の午前中にここでショッピングのつもりだったのですが、午前中に遠目から見たLindaが行きたがったので。二人ともお土産をタップリ買いました。
このツリーを見てもLindaは冷淡な表情。(馬鹿騒ぎするだけのハロウィンはもっと酷いですが)日本のクリスマスはイエスも十字架もそっちのけで盛り上がっているのが非常に気に入らないようです。おっしゃる通りで返す言葉もありません。
このままブラブラして街歩きツアーの集合時間まで過ごすはずでしたが、デイパックが土産物で重くなってしまい、それを背負っての長時間歩きは辛い。時計を見たらまだ1時間あるので一旦ホテルに戻ることにしました。この判断は正解でした。
遅ればせながらですが、画像左がそれです。
新選組最期の地ということで、こういうのもありました。
元はデパートだったという函館市地域交流まちづくりセンター(写真を取り損なったので代わりにこちらを)のロビーがツアーの集合場所。ところが本日2度目となる想定外の事態が。受付の人に名前を告げたところ私たち(泉夫妻)はリストに乗ってないとのこと。んなアホな! で手持ちのクーポンを見たら、たしかに日付は10日(翌日)となっていました。でも・・・・・
これは旅行社サイトのマイページに掲載されていた日程表で、同じものが自宅にも郵送されていました。(後でツアーの紹介ページを確認したところ「2日目又は3日目のご選択日での参加となります」と書かれてはいたものの)それゆえ私は2日目がガイドツアーで3日目が完全フリーと思い込んでいました。それでちょっと不安に。(翌日使用予定で日付変更不可の道南いさりび鉄道1日乗車券をパーにしたくはありません。)それで「今からでも入れてもらえますか?」と尋ねたらOKの返事だったのでホッと一息。また函館山ロープウェイの乗車券もクーポンの日付と違っていても交換できると聞きホッと二息。(以下憤懣:クーポンが届いた時点で確認すべきだったのでしょうが、旅行社にも混乱を招いた原因の一端があることは明らか。帰宅後にアンケート依頼のメールを受け取ったので文句を言ったろと思ったのですが、自由回答の欄がなく残念。)
定刻の16時にボランティアガイドさんの先導でツアー開始。まちづくりセンター向かいの歩道に日本最古(大正12 (1923) 年建造)のコンクリート電柱が立っていました。右画像の方が新しい(昭和)にもかかわらず、混ぜ物のせいでヒビが入っているのが面白いという説明でした。
このような和洋折衷様式(1階が和、港から見える2階が洋)という建物がそこら中にありました。
続いてレンガ倉庫へ。18時ジャストに始まるツリーのライトアップに合わせてくれたんですね。さすがのLindaもこの魅力には抗し難かったようです。
東日本大震災の時、津波がここまで(背の低い自分の首辺りまで)押し寄せたと説明されているところ。全く知りませんでしたが、函館でも一人亡くなられたそうです。
坂の上に見える旧函館区公会堂まで歩きました。2週間前は路面が凍結し、手すりを掴まなければとても登れなかったそうです。そういえば(これまた写真を撮らなかったのでリンクで代用しますが)こちらで紹介されている「すべり止め砂」を収納したボックスをあちこちで見ました。私はそんな恐ろしいところで車を運転するのは絶対嫌です。
その坂道の脇には銅像がいくつも建っていましたが、「ガイドになるには試験にパスする必要があり、誰の銅像なのかも問われるので全部覚えたけれど、合格して3年経ったら全部忘れた」とのこと。わかります。私もLindaの受験勉強(運転免許学科試験)に付き合って道路交通法を必死で勉強しましたが、果たしてどれだけの知識が残っているやら?
数多い坂の中で最も人気がある八幡坂にて。そこそこ見られるセルフィーも何とか1枚撮れました。
その後は上のハリストス正教会(ロシア正教)など、キリスト教や仏教の建造物を巡ってツアー終了。そのまま帰る人は坂を下り(注)、私たちと同じく函館山に登る人はロープウェイ乗り場まで案内してもらいました。(注:その下り切る少し前に前日触れた五島軒の本店があり、そこで晩餐を楽しんだ人もいるでしょう。その高級レストランは私も検討しましたが、コース料理は予約が必要だし値段は5桁。セットメニューもコスパが悪そう。記念に手頃な価格のカレーを食べる手はありましたが、リンク先の写真を見る限り量が足りなさそうなので見送り。)着いて間もなく、18時開始の打ち上げ花火が見られ皆大喜び。時間を合わせてくれた訳でもないでしょうがガイドさんには感謝です。
ロープウェイ乗り場は人、人、人。けれども一度に積み込める人数が多いため次の便に乗れました。
4年前の長崎旅行では自撮り棒がなかったのでいいのが撮れませんでした。今回はバッチリ。フロントカメラは単一レンズゆえピントがどうしても甘くなりますが。
夜景の美しさではやっぱりこっちです。これで2日目の観光は終了。市電で函館駅に戻り、事前リサーチしていた回転寿司(非大手のちょっといいチェーン店)で晩飯を食べるべく、店舗のある地下1階に降りてみたら入店待ちの人、人、人。そして順番待ちの発券用タッチパネルを見たら「21組」と表示されていたので「こらアカン」と退散。
それでホテル向かいの建物内にある居酒屋で(前回の道東旅行の最初の食事と同じく)ザンギ定食を食べました。注文時に少々時間がかかる(大ぶりの鶏もも肉にしっかり火を通すため)と言われましたが、待った甲斐は十分ありました。
おまけ
この日は市電の1日乗車券購入時にもらった市街マップを片手に歩いたのですが、午後資料館巡りをしていた時、「亀井勝一郎」の文字が目に入ってハッと思い出しました。函館に初めて来たのが29年前だったことは先に書きましたが、当時の私が小林秀雄と並んで傾倒していた文芸評論家の名前です。(今や「それ誰なん?」という扱いでしょうけど。小林ですらそうなりつつあるような。)それで亀井氏の生まれた地を是非ともこの目で確かめたいと思ったことが当地を訪れることにしたそもそもの動機でした。(もう長いこと氏の著作から遠ざかっていたこともあり、それを完全に忘れていました。)文学碑や生誕の地碑はもちろん、氏のエッセイにもしばしば登場する教会や寺院仏閣も巡り、最後は徒歩で函館山の頂上まで登って夜景を見たのでした。けれどその時の私の気分はといえば・・・・・景色に感動するどころではなく気分はずっと沈んだまま。いや、むしろ半ば自暴自棄の心境だったと思います(つづく)。
植物園とは逆方向の市電に乗り、停車中に1日乗車券を買いました。そして魚市場通で下車。9月訪れた氷見では見学したいと思いながら休場で叶わなかったからです。
中に入ってみれば、そこは小売店とか飲食店の関係者が買い付けに来る場所のようで、食堂も観光客も全く見ませんでした。
停泊中のイカ釣り漁船が数隻。
奥には立ち並ぶ赤レンガ倉庫群。さらに遠方には函館山が。この後、出口を探していた時に呼び止められました。ここは許可なくして立ち入ってはいけない場所(ただし一般人も事前に入構許可を取ればOK)だったとは! 全く知らなかったとはいえスンマセン(平身低頭)。
再び市電に乗って移動。傘は差していましたが結構濡れました。左腕のポケットに入れていた乗車券もいつしかグッショリ。
新川町で降り、真ん前のはこだて自由市場へ。
ここは駅前の函館朝市ほど観光地化していない(地元の人が買いに来る)ため割安というレビューを見ていました。
一回りして生タコ、イカ刺し、マグロ中落ちのパックを購入し・・・・・・
それらをイートインスペースで買ったご飯に乗せて即席の海鮮丼。(ここでは釧路の勝手丼のようにネタを一切れ単位で買うことはできないようです。)あとアオサの味噌汁も。
計算してみたら一人当たり1200円。十分お値打ちな朝食で、とくに大きめにぶつ切りされた生タコが絶品でした。ちなみに500円払えば炭火を使うこともでき、ホッケやLindaの大好物のサーモンなどを網で焼くことも可能。それで後日もう1回来ようということになりました。
函館競馬場の前を通過。私が人生で最も競馬場に近づいた瞬間だったかも。(競輪場なら自転車琵琶湖一周時に大津で必ず前を通るのですが。)レースはたまにテレビで観ても馬券は一度も買ったことがありませんからね。
終点の湯の川で降り、そして徒歩で1kmほどの植物園へ。(1日乗車券を買っていなければ駅からバスで直に来ることもできました。)入場直後、左前方に人だかりが見えたので目当てだとすぐ判りました。
温泉に入る猿といえば長野の地獄谷の方が有名でしょうし、それをテレビで観たLindaからもせがまれていましたが、関西からはちょっと行きにくい。(東京からは大手旅行社のバスツアーが出ているようですが。)それでひとまずこれで満足してもらうことにしました。とはいえ、雨足は一向に弱まる気配がなく、それ以上に参ったのが強風。
それで温室内に避難。
実際にも雨粒が落ちてきました。
ヘラクレスオオカブトなど外国の甲虫の展示も。
この多肉植物の学名(種名)が・・・・・
パラグアイに由来するとは全然知りませんでした。マテ茶の原料であるIlex paraguayensisは講義でもちょっとだけ触れているので頭に入っていますけど。(他にサボテンやオオトカゲにも。ちなみに同国原産のステビア (Stevia rebaudiana) やパラグアイオニバス (Victoria cruziana) には入っていません。)スマホで雨雲の動きをチェックしたところ10分後(10:50頃)に雨が止むという予報だったのですが見事的中。外に出ました。
手を叩いて餌(入口にて1袋100円で販売)をおねだりしています。
ここでLindaが最も印象に残ったものを話してくれたのですが(私も同意)、そして動画にも写っているのですが伏せときますね。その代わりに現地でも上映していたこちら(埋め込みは禁止らしいのでリンク)を貼っときます。
前日スーパーに寄る途中に場所を確認していたネパール料理店で昼食。3年前の道東旅行では結局食べ損なってしまったスープカレーを是非にと思っていました(ここがランチでも出しているのは確認済)。あとノーマルなチキンカレーも。ところが予想外の事態が。スープカレーはサラサラのインディカ米と合うので当然それですが、チキンカレーに添える方はナンを頼んだはずなのに出てきたのはともにライス。言えば代えてくれたかもしれませんが、時間が勿体ないし、言った言わないで揉めるのも嫌だったのでそのまま食べました。ちょっと残念。飲食店での注文時の「復唱します」が煩わしいと思ったりする私ですが、やっぱり必要かなあと思ったのでした。
停留場で多言語によるこういう表示を何度も見かけました。その理由を後で知らされることになります。(予想はついたのでLindaに話しました。)
何度もスマホを構え、ようやく決定的瞬間(大袈裟)が撮れました。既に語り尽くされていることとは思いますが、関西人にはやはりインパクトがありますわ。(後の街歩きツアーでもガイドさんがしっかりそれに言及していたし、私たちと同じく阪急交通社のツアーで参加したと思しき人達も一様に頷いていました。)「よっぽどイライラが溜まってたんやなぁ」とあれこれ想像してしまったのは決して私だけではないはず(苦笑)。
北方民族資料館の近くで下車。旧日本銀行函館支店だったそうで、たいそう立派な建物です。
天井は高いし、大正15年(1926年)建築当初の設備等も一部残されていました。
そして興味深い展示物も多数。前日の繰り返しですが、これで入館料金300円は安すぎ。
(隣の文学館は「石川啄木生誕百年記念」の文字も見えましたが、既述した通り興味がないのでパス。)
続いて郷土資料館にも。
漢字は右から読みます。元は旧金森洋物店だったそうですが・・・・・
その金森さんは赤レンガ倉庫の創業者でもありました。
最終日の午前中にここでショッピングのつもりだったのですが、午前中に遠目から見たLindaが行きたがったので。二人ともお土産をタップリ買いました。
このツリーを見てもLindaは冷淡な表情。(馬鹿騒ぎするだけのハロウィンはもっと酷いですが)日本のクリスマスはイエスも十字架もそっちのけで盛り上がっているのが非常に気に入らないようです。おっしゃる通りで返す言葉もありません。
このままブラブラして街歩きツアーの集合時間まで過ごすはずでしたが、デイパックが土産物で重くなってしまい、それを背負っての長時間歩きは辛い。時計を見たらまだ1時間あるので一旦ホテルに戻ることにしました。この判断は正解でした。
遅ればせながらですが、画像左がそれです。
新選組最期の地ということで、こういうのもありました。
元はデパートだったという函館市地域交流まちづくりセンター(写真を取り損なったので代わりにこちらを)のロビーがツアーの集合場所。ところが本日2度目となる想定外の事態が。受付の人に名前を告げたところ私たち(泉夫妻)はリストに乗ってないとのこと。んなアホな! で手持ちのクーポンを見たら、たしかに日付は10日(翌日)となっていました。でも・・・・・
これは旅行社サイトのマイページに掲載されていた日程表で、同じものが自宅にも郵送されていました。(後でツアーの紹介ページを確認したところ「2日目又は3日目のご選択日での参加となります」と書かれてはいたものの)それゆえ私は2日目がガイドツアーで3日目が完全フリーと思い込んでいました。それでちょっと不安に。(翌日使用予定で日付変更不可の道南いさりび鉄道1日乗車券をパーにしたくはありません。)それで「今からでも入れてもらえますか?」と尋ねたらOKの返事だったのでホッと一息。また函館山ロープウェイの乗車券もクーポンの日付と違っていても交換できると聞きホッと二息。(以下憤懣:クーポンが届いた時点で確認すべきだったのでしょうが、旅行社にも混乱を招いた原因の一端があることは明らか。帰宅後にアンケート依頼のメールを受け取ったので文句を言ったろと思ったのですが、自由回答の欄がなく残念。)
定刻の16時にボランティアガイドさんの先導でツアー開始。まちづくりセンター向かいの歩道に日本最古(大正12 (1923) 年建造)のコンクリート電柱が立っていました。右画像の方が新しい(昭和)にもかかわらず、混ぜ物のせいでヒビが入っているのが面白いという説明でした。
このような和洋折衷様式(1階が和、港から見える2階が洋)という建物がそこら中にありました。
続いてレンガ倉庫へ。18時ジャストに始まるツリーのライトアップに合わせてくれたんですね。さすがのLindaもこの魅力には抗し難かったようです。
東日本大震災の時、津波がここまで(背の低い自分の首辺りまで)押し寄せたと説明されているところ。全く知りませんでしたが、函館でも一人亡くなられたそうです。
坂の上に見える旧函館区公会堂まで歩きました。2週間前は路面が凍結し、手すりを掴まなければとても登れなかったそうです。そういえば(これまた写真を撮らなかったのでリンクで代用しますが)こちらで紹介されている「すべり止め砂」を収納したボックスをあちこちで見ました。私はそんな恐ろしいところで車を運転するのは絶対嫌です。
その坂道の脇には銅像がいくつも建っていましたが、「ガイドになるには試験にパスする必要があり、誰の銅像なのかも問われるので全部覚えたけれど、合格して3年経ったら全部忘れた」とのこと。わかります。私もLindaの受験勉強(運転免許学科試験)に付き合って道路交通法を必死で勉強しましたが、果たしてどれだけの知識が残っているやら?
数多い坂の中で最も人気がある八幡坂にて。そこそこ見られるセルフィーも何とか1枚撮れました。
その後は上のハリストス正教会(ロシア正教)など、キリスト教や仏教の建造物を巡ってツアー終了。そのまま帰る人は坂を下り(注)、私たちと同じく函館山に登る人はロープウェイ乗り場まで案内してもらいました。(注:その下り切る少し前に前日触れた五島軒の本店があり、そこで晩餐を楽しんだ人もいるでしょう。その高級レストランは私も検討しましたが、コース料理は予約が必要だし値段は5桁。セットメニューもコスパが悪そう。記念に手頃な価格のカレーを食べる手はありましたが、リンク先の写真を見る限り量が足りなさそうなので見送り。)着いて間もなく、18時開始の打ち上げ花火が見られ皆大喜び。時間を合わせてくれた訳でもないでしょうがガイドさんには感謝です。
ロープウェイ乗り場は人、人、人。けれども一度に積み込める人数が多いため次の便に乗れました。
4年前の長崎旅行では自撮り棒がなかったのでいいのが撮れませんでした。今回はバッチリ。フロントカメラは単一レンズゆえピントがどうしても甘くなりますが。
夜景の美しさではやっぱりこっちです。これで2日目の観光は終了。市電で函館駅に戻り、事前リサーチしていた回転寿司(非大手のちょっといいチェーン店)で晩飯を食べるべく、店舗のある地下1階に降りてみたら入店待ちの人、人、人。そして順番待ちの発券用タッチパネルを見たら「21組」と表示されていたので「こらアカン」と退散。
それでホテル向かいの建物内にある居酒屋で(前回の道東旅行の最初の食事と同じく)ザンギ定食を食べました。注文時に少々時間がかかる(大ぶりの鶏もも肉にしっかり火を通すため)と言われましたが、待った甲斐は十分ありました。
おまけ
この日は市電の1日乗車券購入時にもらった市街マップを片手に歩いたのですが、午後資料館巡りをしていた時、「亀井勝一郎」の文字が目に入ってハッと思い出しました。函館に初めて来たのが29年前だったことは先に書きましたが、当時の私が小林秀雄と並んで傾倒していた文芸評論家の名前です。(今や「それ誰なん?」という扱いでしょうけど。小林ですらそうなりつつあるような。)それで亀井氏の生まれた地を是非ともこの目で確かめたいと思ったことが当地を訪れることにしたそもそもの動機でした。(もう長いこと氏の著作から遠ざかっていたこともあり、それを完全に忘れていました。)文学碑や生誕の地碑はもちろん、氏のエッセイにもしばしば登場する教会や寺院仏閣も巡り、最後は徒歩で函館山の頂上まで登って夜景を見たのでした。けれどその時の私の気分はといえば・・・・・景色に感動するどころではなく気分はずっと沈んだまま。いや、むしろ半ば自暴自棄の心境だったと思います(つづく)。