第1回外国にルーツをもつ児童生徒のための日本語指導者養成講座が開かれた。
愛知県下の小学校、中学校、地域で子どもたちに日本語を教える方たちが30人ぐらい集まり、話し合いをした。
ぼくは、ボランティアとして日本語を教えているので、昨年もあったようだが、今年初めて参加した。
会場には、英語、ポルトガル語、ベトナム語、フィリピン語などの原書が所狭しと置かれていた。
教えている子どもたちの母語の本を手に取って見ている人が多かった。
つい最近ベトナムに行って買ってきた本も並べられていた。
会は、西尾、知立、碧南、安城の小学校で教えている方から、実践報告がされて、質疑応答があった。
ぼくが質問したことは、「①保護者はなぜ日本に来たのか?②中学校を卒業しても自分の進路に進めないがどうしているか?」の2点だった。
①については、親によって違うが、経済的なことや社会不安が少ない、などがあったが、国に帰っても結局その国の「人ではなく、日本人として見られ、不登校になったしまうということも話された。
②については、実際夕方に勉強会をしている人から回答があった。
そのあと、5~6人のグループに分かれ、「連携について」問題を出し、ではどうしたらいいかを話し合った。
付箋に課題を書き、それをB紙に貼り、それに対して全員で話しあったことをピンクや赤のマジックで書いた。

各グループから、話しあった対応策を発表したあと、豊田市の実践報告をした。
その発表の中で、あまりにもポルトガル語話者が多く、学級の授業が進まず、日本の子どもたちに日本語の遅れが出て来てしまった話がある。
日本人を含め、外国人の学習コースを作り、対応しているとのことだった。
今後の日本の将来にかかった話だと思った。
テレビでも紹介のあった愛知県立大学を卒業したポルトガル人が豊田市の先生になった話には、希望を見いだすことができた。
でも、その男の人が在籍していた小学校は、今、とても困ったことが多いと、そこからやって来た先生が言っていた。
