令和5年5月15日(月)
福井市: 玉江跡:玉江二の橋
<朝六つ橋>
この附近一帯の小流は、
歌枕にとりあげられたりして、
往時から知られている
「玉江の跡」である。
この橋はその名残を伝え、
「玉江二の橋」の名で呼ばれる。
元禄2年(1689)8月13日
(新暦9月26日)、
芭蕉は神戸洞哉と共に
夜明け前に福井を立つ。
<朝六つ橋>
あさむつ橋を渡り、
玉江の蘆を見ている。
<芭蕉と西行の句碑>
芭蕉の句は、
「月見せよ
「月見せよ
玉江の芦を
刈らぬ先」 。
福井県福井市の八幡山の
南東麓あたり、
福井鉄道の花堂駅から江端駅に
かけての一帯は、
昔の浅水川の氾濫原であり、
中世まで湿地帯が広がっていた。
沼地には葦が群生し、
様々な水鳥が飛来している。
北国街道は
北国街道は
この湿地帯を南北に縦断して
通っており、
旅人たちは風光明媚な風景を
楽しむことになる。
ここは
ここは
玉のようなきれいな川が
流れていたのか、
「玉江」という地名である。
この地では、
夏に伸びた葦を刈る「夏苅り」が
盛んに行われていたようで、
『夏苅りの葦の玉江』
として歌枕になっている。
以下歌枕となる証の古歌。
まず、
後拾遺和歌集の一首。
「夏刈の
「夏刈の
玉江の芦を
ふみしだき
むれいる鳥の
むれいる鳥の
立つ空ぞなき」。
~つづく。
~つづく。