貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

再建に50年!

2019-11-20 08:49:55 | 日記

再建に50年!

 令和元年11月20日

 先週1週間の歩数は、

12万3693歩!

 新記録!!!

 一日平均1万7670歩。

 これも当然自己新!!!!

 スポーツジムへ30年通い、

30周年を期に、全て自分の

気分で日常運動をすることに。

 暇を見つけて土道を中心に

歩いたり、ストレッチ・ヨガ

をやったり・・・。

 風を 虫を 鳥を 水を

草花を 等々見つめながら

ウォークを楽しんでいる。

 それが、自己新に!

 自己新の更新には興味は

ないが、この動きが常態化

するよう心がけて・・・!

 ブログが終わったら、

ちょっと坂道の上り下り!

 今朝は東輪寺の門前へ。

  明日参拝かな?


年魚市とは?

2019-11-19 13:35:23 | 日記

年魚市とは?

令和元年11月19日

 今朝は、歯科の定期検診。

昨日忘却の彼方で、お詫びの

電話。

 運良く今朝1番の方が

キャンセルされ、検診ができる。

 有り難き事と運のよきことに

深謝!

 さあ、名古屋ももう少し。

 白毫(びゃくごう)寺参拝!

 

 ほんとにお陰様で!

 私も自分らしく!

 山門で一礼。

 白毫寺は元亀2年(1571)の創建。

昔、このあたりは、「年魚市潟」、

知多の浦を望む勝景の地。

 「年魚市」とは?

 「あゆち」とよむ。

 「年魚」は、川魚の鮎のこと。

「香魚」という漢字も「あゆ」。

 寿命が一年なので、「年魚」

という字が当てられる。

 越年年魚もいるのだが。

 肉に香気がり、美味なので、

「香魚」という字が当てられて

いる。 

 万葉歌人などが歌に詠んだ処。

 説明書きにあるように、

「年魚市潟は、鳴海から熱田に

かけて海辺の湾入した遠浅の

地形を指している。

 万葉の歌に

『年魚市潟は 潮干にけらし

 知多の浦に 朝こぐ舟も

 沖による見ゆ』

『桜田へ 鶴鳴き渡る

 年魚市潟 潮干にけらし

 鶴鳴き渡る』

とあり、歌枕として有名な地

となっている。

 年魚市は「あいち」と転じ、

県名の語源となる。」

 そして、

「年魚市潟」展望地として、

昭和48年(1973)名古屋市

の名勝に指定される。 

 また、源頼朝が京都へのぼる

途中、ここに休んだので

「棧敷山」ともいわれている。


 蝉時雨の喧噪とした中、

芭蕉句碑と対面。


 

芭蕉の句は、

「はる風や 

  戸部山崎の 

    やねの苔」


千鳥塚と武蔵

2019-11-18 08:40:40 | 日記

千鳥塚と武蔵

令和元年11月18日

 さあ、笠寺観音も佳境。

二回目の参拝!

 千鳥塚と宮本武蔵の墓が

本堂右にある。

千鳥塚は、芭蕉句碑。

芭蕉の句は、

「星崎の 

  闇を見れやと 

   啼く千鳥」

 側面、背面にも刻印がある。

「此寺の縁起人をかたるを

聞侍りて」。と前書きし、

「笠寺や 

  もらぬ岩屋も 

    春の雨」   

の句碑は、今は?


 宮本武蔵の墓は、

千鳥塚の隣にある。

 宮本武蔵は、当時尾張藩に3年ほど

滞在。

 尾張藩に士官の道を模索していた

という。

 縁あって、この笠覆寺にお墓が

祀られる。

 青梅在住者だった吉川英治の

『宮本武蔵』も夢中で読んだ。

 また、山口への出張時に、

タワーから眺めた巌流島も懐かしい!

 更なる冥福を!


見初める

2019-11-17 08:59:24 | 日記

見初める

令和元年11月17日

 今朝は、笠覆寺で、

「見初める」ということ。

 久しく体験しないことに思いを

馳せる。

 

 太鼓橋を渡り、山門に。

 阿吽仁王像をじっくり拝察。

 そして、参拝!

 息子たちの諸事のお礼をする。

 天平5年(733)、僧・善光

(または禅光)が浜辺に打ち上げ

られた流木を以て十一面観音像を

彫り、現在の南区粕畠町にその像

を祀る天林山小松寺を建立した

のが始まり。 

 その後、堂宇は朽ち、

観音像は雨露にさらされるがままに。

 ある時、旅の途中で通りかかった

藤原兼平(藤原基経の子、875 - 935年)

が、雨の日にこの観音像を笠で

覆った娘を見初める。

 都へ連れ帰り玉照姫と名付け妻と

する。

 この縁で兼平と姫により現在の

場所に観音像を祀る寺が建立され、

笠で覆う寺、即ち笠覆寺と名付け

られたという。

 笠寺の通称・地名等もこの寺院名

に由来する。

 鎌倉時代には塔頭寺院が派生し、

僧・阿願によって境内には鐘楼が

造られ、尾張三名鐘に数えられる

梵鐘が鋳造される。

 この鐘は建長3年(1251)の銘

があり、愛知県の有形文化財に指定

されている。

 大晦日には除夜の鐘として

参拝者も撞くことができる。

 明治時代初期の廃仏毀釈その他

の影響で一時期荒廃が進むが、

昭和時代に住職らの努力で隆盛を

取り戻し、現在に至っている。

 厄よけや藤原兼平と姫の故事に

ちなんで、縁結びを祈る参拝者も

多いという。

 尾張三十三観音、名古屋二十一

大師の札所であり、また昭和30年

頃には名古屋市観光協会の後援に

より大名古屋十二支恵当寺で、

巳年の護り本尊の普賢菩薩の霊場

になる。

 昭和62年には

「なごや七福神の恵比寿の霊場」

になる。

 二回目の参拝!参拝。


大亀の背上に!

2019-11-16 08:51:02 | 日記

大亀の背上に!

令和元年11月16日(土)

 一度ずつ気温も下がっていく。

冷たい、寒いという感覚も日に

日に増す。

 今朝も名古屋市。妙案寺参拝。

  寛文9年(1669)織田正直が

再興し、開山。

 熱田神宮四観音の一つとされ、

「澤の観音」として有名。

 この中に、芭蕉句碑!

 

 芭蕉句碑は、ウミガメかな?

大亀の背上にあり。

 四面に刻印されている貴重な

物。

 芭蕉句碑の句は、

 「此うみに 

  草鞋すてん 

    笠しくれ」

「旅亭 桐葉のぬし こゝろさし 

  浅からせりけれは 

しはしとゝまらんとせしほどに」

と前書きあり。

 もう一句あるということだった

が、見当たらず。

 あれば、

「海暮れて 

  鴨の聲 

  ほのかに白し」

刻字判読不能とのこと・・・。