大本山永平寺
平成27年10月31日 午前9時30分~
天龍寺の続きから
物書て 扇引さく 餘波哉 芭蕉
男色家でもあったといわれる芭蕉の桃妖へ
の心の傾きを如何ともしがたきその状況。
文人のなせる業かな?曾良の思い煩いも
我慢の限度を超えたのであろう?
胃痛・心の臓の患いも本当だろう。
芭蕉翁目覚ましの別れでもあったのか?
永平寺
三度目の参詣である。
来るたび身も心も引き締まる感あり。
修行寺、勤行のよさかな。
丸岡で一泊した芭蕉は、翌朝、昔江戸品川
の天竜寺の住職で、当時は松岡天竜寺の住職
であった旧知の”大夢和尚”に会う目的で、
越前の国・松岡に向けて出発する。
(芭蕉は丸岡天竜寺と記載)
しかし、此処からの芭蕉の足跡は、曾良の
日記の裏付けがない為、不明な部分が多いと
され、芭蕉が永平寺を訪れたかどうかも確証
がないらしい。
永平寺
永平寺山門
平成27年10月31日 午前9時30分~
天龍寺の続きから
物書て 扇引さく 餘波哉 芭蕉
男色家でもあったといわれる芭蕉の桃妖へ
の心の傾きを如何ともしがたきその状況。
文人のなせる業かな?曾良の思い煩いも
我慢の限度を超えたのであろう?
胃痛・心の臓の患いも本当だろう。
芭蕉翁目覚ましの別れでもあったのか?
永平寺
三度目の参詣である。
来るたび身も心も引き締まる感あり。
修行寺、勤行のよさかな。
丸岡で一泊した芭蕉は、翌朝、昔江戸品川
の天竜寺の住職で、当時は松岡天竜寺の住職
であった旧知の”大夢和尚”に会う目的で、
越前の国・松岡に向けて出発する。
(芭蕉は丸岡天竜寺と記載)
しかし、此処からの芭蕉の足跡は、曾良の
日記の裏付けがない為、不明な部分が多いと
され、芭蕉が永平寺を訪れたかどうかも確証
がないらしい。
永平寺
永平寺山門