貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

大垣市奥の細道結びの地その2 芭蕉と木因の出会いから!

2023-05-26 11:17:19 | 日記
令和5年5月26日(金)
<大垣船町川湊石碑>

<絶景!水門川>

 先ずは、
芭蕉翁と木因翁の像で、
四度の往来を振り返る。    
<芭蕉と谷木因の立像>
                       
  やはり、
人と人との絆の深さを、
尊縁のよさを感じざるを得ない。          
 芭蕉が最初に大垣を訪れたのは、
貞享元年(1684)、
「野ざらし紀行」の旅の途中、
俳友 谷木因(ぼくいん)を
訪ねたのがきっかけ。
 谷木因と芭蕉とは、
京都の北村季吟(きぎん)の相弟子。

 当時、大垣の俳諧は、
大垣十万石の城主戸田公の
文教奨励もあって、
谷木因の指導のもと、
大垣藩士らを中心に盛況となる。
 芭蕉の4回にわたる大垣への訪れは、
大垣俳壇に新風を吹き込み、
「蕉風」俳諧は美濃一円に広がり、
以後美濃俳諧としての基礎が
固まったといわれている。 
<蛤塚の芭蕉句碑>
    
 蛤塚は、
「奥の細道」の旅を無事終え、
大垣で詠んだ句、            
 「蛤の 
  ふたみに別 
    行秋ぞ」 
は、
千住で、
矢立の句として詠んだ、
「行春や 
  鳥啼き魚の 
    目ハ泪」 
と呼応。

 長旅の疲れを、
大垣で木因らと俳諧に興じ、
癒やすことになる。
~つづく。                  












     伊勢まで船旅もいいなあ!           芭蕉句碑を挟むように、木因白桜塚がある。     「惜むひげ 剃りたり窓に 夏木立」            白桜下 木因
と刻印されている。