貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

小さな祠が始まり!

2019-11-15 08:50:25 | 日記

小さな祠が始まり!

令和元年11月15日

 名古屋市の法持寺参拝!

 法持寺は、天長年間、空海が

熱田神宮に参籠した際に日本武尊

を敬い、延命地蔵菩薩像を彫って

小祠を建立したのが始まり。

 白鳥陵の宝物を護持する寺であ

る事から草創期は宝持寺と称して

いる。

 宝徳元年(1449)、あるいは文明

年間(1469 - 1486年)に圓通寺

2世明谷義光によって曹洞宗の寺院

として再興され、

承応年間(1652 - 1654年)に現在の

寺号である法持寺に改称。

  古くは熱田神宮大宮司・千秋氏の

菩提所でもあったと伝わる。

 戦国時代、織田信長が桶狭間の戦い

に向かう途中立ち寄り、必勝祈願を

している。

 宝暦7年 (1757) の大火で寺院の建物

全てを焼失するも復興、その繁栄の

様子は『尾張名所図会』にも描かれ

ている。

 かつては塔頭10ヶ院を数えたが、

後に3ヶ院を残して廃絶。

 残った3ヶ院は末寺となる。

現在、末寺は先の3院を含めて

23ヶ寺あったという。

 山門に、相撲の鉄砲に使った

「すりこぎ」が吊されている。

 鉄砲柱!

「身をけづりて 人につかふる

  すりこぎの

 この味知れる人ぞ 尊とき」

 

 大相撲との関わりは、

昭和32年(1957)から30年間、

名古屋場所の際の三保ヶ関部屋

の宿舎として使用されたことに

よる。

 

 境内には横綱北の湖の石碑や

土俵の跡などが残っている。

 また、日本相撲協会第9代理事長に、

48歳で就任したその記念の

挨拶が碑文として残してある。

 法持寺には多くの俳人が

立ち寄る。

 松尾芭蕉や林桐葉、若山牧水が

句会を開いたという。