貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

家持の歌碑と芭蕉の句碑など!

2023-03-16 11:53:26 | 日記
令和5年3月16日(木)
射水市: 放生津八幡宮        
 
<社殿>
 
 宮司さんが女性参拝者に
何だか説明されておられる。
 放生津八幡宮は、
聖武天皇の御代天平18年、
越中国守として大伴家持の在任中に
九州の宇佐八幡神を観請し、
奈呉八幡宮と称したのが起源。
 祭神は「応神天皇」であり、
「仁徳天皇」が配祀、
地方の総社として崇敬され、
参拝者も多い。
 毎年10月1日には、
放生津八幡宮の例大祭
「新湊曳山まつり」
が行われている。
 堂々たる阿吽の狛犬は、
コンクリート製。

 社殿の回廊に、
以前の木製の狛犬阿吽像が鎮座。
肉感溢れ、あったかみを感じる。
 
                               
 境内には、
大伴家持の歌碑

「あゆの風 
  いたく吹くらし
      奈呉の海 
  人の釣りする
     小舟こぎ 
        隠るみゆ」
の他、
松尾芭蕉の句碑もたっている。

 苔むして!
芭蕉の句は、
「早稲の香や  
  分け入る右は   
     有磯海」
 文学碑・早稲の秀句碑として
紹介されている。

 他、
史跡越中御所跡と、
史跡放生津御蔵跡も
説明されている。

 書字がちょっとかすれ、
読みづらいのが無念なり…?


「先師芭蕉翁之塚」碑のあるお寺、富山真興寺

2023-03-15 11:58:28 | 日記
令和5年3月15日(水)
富山市: 真 興 寺   
<真 興 寺 山門>
       
 芭蕉塚が,
他の俳人の句碑と並んでいる。


「先師芭蕉翁之塚」
と彫られ、 

         
「長嘯の 
   墓を回るが 
    鉢たゝき」
と記されている。
 慈悲殿のあるお寺。



水橋神社の境内に海女ケ瀬神社あり&芭蕉句碑!

2023-03-14 10:53:25 | 日記
令和5年3月14日(火)
富山市: 水橋神社    
<鳥居> 
  
<社殿> 
<阿吽狛犬> 

    
 神社創建の年月は不明。
 8世紀の「延喜式」に
水橋の宿駅があったことが
記されており、歴史は古い。
 文治年間(1180年代)、
義経が兄頼朝に追われ、
ひそかに北陸路を経て
奥州に逃れようとして
水橋の渡にさしかかり、
河水の深浅、渡しの難易を
計りかねて当惑していたところ、
海士があらわれ、
義経主従を教導して無事に渡す。
 この海士は海神の化身であった
という「義経海士伝説」が有名である。
 また、
天保9年(1838)
石黒屋権吉が奉納した「北前船」、
嘉永5年の同じく模型、
嘉永7年の奉納句の額などがある。
 なお、境内の海士ヶ瀬神社は
売薬行商に旅立つ人の
安全祈願の社(やしろ)として
尊崇されている。


 境内には
芭蕉句碑が建立されている。

芭蕉の句は、
「阿かあかと 
  日は難面も 
     秋の風」



花の上の月を愉しむ! 滑川市櫟原神社

2023-03-13 14:13:36 | 日記
令和5年3月13日(月)
滑川市: 櫟(くぬぎ)原神社  
<鳥居>
  
 社殿に直行、参拝。

 境内はかなり広いが、
ほとんどが公園になっている。

 境内の奥は、すぐ海岸。 
 創祀は大宝元年(701)。
 往時は相当な大社であったらしい。
 地球上に平和を祈願、
「平和の塔」がある。

 永遠の祈願か?

 芭蕉の句碑が大樹の下、
整備されている。
<大樹と芭蕉句碑>

 ギボウシにちょっと埋もれているが・・・。

  芭蕉の句は、
「しばらくは 
   花の上なる 
    月夜かな」
※「しばらくの間だけ咲き誇る
花の上に月が宿っている。
 やがて月は傾き、
この美しい景色を楽しむことが
できなくなってしまうの意」
と説明されている。


滑川の俳人知十の「知十塚」と芭蕉の「有磯塚」

2023-03-12 11:52:48 | 日記
令和5年3月12日(日)
滑川市: 徳 城 寺      
<徳城寺山門飲酒者は入禁>
      
 当初は土肥氏の縁の寺院として
弓庄城(上市町)城下に…。       
 天正10年(1582)に
発生した本能寺の変で
織田信長が討たれると、
当時の城主土肥政繁は
織田家を見限り上杉家に従った為、
天正11年(1583)、
信長の旧臣の攻撃を受け
弓庄城は落城。
 土肥氏は上杉氏を頼って
越後に落ち延び、
徳城寺は滑川に移ったという由緒。
<八角形の鐘楼>
                                     
徳城寺境内にある
芭蕉句碑(有磯塚)は、
元禄2年(1689)に、
奥の細道行脚で当地を訪れた
芭蕉と曾良が泊まったとされる
川瀬屋の後裔である
七代目当主彦右衛門(川瀬知十)らが、
芭蕉70回忌を追善し、
明和元年(1764)に
寄進したもの。
<旧芭蕉句碑>


<有磯塚と知十塚>

 当地で詠ったとされる芭蕉句、


「早稲の香や 
  分け入る右は 
     有磯海」 
が刻まれている。

 隣の六角形の石碑は、  
天明3年 (1783)、
知十の十三回忌の追善供養として
寄進された、  
「知十塚」。
<川瀬知十の塚碑>

 知十という人は、
滑川の俳壇を代表する俳人。
 芭蕉70回忌に句碑建立を
思い立ち、
有磯海の砂を手でさらえ、
荒波がかかる自然石を荷い
運んで
この秀吟を刻む。
 そして、
荒町海岸にあった徳城寺の境内に
建立する。
<本堂にある阿吽金剛力士像>


 
 新たな徳城寺の移転時、
句碑も移転。
 現在に至っている。