貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

深大寺2:句碑・歌碑を巡る

2017-05-25 10:10:34 | 日記
深大寺2:句碑・歌碑を巡る

2017(平成29)年 1月25日 10:00~

 深大寺には、いろいろな人の句碑と歌碑が

ある。

 それを巡るコースとしての案内書もある。

先ず、高浜虚子 銅像もある縁の深い人な

のか?

 句碑には、
「遠山に 日の當りたる 枯野哉」

という句が記されていた。

少し歩くと、中村草田男さんの句碑が目に

飛び込んできた。

「萬力(ばんりょく)の中や 

  吾子(あこ)の歯  生え初(そ)むる」


 石坂泉泣子の句は、

 「菩提樹や 生涯つきぬ 寺清水」

清水比庵の歌は、

「門前の 蕎麦はうましと 誰もいふ 

   この環境の みほとけありがたや」

石田波(は)郷(きよう)の句は、

  「吹起こる 秋風 鶴を歩ましむ」

 星野麥丘人の句は、

  「草や木や 十一月の 深大寺」

また、日本の野鳥研究家で、歌人・詩人。

僧侶。

 「野の鳥は野に」を標語に自然環境の中で

鳥を愛で運動を起こす。

「野鳥」や「探鳥」は、悟道の造語でもある

という。

開山堂の傍に、中西悟堂の銅像やその略歴

等石碑に刻まれていた。

高浜虚子の像と句碑等









斎藤茂吉の歌碑





小林康治の句碑





中西悟堂と開山堂

開山堂



中西悟堂



悟堂の歌解説



悟堂の略歴碑




調布市: 深大寺 Ⅰ 

2017-05-24 08:16:23 | 日記
調布市: 深大寺 その1  

2017(平成29)年 1月25日 10:00~

 暖かい一日の予想なので、思い切って出か

けることにする。

 車の混まない曜日と定休日を避けて・・・。

 二三度お詣りしている深大寺に参拝。

 車では初めてだし、以前はその昔、植物園

散策を主としていたので、初詣に近し。

深大寺という名は,水神の深沙大王に由来。

 奈良時代,天平5年(733)に満功上人

が開山したといわれている。

深大寺に伝わる「縁起絵巻」によると,

満功上人の父福満という渡来人は、豪族の

右近長者の美しい娘と恋に落ちる。

 娘の両親の反対にあい二人は仲をさかれ,

娘は湖の小島に隔離されてしまう。

 そこで,福満は深沙大王に祈願したところ

霊亀が現れ,彼を島へ連れて行ったという。

 このことを知った娘の両親も二人の仲を許

し,そして生まれたのが満功上人だそう。

上人は父の深沙大王を祀ってほしいという

願いにより出家し、唐に渡る。

 法相宗を学んで帰国。

 733年に寺を建てた。

 それが深大寺である。

 そのため、深大寺は、縁結びの神様として

有名になっている。

深大寺の北の大地は、米作りにはむかず、

小作人たちは、蕎麦を作り、そば粉を寺に納

めていた。

 寺では、蕎麦を打って来客をもてなしたので、

深大寺蕎麦が有名になったのだそうだ。

 至るところに、食したくなる蕎麦屋が林立

している感じである。

和名「ひとつばたご」という「なんじゃ

もんじゃの木」があった。

 四月末から五月始めにかけて雪を被ったよう

な白い清楚な花が咲くそうだ。

釈迦堂から坂道を上がり、元三大師堂、

開山堂を見て、植物公園の下道を散策。

 一福茶屋という蕎麦屋がある。

 延命観音を拝み、芭蕉句碑を見つける。

 この広い所でよく見つけたなと感慨も湧く。

「象潟や 阿免尓西施が 合歓能花」

という句が彫られていたが、「阿免尓」と

「能花」 という漢字が当てられていたのに

喫驚、感嘆!?

ゆったりした気分で延命観音近辺をみとり、

深沙大王堂へ向かう。


蕎麦屋はいくつも その一店



深大寺山門ここより入る。





鐘楼



深大寺本殿



延命観音









芭蕉句碑

「象潟や 阿免尓西施が 合歓能花」








再度の関口芭蕉庵

2017-05-23 09:07:54 | 日記
再度訪問「関口芭蕉庵」

2016(平成28)年12月17日

前回は、紅葉の時季の火曜日、定休日で

外観を楽しんだ。

 今回は、渋谷へ行く前に近いということで、

急遽取り入れ。

 神田川沿いをえっちらおっちら。

 神田川がこんなにきれいに整備されている

とは、想像を遙かに越えていた。

こまつかばしのすぐ傍。流石に師走半ば

過ぎ、すっかり冬の装いであった。

それでもまだ多少色づいた葉がしがみつい

てるような風情も見られた。

 暖冬なのだろうか。

芭蕉庵の脇の入口から入園。

 誰もいない感じである。

中は流石に風情そのもの。ゆったりまった

りでもある。

 バショウがすぐ目につく。

『関口芭蕉庵案内記』によると、

 芭蕉が34歳から37歳までの4年間、

神田上水の改修工事の監督をしていた時の

居住地である。

 芭蕉堂内には、芭蕉翁と、高弟の其角・嵐雪・

去来・丈草の像が安置されているという。

 芭蕉の像は、大津市の義仲寺の翁の墓下の

土を持って来て、陶工一瓶が造ったという。

さみだれの松は、1963年9月に枯死。

 さみだれ塚として、また、夜寒の松も夜寒碑

として今なお尊ばれている。

広重の「名所江戸百景」のひとつにこの芭蕉

庵は二つの松とともに描かれている。

 その昔は、早稲田田園地帯であったのも懐か

しい。

芭蕉句碑は、

 古池や 蛙飛び込む 水の音

 伊藤松宇の句は、

 真中に 富士聳えたり 国の春

 ゆっくりとひょうたん池も眺め、当時の芭蕉の

過ごし方を想像することもできた。

 大満足!

 芭蕉庵の出口で、高田馬場か早稲田の駅へ行く

道を探していると、現在の管理人(?)の方が

見え、高田馬場駅まで徒歩で行く道を丁寧に

教えて下さる。

 ありがたきかな。

高田馬場駅まで歩くことにする。

神田浄水こまつか橋



季節は巡り・・・橋より関口芭蕉庵を



芭蕉庵入口・・・管理人さんのお家かな



バショウも見事に!







苑石湖の詩碑



苑石湖



夜寒の碑



さみだれ塚・・・芭蕉墓石









伊藤松宇の句碑





芭蕉堂を臨む





芭蕉堂・・・パンフレットも販売・・・無人・・・300円於いて黙して御礼









渋谷区:宮益御嶽神社  

2017-05-22 08:25:51 | 日記
渋谷区:宮益御嶽神社  

 2016(平成28)年12月17日 

  渋谷区渋谷1-12-16

 宮益坂の上り口にある神社。

 階段の前には高層のビル群。

 渋谷駅の近くにきちんと残されていた。

 社内には、 珍しい日本狼の狛犬があった。

 この狛犬は全国的にも珍しい日本狼の石像

である。 

 延宝年間(江戸時代1673~1681年)の作品

だという。

 原形は損傷が甚だしく、社殿復興に際修復し、

社務所内に安置。

 社殿前の日本狼像狛犬は、ブロンズ製で、

原形をモデルに製作した多田端穂氏の作。

芭蕉句碑は、社殿左側に整備されていた。

  眼にかかる 時や殊更さ 月不二
芭蕉
宮益御嶽神社入口



宮益神御嶽社鳥居



宮益御嶽神社



明治天皇が休憩された所の碑



芭蕉句碑

 眼にかかる 時や殊更さ 月不二








渋谷区: 金王(こんのう)八幡宮  

2017-05-21 09:41:12 | 日記
渋谷区: 金王(こんのう)八幡宮  

2016(平成28)年12月17日

渋谷区渋谷3-5-12

久し振りに渋谷駅だ。

 ハロイン等の若者の街として、イメージ

チェンジしていた自分にも驚くが、五島

プラネタリウムや文化街でのハート展、

そして書店等よく散策した時代と、基本的

には変化なし。

 高いビルや歩行者の衣装、駅前が大工事

中という変化は否めないが・・・。

 金王八幡宮は、駅の傍にある。

芭蕉句碑は、説明板もあり、きちんと

整備されていた。

 しばらくハ花のうへなる月夜かな

 句碑の前に、黄金の実のなる千両と

赤い実のなる千両があった。

 黄色の千両は初めて見た。

 とても生き生きした感じであった。

金王八幡宮御門



社殿



金王八幡宮由緒説明板



八幡宮から見た渋谷の空



御神木



稲荷神社



芭蕉句碑

 しばらくハ花のうへなる月夜かな