☆すまん、二,三日前から書こうと思っていたのだが、疲れて書く余裕がなかった。
この出勤前の短い時間で書いてみる。
私は、この、松江の図書館における「はだしのゲン」閲覧規制問題を「表現の自由の問題」だと勘違いしていた。
原爆の、あまりにもの悲惨さを描いているので、それを子供に見せるのは良くないとの観点の是非かと思っていた。
それはそれで、深く考えなくちゃいけないことなのだが、問題は違った。
問題は、流言の流布による冤罪のお仕着せ、名誉棄損、・・・人権問題だった。
簡単に言うと、完全なる嘘で、他者を貶める内容が、この「はだしのゲン」にはあった。
その全10巻の、少年ジャンプ連載から外れた後半の部分だ。
(1・嘘・妄想と、後から刷り込まれた共産主義の思想)
(2・後から刷り込まれた共産党の思想)
(3・これ、まことしやかに語られてきた嘘! 科学的に証明されている嘘!)
(4・共産主義の思想の刷り込みで、原爆を礼賛までしちゃってる・・・。反原爆じゃなかったの!!)
ここには、嘘と、日本共産党に刷り込まれた「思想」が蔓延している。
つまり、原爆体験者として、その悲惨さを真摯に語る作者が、物語の途中から、いつの間にやら、本来あった思いとは別に、共産主義的観点に侵されていくのが分かる。
体験で語っていたのが、後から、誰かに耳打ちされた妄想を語るようになっているのだ。
それと言うのも、
≪(産経抄 2013/08/24) 貴重ということばを辞書で引いてみると、「きわめて大切なこと」や「とうとび重んじること」とある。原爆投下後の広島で暴力的に生きる少年たちを描いた漫画「はだしのゲン」をいくつかの新聞は、「貴重な作品」と評していてびっくりした。たぶん辞書を引くのをお忘れになったのだろう。
▼ゲンは昭和48年、少年ジャンプで連載が開始された。当時抄子は、なけなしの小遣いをはたいてジャンプを毎週買っていたが、「ど根性ガエル」は覚えていてもこの作品は、ほとんど記憶がない。同誌名物の読者アンケートでも下位を低迷していた。
▼同じ作者の手による「反原爆」漫画でも、大阪万博の年に発表された「ある日突然に」の方が、被爆2世とその父の哀切を描いて完成度が高かった。にもかかわらず、ゲンが全国津々浦々の学校に置かれるようになったのはなぜか。
▼ジャンプで連載が打ち切られると、ゲンは、日本共産党系雑誌に、そこも打ち切られると日教組系雑誌に掲載された。根拠のない日本軍の“蛮行”や昭和天皇への呪詛(じゅそ)がてんこ盛りになったのもこのころである。
▼親の知らぬ間に、「平和教育」の美名の下に教師たちが、グロテスクな「反天皇制」漫画を喜々として図書室や教室に置いていったこと自体がおかしい。松江市教育委員会は、教師の許可を得てから閲覧させるよう市立小中学校に指示したが、当たり前で遅すぎるくらいである。
▼同時代にジャンプでヒットした永井豪の「ハレンチ学園」は、ついぞ小学校の図書館に置かれなかったが、誰も言論抑圧とは言わなかった。ふだんは漫画を下に見ているのに、ゲンだけを特別扱いにする教師や新聞には、何か別の意図があると疑ってかかった方がいい。≫
・・・だからだ。
「ジャンプで連載が打ち切られると、ゲンは、日本共産党系雑誌に、そこも打ち切られると日教組系雑誌に掲載された。根拠のない日本軍の“蛮行”や昭和天皇への呪詛(じゅそ)がてんこ盛りになったのもこのころである。」というカラクリである。
ネットを巡っていたら、こんな事実もあった。
≪「松江市は全巻を閲覧制限はしていない、全10巻のうち後半の6巻からを閲覧制限にしている。
あまり知られていないが、『はだしのゲン』は前半と後半で掲載誌が違う。前半は『少年ジャンプ』に連載され、作者は被爆体験を中心に描いた。 後半は左派系市民誌『市民』、日本共産党系の論壇誌『文化評論』、日教組の機関紙『教育評論』、などで連載されている。
後半には左翼的政治主張が多く、残虐場面と反日的主張を繰り返し、マンガの雰囲気が変わった。そして松江市はこの後半部分に閲覧制限をかけた。これはマンガの成り立ちをよく調べており適切な対応だ。 問題ある政治団体のプロパガンダに公立小中学校は加担してはならない」≫
こんな事実もあった、のだ。
私は、問題を「表現の自由」と軽く見ていた。
すまん、間違っていた。
ならば、だ。
この書籍は、特定の人物らの人権を損ねている「妄想」が語られている訳だから、「発売禁止」が妥当だろう。
もしくは、訂正をしなくちゃならない。
昔のマンガの黒人表現の保持とは別の問題だぜ。
近くは、本宮ひろしの『国が燃える』の事件があったじゃない。
あれは、多くの人々の抗議によって、妄想部分を徹底的に訂正することができた。
あれみたいにはなれないのか・・・。
短いけど、この文章を終える・・・、仕事に行く。
なお、今 公開されて、私が観に行くことはない映画『少年H』だが、この映画も、当時の尺度ではあり得ない精神構造を持った妄想少年の話で、温い「はだしのゲン」の亜流である。
(2013/08/28)
MUTIさんは冷静にリンク先とか示していてくれたのにぃ^^;