命光不動尊のブログ

貴方の知らない神道や仏教の教えが命光不動尊にはあります。

死後の行き先 2

2020年03月25日 17時57分15秒 | ひと口法話

昨日の話は、死後、どんなに仲の良い夫婦や兄弟、親子でも

行く境涯が違うと言いました。

 

何故、そういうことになるのか…

すべての生き物は、前世の業(ごう)により、現在の境涯に生まれ変わっており、

また、今世(現世)行いにより、死後赴く世界が違うのです。

 

前世の業とは、なんでしょう。

簡単に言いますと、生まれ変わる前の生き様(行い)です。

 

前世においてどのような善業(善い行い)を積んだのか

また、どのような悪業(悪い行い)を積んできたか。

 

善業が(プラス)であるならば、悪業は(マイナス)として現れてくるわけで、

善業が多いほど幸せな人生を送り、悪業が多いほど不幸な人生を送っているのが現状です。

 

では、現世で信心のない人。真面目に働きもしないダメ人間だった人は、

死後、地獄に堕ちるのでしょうか。

 

そうも言いきれません。

当山で長い間、奥様が四家先祖供養や霊界施餓鬼一粒萬福法要をされており、

ご主人が亡くなられて直ぐに

当山での特別な四十九日法要 百日法要を申し込まれた。

そのお蔭で死後も幸せな境涯に行くことができたようです。

 

故人様は死後の世界を信じない方でしたので、

奥様の信心を快く思っておらず、

自分が死んで初めて供養の大切さを実感されたようでございました。

 

死んで初めて家内が、

長年にわたり先祖のためにこのような手厚い供養をしてくれていたことを知り、

大変感謝されていたそうです。

 

「闘病生活の時は、家内に無理難題を言い、申し訳なかった」

「これからは、私は見守ります」と山主に言っていたそうです。

 

亡くなられて直ぐに良い境涯に行くことができるというのは、

故人のもって生まれた徳分と

奥様の陰徳積み(功徳)によるものであると確信しております。

 

先祖の未来は、我々の供養によるもの。

また、我々の未来は、先祖の見守りによるもの。

 

南無大師遍照金剛