貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

利益無量

2019-11-23 14:05:18 | 日記

利益無量

令和元年11月23日(土)

 今朝は寒い中、日本橋へ。

 拝島で、西武新宿線に乗り換え、

高田馬場で、東西線に乗り換え、

日本橋へ。

 門前仲町から東青梅まで、一ヶ月

ちょっと通勤した懐かしい経路。

 地下鉄の暖かいこと。

 ちょっとびっくり!

 やっと真福寺へ。

 大須ういろもいいなあ

等と想いながら参拝1

 大須観音様!

 さあ、仁王門!

仁王の阿吽像

勇ましい!!!

 

 本堂参拝!

 開山は能信(のうしん)上人。

元弘3年(1333)後醍醐天が

能信上人を長岡荘大須郷に

9年前に造営した北野天満宮の

別当職に補し、

「北野山真福寺寶生院」という

寺号を与える。

 能信上人は当寺の開創にあたり、

伊勢大神宮に百ヶ日間籠もり、

「この世の人々を救い、

お恵みを戴くには、

どなたを祀ればよいか、」

と一心不乱に祈る。

 上人の誠は神に通じ、

「大慈大悲の観世音こそは

利益無量・・・。」というお告げ。

 御利益が推し量れないほど

たくさんあるということ。

 どうも「りえき」と読んでし

まう癖があるようだ。

 観世音菩薩をご本尊とする

ことに。

 後村上天皇の時、「勅願寺」と

して詔を賜り、戦国時代を経て、信

長、家康も大事にし、家康が

名古屋を建設造営するにあたり、

慶長17年、先ず初めに当寺を

現地に移したという。

 果たせるかな霊験、

日に日に新に、善男善女の参詣

きびすを接し、市の一大中心

として繁栄。

 「大須観音」と俗称され、真言宗

智山派別格本山として、今日に至っ

ている。

 御利益大いにあり、また商売も

利益大いにあり。

ということなら、「りえき」でも

許してもらえるかな?

 現代人の哀しみ!

 さあ、芭蕉句碑へ。