11月9日 バクディン→ルクラ
今日も天気は良いようです。
谷間には陽が当たっていませんが、空は真っ青です。
7時出発の予定がずれ込んで7:55分、やっと出発の運びとなる。
下の二人は今日は学校がないようなので入口でバイバイをしてくれる。
お姉さんの方は台所からなかなかでてこないので台所まで行ってバイバイをすると返してくれる。
さあ、ルクラに向かって快晴の中気持ちよく歩く。
途中で日本人のとレッカーを追い抜く。
足取りに力無く、ちょっとふらつきながら歩いている。
話を聞くと、今回初めてゴーキョピークまでのトレッキングに来たが、高度順応がうまくいかず食欲もなくゴーキョまで行くのがヤットでそこから戻ってきたといいます。
ここまで高度を落としても体調は戻ってこないようです。
ルクラまでは、この先1時間は登りが続くのですが、この体調で登れるか心配になるくらいです。
お先にといって私達は先へ進みます。
ほどなく茶店がありここで休憩します。
今まで歩いてきた谷がよく見えています。
あと少しデコのトレッキングが終わってしまうかと思うとちょっとジーンと来るものがありました。
さて、そろそろOn氏と会えるはずだと思ってルクラ方面から来る人に注意していました。
On氏というのは、私がここ2年ほど一緒に日高を歩いている人です。
2日前に札幌と立ち順調にいけば今朝カトマンズからルクラへ来て歩いているはずなのです。
10ほど歩いたところでOn氏を見つけました。
ガイドの後ろを見慣れたフリースを来て歩いています。
「Onさん!」といって肩を叩きます。
それでOn氏も気が付いてくれて、再会することが出来ました。
少し戻ったところのロッジ前の石垣に座って話をしました。
彼は2週間の予定でトレッキングに来ていますのでそんなに奥へは行けません。
ガイドにどこまで行くか聞くと、パンボチェ付近からタウツェの方へ行って見るといいます。
この方面はエベレスト街道から少し外れるので人が少なく気持ちのいい場所が沢山あるといいます。
久し振りに会った知人ですので、いつまでも話していたいのですがそう言うわけにもいきません。
30分ほどで話を打ち切り、私はルクラへ向かって歩きます。
10:50分、ルクラに着きました。
飛行場の滑走路のすぐ上にあるロッジが今日の宿です。
ここでポーターさんとはお別れです。
食堂で昼食を食べていると食堂の片隅でガイドがポーターさんへ賃金を支払っています。
それが終わったのを見はらかって私からのチップを渡します。
若いがポーターさんにはズボンとシャツを添えて、年寄りポーターさんには子供にあげるために持ってきた鉛筆や色鉛筆を上げました。
食堂の外で記念写真を写します。
これがチーム「ミコ隊」の写真です。
ポーターさんは英語が話せないためほとんど話をすることはなかったのですが、それでも2週間以上一緒にいると気持ちが通じ合うものです。
彼らを外で見送る時には涙が出てきます。
「ありがとう!」といって手を振ると、手を振って坂を下っていきます。
この後は食堂で横になってウトウトします。
日差しが当たる席を探し横になっていると本当に気持ちよく寝ることが出来ました。
夜になってから食堂で夕食も終えて部屋に帰ろうかと思っているとドヤドヤと入ってくる一団がいます。
私のガイドがその一団のガイドに呼び止められてなぜか私までその一団の夕食に付き合わされます。
ガイドに聞くとこの一団のガイドはカトマンズでも有名なガイドさんとのことです。
年齢は50歳を過ぎている男性です。
話を聞いていると英語やフランス語ドイツ語とも違う言葉を話す人達です。
どうやらポーランド人の人達のようです。
女性3人、男性4人、いずれも50歳は過ぎている人達です。
ガイドさんの挨拶を聞いているとカラパタールへ行ってきたようです。
一人の脱落者を出すことなく全員がカラパタールに登ることが出来たなどと話しています。
そして、ここにいたエベレストに登頂したガイドとしてパサンを紹介して、その次は日本から来てカラパタールとアイランドピークを登った人といって私を紹介します。
彼らも一緒に私達のカラパタール登頂を祝ってくれます。
などと話しています。
そして、乾杯に入ります。
飲める人にはお猪口のような小さな容器にお酒を注ぎ、飲めない人にはコーラーが振る舞われます。
ガイドやポーターもいますので20人近い人数となっています。
各国の言葉で乾杯といってから飲み干しましたが、甘いお酒ですが強いお酒のようです。
ノドがカーッツとしてきます。
この宴会は非常に楽しいものでした。
言葉はあまり分からないのですが、軽妙な話をするガイドさんにつられ、皆さん笑顔が絶えません。
マリアさんというポーランドの女性が一生懸命ガイドの英語を訳しています。
ガイドやポーター達にチップが渡され座が盛り上がります。
チップを渡す時も一人一人に言葉を添えて封筒を渡しています。
こういうやり方は洗練されていて、見ていてもとても気持ちの良いものでした。
延々と続きそうな宴会を1時間ほどで抜け出し部屋へ戻ります。
私のトレッキングは、今日で終わりました。
彼らと楽しく過ごした時間は一生の思い出です。
楽しい時間をありがとう!
今日も天気は良いようです。
谷間には陽が当たっていませんが、空は真っ青です。
7時出発の予定がずれ込んで7:55分、やっと出発の運びとなる。
下の二人は今日は学校がないようなので入口でバイバイをしてくれる。
お姉さんの方は台所からなかなかでてこないので台所まで行ってバイバイをすると返してくれる。
さあ、ルクラに向かって快晴の中気持ちよく歩く。
途中で日本人のとレッカーを追い抜く。
足取りに力無く、ちょっとふらつきながら歩いている。
話を聞くと、今回初めてゴーキョピークまでのトレッキングに来たが、高度順応がうまくいかず食欲もなくゴーキョまで行くのがヤットでそこから戻ってきたといいます。
ここまで高度を落としても体調は戻ってこないようです。
ルクラまでは、この先1時間は登りが続くのですが、この体調で登れるか心配になるくらいです。
お先にといって私達は先へ進みます。
ほどなく茶店がありここで休憩します。
今まで歩いてきた谷がよく見えています。
あと少しデコのトレッキングが終わってしまうかと思うとちょっとジーンと来るものがありました。
さて、そろそろOn氏と会えるはずだと思ってルクラ方面から来る人に注意していました。
On氏というのは、私がここ2年ほど一緒に日高を歩いている人です。
2日前に札幌と立ち順調にいけば今朝カトマンズからルクラへ来て歩いているはずなのです。
10ほど歩いたところでOn氏を見つけました。
ガイドの後ろを見慣れたフリースを来て歩いています。
「Onさん!」といって肩を叩きます。
それでOn氏も気が付いてくれて、再会することが出来ました。
少し戻ったところのロッジ前の石垣に座って話をしました。
彼は2週間の予定でトレッキングに来ていますのでそんなに奥へは行けません。
ガイドにどこまで行くか聞くと、パンボチェ付近からタウツェの方へ行って見るといいます。
この方面はエベレスト街道から少し外れるので人が少なく気持ちのいい場所が沢山あるといいます。
久し振りに会った知人ですので、いつまでも話していたいのですがそう言うわけにもいきません。
30分ほどで話を打ち切り、私はルクラへ向かって歩きます。
10:50分、ルクラに着きました。
飛行場の滑走路のすぐ上にあるロッジが今日の宿です。
ここでポーターさんとはお別れです。
食堂で昼食を食べていると食堂の片隅でガイドがポーターさんへ賃金を支払っています。
それが終わったのを見はらかって私からのチップを渡します。
若いがポーターさんにはズボンとシャツを添えて、年寄りポーターさんには子供にあげるために持ってきた鉛筆や色鉛筆を上げました。
食堂の外で記念写真を写します。
これがチーム「ミコ隊」の写真です。
ポーターさんは英語が話せないためほとんど話をすることはなかったのですが、それでも2週間以上一緒にいると気持ちが通じ合うものです。
彼らを外で見送る時には涙が出てきます。
「ありがとう!」といって手を振ると、手を振って坂を下っていきます。
この後は食堂で横になってウトウトします。
日差しが当たる席を探し横になっていると本当に気持ちよく寝ることが出来ました。
夜になってから食堂で夕食も終えて部屋に帰ろうかと思っているとドヤドヤと入ってくる一団がいます。
私のガイドがその一団のガイドに呼び止められてなぜか私までその一団の夕食に付き合わされます。
ガイドに聞くとこの一団のガイドはカトマンズでも有名なガイドさんとのことです。
年齢は50歳を過ぎている男性です。
話を聞いていると英語やフランス語ドイツ語とも違う言葉を話す人達です。
どうやらポーランド人の人達のようです。
女性3人、男性4人、いずれも50歳は過ぎている人達です。
ガイドさんの挨拶を聞いているとカラパタールへ行ってきたようです。
一人の脱落者を出すことなく全員がカラパタールに登ることが出来たなどと話しています。
そして、ここにいたエベレストに登頂したガイドとしてパサンを紹介して、その次は日本から来てカラパタールとアイランドピークを登った人といって私を紹介します。
彼らも一緒に私達のカラパタール登頂を祝ってくれます。
などと話しています。
そして、乾杯に入ります。
飲める人にはお猪口のような小さな容器にお酒を注ぎ、飲めない人にはコーラーが振る舞われます。
ガイドやポーターもいますので20人近い人数となっています。
各国の言葉で乾杯といってから飲み干しましたが、甘いお酒ですが強いお酒のようです。
ノドがカーッツとしてきます。
この宴会は非常に楽しいものでした。
言葉はあまり分からないのですが、軽妙な話をするガイドさんにつられ、皆さん笑顔が絶えません。
マリアさんというポーランドの女性が一生懸命ガイドの英語を訳しています。
ガイドやポーター達にチップが渡され座が盛り上がります。
チップを渡す時も一人一人に言葉を添えて封筒を渡しています。
こういうやり方は洗練されていて、見ていてもとても気持ちの良いものでした。
延々と続きそうな宴会を1時間ほどで抜け出し部屋へ戻ります。
私のトレッキングは、今日で終わりました。
彼らと楽しく過ごした時間は一生の思い出です。
楽しい時間をありがとう!
高度順応もうまくいって、目的は果たせてよかったですね。
次私が行く時にはアドバイスよろしくお願いします!
食欲がなかったのは疲れもあったと思います。
今度はみいちゃんの番ですね。
ぜひ、ピークハントに行きましょう。
トレッキングはつまらないです。
ネパールの6千メートル級の山でも基本的な体力や技術的なものは日本の山が登れれば十分です。
来年も頑張って日本の山を登ればその延長上にピークハントが見えてきます。
頑張りましょう!