☆凄い作品だと思った。
私的には、P・ジャクソンくらいになると、この悲惨なテーマでファンタジーを創れるのだなと感心した。
と言うのも、私も20年ほど前、宮崎勤事件が日本中を震撼させたとき、
私は、せめてせめて、被害にあった子たちが、死後の世界で幸せになっていて欲しいと思い、このような物語を想った。
しかし、どう考えても、それは厳しい展開にならざるを得ないと、私は端っから諦めるのだった。
展開上、「事件」を経なければならなかったからだ。
そして、今回、P・ジャクソンは、リアルに構築された映画文法の中で、それをやり遂げた。
私は見ていて非常に「不愉快」で、だがP・ジャクソン、与えられた縛りの中では最高の仕事をしたと思う。
◇
14歳にして、少女連続猟奇殺人者に殺されたスージー・サーモンを演じるシアーシャ・ローナンの演技は、あらゆる局面で完璧だった。
殺人者を演じた男も、ケレンなく、日常に潜むおぞましい恐怖の存在を見事に演じていたが、それに対した「少女」としてのシアーシャ・ローナンの演技は凄まじかった。
線が細い、透き通るような瞳と肌と髪の美少女である。
故に、表情の微妙な変化に、その心の変化が如実に現われていた。
私は、『うた魂』で主演の夏帆が「歌っている顔が鮭みたいだ」と言われていたのを思い出し、スージー・サーモンと言う役名の面長のシアーシャ・ローナンを「サーモン」みたいだなと、予告編などでは見ていたのだが、いざ、本編を見たら、そのあまりにもの「儚さ」に魅了された。
やはり、クライマックスなのである。
憧れだった少年とキスをすることが出来たときのスージーの本当に嬉しそうな泣き笑いの顔・・・。
私は、若い頃にキスした相手の表情を思い出して、目に涙が溜まった。
◇
これは、『ゴースト』のような、現世に残された家族と積極的に繋がる話ではない。
死んで、現世に思いを残しているが故に「狭間の世界」に残ったスージーだが、ただ、現世を眺めることしか出来ない。
ここら辺は、『ゴースト』が流行ったときにスピルバーグ(今作品のプロデューサー)が撮った『オールウェイズ』と同じ、霊に対しての観念のような気がした。
ちなみに、色彩豊かな「狭間の世界」、一つ間違えれば丹波哲郎チック(大霊界)で、私は訝しげに見ていた。
特に、太陽が、大きな花びらのイメージに変化するところなどは、「胡散臭い白人ブッディスト」の世界観のようにも思えた。
だからこそ、スージーが奔放に「狭間の世界」で遊ぶシーンは底抜けで良かった。
しかし、テーマがテーマであるが故に、私の心は陰鬱でもあった。
◇
物語のスージーのパートと、現世のパートは、完全に独立している。
そして、興味深いことに、登場人物たちも、それぞれが主人公の如く自立して物語を牽引する。
スージーの妹などは、利発で活発で、スージー以上の活躍をする。
親子関係や夫婦関係も別個に進行する。
これは、最近親友を亡くした私が、『ダム・ファッカー』シリーズで語ろうと思っていたことなのだが、P・ジャクソンも同じテーマに行き着いたと考えるしかない。
つまり、「他者が亡くなってしまっても、自分の人生は続く」と言うことだ。
それぞれがそれぞれの独立した、自分が中心の人生を送るしかなく、そうあるべきなのだ。
・・・だからこそ、この物語の犯人は、他者の人生を蔑ろにしたことで愉悦を感じ、それを咀嚼しほくそ笑んでいたのだ。
人生の美しさ(ラブリー)と暗黒(ボーン=骨)を表裏一体不可分にして描いた、この作品は「不愉快だが凄い」。
(2010/01/31)
私的には、P・ジャクソンくらいになると、この悲惨なテーマでファンタジーを創れるのだなと感心した。
と言うのも、私も20年ほど前、宮崎勤事件が日本中を震撼させたとき、
私は、せめてせめて、被害にあった子たちが、死後の世界で幸せになっていて欲しいと思い、このような物語を想った。
しかし、どう考えても、それは厳しい展開にならざるを得ないと、私は端っから諦めるのだった。
展開上、「事件」を経なければならなかったからだ。
そして、今回、P・ジャクソンは、リアルに構築された映画文法の中で、それをやり遂げた。
私は見ていて非常に「不愉快」で、だがP・ジャクソン、与えられた縛りの中では最高の仕事をしたと思う。
◇
14歳にして、少女連続猟奇殺人者に殺されたスージー・サーモンを演じるシアーシャ・ローナンの演技は、あらゆる局面で完璧だった。
殺人者を演じた男も、ケレンなく、日常に潜むおぞましい恐怖の存在を見事に演じていたが、それに対した「少女」としてのシアーシャ・ローナンの演技は凄まじかった。
線が細い、透き通るような瞳と肌と髪の美少女である。
故に、表情の微妙な変化に、その心の変化が如実に現われていた。
私は、『うた魂』で主演の夏帆が「歌っている顔が鮭みたいだ」と言われていたのを思い出し、スージー・サーモンと言う役名の面長のシアーシャ・ローナンを「サーモン」みたいだなと、予告編などでは見ていたのだが、いざ、本編を見たら、そのあまりにもの「儚さ」に魅了された。
やはり、クライマックスなのである。
憧れだった少年とキスをすることが出来たときのスージーの本当に嬉しそうな泣き笑いの顔・・・。
私は、若い頃にキスした相手の表情を思い出して、目に涙が溜まった。
◇
これは、『ゴースト』のような、現世に残された家族と積極的に繋がる話ではない。
死んで、現世に思いを残しているが故に「狭間の世界」に残ったスージーだが、ただ、現世を眺めることしか出来ない。
ここら辺は、『ゴースト』が流行ったときにスピルバーグ(今作品のプロデューサー)が撮った『オールウェイズ』と同じ、霊に対しての観念のような気がした。
ちなみに、色彩豊かな「狭間の世界」、一つ間違えれば丹波哲郎チック(大霊界)で、私は訝しげに見ていた。
特に、太陽が、大きな花びらのイメージに変化するところなどは、「胡散臭い白人ブッディスト」の世界観のようにも思えた。
だからこそ、スージーが奔放に「狭間の世界」で遊ぶシーンは底抜けで良かった。
しかし、テーマがテーマであるが故に、私の心は陰鬱でもあった。
◇
物語のスージーのパートと、現世のパートは、完全に独立している。
そして、興味深いことに、登場人物たちも、それぞれが主人公の如く自立して物語を牽引する。
スージーの妹などは、利発で活発で、スージー以上の活躍をする。
親子関係や夫婦関係も別個に進行する。
これは、最近親友を亡くした私が、『ダム・ファッカー』シリーズで語ろうと思っていたことなのだが、P・ジャクソンも同じテーマに行き着いたと考えるしかない。
つまり、「他者が亡くなってしまっても、自分の人生は続く」と言うことだ。
それぞれがそれぞれの独立した、自分が中心の人生を送るしかなく、そうあるべきなのだ。
・・・だからこそ、この物語の犯人は、他者の人生を蔑ろにしたことで愉悦を感じ、それを咀嚼しほくそ笑んでいたのだ。
人生の美しさ(ラブリー)と暗黒(ボーン=骨)を表裏一体不可分にして描いた、この作品は「不愉快だが凄い」。
(2010/01/31)
>「不愉快だが凄い」
なるほどね(笑)
日本だともっと成仏できずにこの恨みはらさでおくものか、というようになると思うんですね。
地上と天上の切り分け方を、この原作者も重視しているようです。
kimionさんの感想、ちょっと私と似ていますよね。
シアーシャ・ローナンの演技と言うか魅力に、作品が牽引されていると考えるところなんか。
日本人の死生観も割りとサッパリしていると思うのですが、
こと「物語」になると、みんな、100%の決着をつけたがりますよね。
でも、「ラブリーボーン」の意外な終局を批判的に捉えている人に限って、「ゴールデンスランバー」の終局の意外性は許しているようです。
私は、P・ジャクソンらしい作品だなあと思ってみました。
今のところ、今年のナンバー1だと思っています。
タブーに、果敢に挑戦した作品だと思うのです。
動かしたのは、子や家族を思う気持ちが犯人を追い詰めたのでしょう。
あとは、この世とあの世の描き方に理解するかしないかだけだと思います。
なかなか良かったです。
TBが39もあるのに、コメントが2というのにブログの限界を感じます。
ブログは基本的に、自分の主張を長く語るところだと思いまして、
個々の人物がそれぞれの意見を言うところだと思っていまして、
TBこそが、意見の応酬だと思っていますので、コメントの量には私は頓着していない次第です。
ただ、私が、他のブログに、もうちょいコメントすれば、ここでもコメントにおけるコミュニケーションで盛り上がると思うのですが、正直、ブログを書くのが精一杯です^^;
目的の違いでしょうか?
増えるほど楽しさのバロメーターになりもします。TB45は自慢ですね。
交流はコメントでもトラックバックでも嬉しいものです。
一方通行のコメントやTBよりも、双方向の交流の方が深くたのしさも増すように
思う人がいれば、そうでない人もいることでしょう。
コメントやTBを拒否する記事投稿だけでもよく、その一つを使うブログ活用も
そのひとの手法ですから構いません。
コメTB拒否は、特定の読者向けに発信するツールとして有効かも知れず、コメまたは
TBが億劫な人が居ても不思議ではありません。
>>iinaも身に覚えがありますが、TBの乱発に応じたTBの見返りは、その数が増えるほど楽しさのバロメーターになりもします。TB45は自慢ですね。
乱発と言うのは、テーマ的に全く関係ないトコに送りつけることでしょう。
また、トラックバック45なんてのは、今となっては当たり前で常態です。
100を超えたら、切りが良いので、「おおっ!」と思う程度のことです。
私はとにかく、自分の書いた「自慢」の文章に、他者のTBという、閲覧者の選択肢を組み込みたいだけです。
その辺は、考え方がとてつもなく異なるようですね。
だれにでも平等に降りかかる死ですが、やりきれない死に方をした人には、せめて安らかなあのよ絵あって欲しい・・・と願いたい。
それは生きてる人の心の持ち様ですよね。
この映画は、生きてる人間が、いかに大事な人を死を受け入れて行くかの覚悟を突きつけたような気もします。
ただ、あの世界は、ロビン・ウィリアムスの「奇跡の輝き」によく似てたのと、エンドの長さで、評価がちょいと落ちます。
あの女の子は反則ですよ。あんな可愛い子は、映画の質をぐんとあげてましたわ。
>>あの女の子は反則ですよ。あんな可愛い子
私は、真ん丸の女の子が好みですが、面長のシアーシャ・ローナンの演技のうまさと、壊れそうな儚さに魅かれました^^