令和5年5月24日(水)
萩塚には、芭蕉杖跡の石碑もある。 「寂し塚」というのもあるそうだが…?
<萩塚>
芭蕉の句碑の他、
芭蕉が種の浜(色が浜)訪問を
切望した源となった
西行の歌碑もある。
西行の歌は、
「汐そむる
「汐そむる
ますほの小貝
拾ふとて
色の濱とは
いふにやあるらん」 。
<芭蕉句「小萩ちれ・・・・」碑>
芭蕉のもう一句である三句目は、
「浪の間や
小貝にまじる
萩の塵」 。
浜辺に降りて、
浜辺に降りて、
小貝拾いもしたかったかなあ。
<芭蕉句「波の間や・・・・」碑>
なお、
『奥の細道』「種の浜」の段、原文。
「十六日、空霽(はれ)たれば、
「十六日、空霽(はれ)たれば、
ますほ(ますお)の小貝ひろはんと、
種(いろ)の浜 に舟を走す。
海上(かいしょう)七里あり。
天屋何某(てんやなにがし)と云もの、
破籠(わりご)・小竹筒(ささえ)など
こまやかにしたゝめさせ、
僕(しもべ)あまた舟にとりのせて、
追風(おいかぜ)時のまに
吹着(ふきつき)ぬ。
浜はわづかなる
浜はわづかなる
海士(あま)の小家にて、
侘しき法花寺(ほっけでら)あり。
爰(ここ)に茶を飲、
酒をあたゝめて、
夕ぐれのさびしさ、
感に堪たり。
「寂しさや
「寂しさや
須磨にかちたる
浜の秋」
「波の間や
「波の間や
小貝にまじる
萩の塵」
其日(そのひ)のあらまし、
其日(そのひ)のあらまし、
等栽(とうさい)に筆をとらせて
寺に残す。」