井の中の蛙、カイラス山巡礼に挑む!

夢のカイラス巡礼を終え、登山を再開しました。山岳信仰の延長上に四国遍路、カイラス山巡礼があり、原点の登山に戻ります。

帰路・ニャラムへ 3

2006-10-10 18:45:55 | カイラス巡礼・旅行記
 ランクルが止まっている所を歩いているとインド人のおばさんが
車の中から声をかけてきます。
窓を開けてカメラを手にして何か言っています。

ヒンドゥ語で話しかけられても私には何をいっているのか
分からないが、カメラを手にしているところを見ると、
どうやら故障を直してくれということらしい。

カメラを見るとスイッチをオンにしてもシャッターが落ちません。
フイルムは入っています。
どうやら電池切れのようです。
そこで、「ニューバッテリー」というと足下にあったバックから
電池を取り出すので指を二本立ててやります。

おばさんは理解したようで電池を二本私にくれます。
その電池を入れ替えるとシャッターが切れます。
これで故障は直りました。

すると、新しいフィルムを出して交換せよと言います。
それも、言われたとおりに替えてやります。
おばさんは撮影済みのフイルムを受け取ると礼も言わずに
ランクルの窓を閉めます。

「人にものを頼んで礼も言わないのか。」と、
ちょっとがっかりしました。
同時に、日本人にヒンドゥー語で話をしてカメラを直させる
インド人のおばさんに較べると、私は日本語で話しても相手に
理解されるかを先に考えて思っていることが話せません。

この違いが、日本人特有の優しさだと思いますが、
外国では通用しない考えなのでしょう。
もっと、堂々と日本語で話をしても良いのだと思います。
相手が理解してもしなくても! 
  
 ランクルから離れようとするとまた窓が開いて
おばさんが顔を出します。
カメラを私の方へ渡すような手振りをしてからヒマラヤの山を指さし、
それから指を2本立てます。
どうやらこのヒマラヤの景色を2枚写せと言っているようです。

カメラを受け取ってヒマラヤの山々を2枚写してからカメラを返します。
その時に指を2本立ててから返すと、おばさんは満足そうにうなずきます。

 う~ん!どうやらこのおばさんは私がネパリーだと
勘違いしているのでしょうか?
またもや礼も言わずに、窓を閉められてしまいました。
 
 実はカメラを直したのはこれが2度目です。
インド人の持っているカメラやビデオはほとんどが日本製です。
ゲリーやグレゴリーも日本製のカメラやビデオを使っています。

私が思う以上に日本製品は世界中に広がって愛用されているようです。
こんなことで、カメラが動かなくなったときには日本人の私に
おはちが回ってきます。

最初のカメラも動かない。
シャッターが切れないと言っていたのですが、
これは、スイッチの場所が分からずにスイッチを入れないで
動かないと騒いだだけでしたので簡単に直せました。

レンズの覆いを動かせことによってスイッチが入る仕掛けを
忘れていただけでしたので、それを教えてやると、
ビックリした顔をしてお礼を言われたものです。

それに較べると、今回のおばさんは、礼も言わずに
当たり前のような顔をしていました。
この違いは何なんでしょうか?

帰路・ニャラムへ 2

2006-10-09 19:07:20 | カイラス巡礼・旅行記


湖の畔にある遊牧民のテントです。
このテントの横にはソーラー発電用のパネルが
しっかり据え付けられていました。
こういったところは文明の波がしっかり押し寄せているようです。




 順調に走ってヒマラヤの山々が間近に見ることが
出来る草原で昼食です。
この草原は来るときにも昼食を取ったところです。
天気は良いのですが風が強く寒いです。

 草原の緑とヒマラヤの白き峰々、ミッシェルと二人で
記念写真を撮ります。
この機会を逃すとそうそう一緒の写真を撮ることが
出来ないと思ったからです。
二人で写真を撮っているとジョーもやってきて記念写真の
撮影会みたいになりました。


 その前を自転車でツーリングしている男性が通っていきます。
あわてて彼の写真を撮ります。
この高地を西から東に向かって走っています。
どこから走ってきたのかは分かりませんが、
この高地をしかも一人でツーリングするのは相当の勇気と
覚悟がなければ出来ないことです。
思わず彼の後ろ姿に「無事に目的が果たせるように!」と
祈ってしまいました。


 写真を撮り終えてからもヒマラヤの山を見ているとウェイさんが
私の方へ走って来ます。
手で何かを切る仕草をしながら何か言っているのですが、
何を言っているのか理解できません。
でも、その仕草から私が持っているヴィクトリノックスを
貸してほしいと言っているようです。

 ランクルに戻りヴィクトリノックスを渡すと
ありがとうと頭を下げて仲間の方へ行きます。

 しばらくするとエージェントのブダイが私を呼びます。
呼ばれた方へいってみると運転手さん達が昼食を
取っているところです。
座るように言われたので一緒に座って運転手さん達の昼食を
一緒にごちそうになります。

運転手さん達の昼食は餡のない饅頭、ソーセージ、
蒸かしたジャガイモ、それにお茶です。
ソーセージは缶詰になっていたのでこれを切る缶切りがなくて
私のナイフを借りに来たようです。

饅頭は塩味だけですがカレーに閉口していた胃には
すんなり収まります。
蒸かしたジャガイモも美味しく食べました。
お茶は日本で言うと番茶みたいな色と味でしたので、
これも、美味しかったです。

ものすごく質素な昼食ですが、どうやら私達モンゴロイドには
共通する食文化の昼食です。
ですから、無理なくお腹に治まっていきます。
今日の昼食は久しぶりにお腹が一杯になるまで食べました。

帰路・ニャラムへ 1

2006-10-07 20:37:52 | カイラス巡礼・旅行記
 6月17日

 昨晩は気持ちよく寝られました。
でも外へ出ると寒いです。
この朝の寒さの中をサリー姿で歩くインド人のおばさま達の
皮膚感覚はどうなっているのでしょうか?

さすがサリー姿が決まっています。
帰り道ですので、この頃のおばさま達は、大分余裕が出てきています。


この二人はアメリカから来ているようですが、左側の人は「教授」と
いわれていました。そして右側にいる体の大きな人は召使いのように
「教授」の面倒を見ていました。

 いつもの朝食を取って9:20分、サガを出発します。
サガの中心街を抜けて来るときに泊まった宿の前を通り
街はずれに来ます。
後続のランクルが来ないのですが、
ウェイさんはドンドン走っていきます。

ヤルンツアンポ河の手前でランクルが止まります。
前を走っていた1台が止まって運転手さんが手に何かを持って
川岸へ降りていきます。
手にしていたものを川岸に供えお祈りを始めました。
このお祈りにどういう意味があるのか分かりませんが、
お祈りをしている運転手さんは一人だけでしたので、
この河で事故にあった人のためにお祈りをしたのでしょうか?
この間、私達のランクルも止まったままでした。

 川岸に2隻の黄色い船が陸揚げされています。
この船が橋が出来るまで渡しに使っていた船のようです。
それほど大きな船ではありません。
船の長さも10メートルあるかどうかという船です。
こんな船でこの河の渡しをしていたのです。

いったいランクルを1台渡すのにどれほど時間が掛かったのでしょう?
それが今ではあっという間に川を渡ってしまいます。
エコトレックのHPによるとこのツァーでは、
この河は渡し舟で渡るように書かれていましたので、
この橋が出来たのは最近のようです。

帰路・サガへ 3

2006-10-06 21:58:32 | カイラス巡礼・旅行記
 17:00分、サガに着きます。
 今回の宿は前回とは比べものにならないくらい立派です。
前回はサガの街はずれでしたが、今回は反対側の街はずれです。

今晩の宿は3階建てで一番上の階の部屋です。
部屋の壁は白壁で証明もシャンデリア風です。
しかも部屋に鍵が掛かるようになっているのです。
部屋に入ると思わず4人で顔を見合わせたくらいです。

 サガの町はちょうどクランク状になっている道路沿いに街があります。
両側から直角に曲がったところが中心街です。
ここにはスーパーやホテルにレストラン、カラオケ店まであります。

ここにシャワーを浴びることができる店があるというのです。
この情報はヴィジュヌーがエコトレックのシェルパから聞いたものです。
早速、ゲリーにヴィジュヌーの3人で出かけました。

中心街のシャワー屋さんまで歩いて約10分、
石鹸にタオルを持って出かけます。
しばらく身体を洗っていなかったので3人ともウキウキしています。

 シャワー屋さんへ行くと細長いお店で左側にシャワーの
ブースが6~7個並んでいます。
料金の10元を払いそのブースへ入ります。

広さは1,5メートル×2メートルほどの決して
広いとはいえないスペースです。
入ったすぐ横にある棚に脱いだ服を入れて裸になります。

どれがお湯のコックか確かめながら少しずつお湯を出します。
お湯が熱くなってから水を出しますが温度調節がうまくいきません。
でも、シャワーを浴びるのは久しぶりですので気持ちが良いです。

頭をよく洗って身体を洗うと生き返ったような気がします。
最後にお湯を頭から被って身体をよく温めます。
ぬれた床を気にしながら服を着ると熱くなってくるので
シャワー室から出ます。

廊下にあるイスに座って頭をよく拭きます。
そうするうちにゲリーもヴィジュヌーもシャーシ室から出てきて
ご機嫌な顔をしています。みんな幸せな顔になりました。

 夕食にヴィジュヌーがビールを買ってきて私にもごちそうしてくれます。
お金を払おうとするとおごりだと言われました。
素直にごちそうになります。
日本のビールの較べるとものすごく軽い感じがして飲みやすいです。
ホップの苦みがあまり利いてないようです。

カップ麺も買ってくれたのでゲリーと二人でメイドさんから
お湯をもらって食べます。
ホテルのようにきれいな部屋でビールを飲んでカップ麺の夕食を食べる。
これだけのことがものすごく幸せな気分にしてくれるのですから、
私は単純なのですね。
今晩は暖かい部屋で気持ちよく寝られそうです。

帰路・サガへ 2

2006-10-05 19:22:45 | カイラス巡礼・旅行記
 ウェイさん達チベタンの運転手は、スタックしている
トラックを助けに行きます。 
トラックですので重量がありスタックしている場所の砂を
スコップでよけて、みんなで押してどうやら
抜け出すことが出来ました。

20分ほどでウェイさん達が戻ってきます。
私は残された1台をどうするのかその車を指さしたら、
ウェイさんがポツリと「チャイニーズ!」といいます。

 この一言で、チベットの人達の中国人に対する感情的なしこりが
まだまだ深いことを理解しました。
征服者である中国人と抑圧されているチベットの人達、
この問題は私のような日本人には理解できない深い感情の亀裂が
あるのだと思います。

 草原で昼食を取ります。 
 ウェイさんがしきりに自分のランクルの右前輪を見ています。
どうやら右の前輪にガタが来ているようです。
早速、修理が始まります。


修理はウェイさんより若い運転手の人が行います。
タイヤを外し、前輪のドラムブレーキを外し、
ドラムそのものも外してしまいます。
そしてドライブユニットまで外して調整を行います。
修理終了まで約2時間、みんなが集まって
それぞれが出来ることで手伝います。

ここでは、この程度の修理が出来なければ走ることは出来ません。
都会と違って修理工場は限られたところにしかありませんし、
電話を掛ければ部品が直ちに届くと言うことが
期待できる場所でもないのです。

故障しやすい部品は代替品を持って歩き、それがなければ何とか
自分たちで修理するしかないのです。
どこで修理技術を教わったのか知りませんが、
ジャッキと簡単な修理工具で何とか修理を終えました。

このように修理できるのは年式が古いこともあるかと思います。
最近のランクルも電子部品が多用されています。
この最新のランクルが故障したときに彼らは直せるのでしょうか?

日産のパトロールも三菱のパジェロでもなくて
トヨタのランクルが良いのにはそれなりの理由があるのだと思います。
「故障が少なく直しやすい。」それがトヨタのランクルなのでしょうか?


エコトレックのスタッフです。
ちょっとのんびりして一息ついているところです。


帰路・サガへ 1

2006-10-04 19:02:58 | カイラス巡礼・旅行記
 6月16日

 夕べも寒かった。
でも、湯たんぽのおかげでぐっすり眠れました。

 寒い日の朝はランクルのエンジンが目を覚ましてくれません。
チベタンの運転手さんは、自分のランクルの癖を見抜き、
それぞれの方法でエンジンを掛けます。

 私が日本人だと言うことを知っている運転手さんが
「トヨタはいい!」と言ってランクルをポンと叩きます。
「私もトヨタに乗っている。」というと車の鍵を渡そうとして
「運転してみるか?」といたずらっぽく言ってきます。

「ハンドルの位置が違うから運転できない。」というと
不思議そうな顔をします。

チベットに入ってから乗用車ではランクル以外の車は
ほとんど見たことがありません。
走っている車のほとんどがランクルで、そのほかはトラックばかりです。
ランクルも私達が乗っているウェイさんの車のようにもう少しで
30万キロになろうとしているような古い車から
ピカピカの新車までいろいろな年式が混ざっています。

 日本車がこのようにチベタンの人に信頼され愛されているのを見ると、
ちょっと誇らしい気分になります。
これが日本人の血なのでしょう。

 10:10分、パリャンを出発します。
今日はサガまで走ります。

 少し走ると私達のランクルの距離メーターが299,999mに
なっています。
ここから30万キロへ向けてカウントダウンをします。
テン、ナイン、エイト、・・・・スリー、ツー、ワン、ゼロ!
みんなで拍手をしてお祝いします。
ウェイさんもちょっと嬉しそうです。

 パリャンから少し走ったところに湖があります。
この湖のところにはサラサラの砂で出来た砂山があります。
その砂山が折り重なって砂漠のような景観を造っています。

来るときに写真を撮ろうとしたのですが、
車を止める切っ掛けがつかめずにパりゃんまで走ってしまいました。
ですから帰りにはここで写真を撮ろうと思っていたので、
ウェイさんに声をかけてランクルを止めてもらいます。

 幾重に重なる砂山の向こうに深い藍色の湖があり、
さらにその先には白銀のヒマラヤが見えています。
この景色に出会えたことに感謝しつつ数枚の写真を撮ります。

 219国道を快調に走っていると前方にガソリンスタンドが
見えてきます。
このガソリンスタンドは真新しく立派なのです。
周りの風景とは異質なくらい立派なのです。


なぜかというと、このガソリンスタンドの前の道路が
200メートルほど舗装されているのです。
スタンド前もすべて舗装されています。

ほとんどの道路が砂利道なのにこのガソリンスタンドの周りだけが
まるで日本の都会並みの設備を持っています。
私は、ふと思いました。
このガソリンスタンドはどこぞの国のODAによる
援助で造ったものではあるまいか?
そんなことを思うほど立派なガソリンスタンドです。
ここで、私達のランクルも給油します。


 ウェイさんの運転は実に慎重です。
道路事情にうまく合わせてスピードをコントロールしています。
追い抜かれても自分のペースを守ります。
後ろの席の真ん中に載っていたのでウェイさんの運転ぶりが
一番よく見えるのです。

 私はウェイさんの運転には絶対の信頼をおいています。
 そのウェイさんが、珍しく怒っています。
事の起こりは強引に追い越しをしたランクルにあります。

私達のランクルが普通に走っていると後ろからクラックションを
鳴らし強引に追い越しを仕掛けてきます。
こちらの車にお構いなしに強引に追い越しを仕掛けてくるので
ウェイさんがそれほど広くもない道路の端に車を寄せると
すれすれに抜いていきます。

ウェイさんが怒ったようです。
猛然とこの追い越しをしたランクルを追いかけます。
追いついたところでクラックションを鳴らし逆に追い越しを
しようとするのですが、前の車がよけないのです。

これでウェイさんがさらに怒ったようです。
強引に突っ込んでいくのですが、いかんせん、狭い道路では
前の車が横に寄らない限り追い抜くことは出来ません。

しばらく追走していると、前方でトラックが2台スタックして
道路を塞いでいます。
スタックした車の横を交わそうとしてそのトラックも
スタックしてしまったようです。
道路が2台の車で完全に塞がれています。
前を走っているランクルが道路から横の草原へ降りて
この2台を交わしていきます。


帰路・パリャンへ 2

2006-10-03 20:37:23 | カイラス巡礼・旅行記

 昼食は往路でも休んだテント造りのお店のある場所です。
しきりにヴィジュヌーがヌードルが食べたいと誘います。
どうやら、ゲリーが昨日食べたヌードルが美味しかったと
しきりに話したようです。

ゲリーも誘って3人でテントの中へ入ります。
ヴィジュヌーはベジタリアンですのでスープに牛肉を
使っていないものを選びます。

この店では、インスタントラーメンが2元、カップ麺が6元です。
私はカップ麺を食べましたが、辛いのを我慢すればやはり美味しいですね。
ビジュヌーも満足したようです。

 17:00分、パリャンに着きます。
パリャンでは、来るときに泊まった徳吉旅館へ行きますが、
どうやら先客で一杯のようです。
そのあともう一軒の宿へ行きますがここも一杯のようです。
パリャンの小さな町を20台ほどの車両が土埃をあげて走り回ります。

宿が決まらないので中心街のお店のある通りで待機します。
この間、あちらこちら宿を探しているようです。

 ランクルの窓から外を見ていると子供達が歓声を上げながら
通りを走って遊んでいます。
その子供達の写真を撮っている二人の男がいます。
日本人かな?と思ってみていると、その男達がチベタン風の
服装をしている子供達だけの写真を取り出します。

写真に入ってこようとする普通の服装の子供達を叱りつけ、
離れるように言っています。
そしてチベタン風の子供達の手を引いてお寺の方へ歩いていきます。

どうやら、お寺の前でこの子達の写真を写そうとしているようです。
この光景を見ていると無性に腹が立ってきました。
それは、子供達を区別していることに対するものです。
まるで自分たちの自由になるモデルとでも思っているような
振る舞いにです。

こんな方法で写した写真をどんな場で発表するつもりなのでしょうか?
ランクルの窓を開けていなかったので、彼らの言葉を聞いてません。
ですから、日本人か中国人かは分かりませんが、
いづれにしても、子供の写真を写すならもっと自然に写してほしいものです。

 こんな強引な方法で子供達を差別するような方法で写してほしくありません。
子供達は何かもらえるかと思い何も言わずに従っているようです。
そんな姿を見るのも悲しいです。
持てる者の傲慢さを見せつけられたような気がします。

 無事に宿も決まって移動します。
今晩の宿は、狭くて暗くて息苦しい感じがします。
それに寒いのです。

今晩は、ペットボトルにお湯をもらって湯たんぽ代わりにして
寝ることにします。

 私は水筒代わりに1リットルのペットボトルを持ってきました。
この大きさが湯たんぽ代わりにするにはちょうど良い大きさです。
こちらに来て分かったのですが、チベットで売っているミネラルウォーター
などのペットボトルは日本製に較べて材質が薄くペコペコなのです。
それに較べると日本製はちょっと押したくらいでは潰れません。
ですから安心して使えます。

このペットボトルに靴下をかぶせるとやけどの心配もありません。
これで、今晩も暖かく寝ることが出来ます。

帰路・パリャンへ 1

2006-10-02 21:20:10 | カイラス巡礼・旅行記
6月15日

 朝、目を覚ますと窓の外から見える山が真っ白になっています。
道理で昨夜は寒かったはずです。
昨夜は朝方まで布団の中で寒さのため丸まって寝ていました。


 駐車場に見慣れない緑色のバスが止まっています。
私が寝る前に外へ出たときもこのバスは止まっていませんでした。
よく見るとラサから走ってきたバスのようです。
しばらく見ているとバスの乗客が集まってきます。


顔を見ると結構ご老人といった人達です。
それらの人達が大きな荷物を持ってバスの周りに集まってきますが
大きな荷物は布団やマットのようです。これらはバスの上に積むようです。

ジョーがおばあさんに話しかけます。
「カイラッシュ?」と聞くと皆さんうなずいています。
どうやらカイラス山へ向かう人達のようです。

 私達もいつもの朝食を済ませて今日からは今まで走ってきた道を戻ります。
今日はパリャンまで戻ることになります。


一番右端の人がチベットのエージェントでブダイさんです。
その左にいる人が私達の運転手、ウェイさんです。


 10:10分、パルガを出発します。
パルガから15~20分ほど走ったところで見覚えのあるタルチェが
たくさんある場所に着きます。
そうですここはチャンガセと聞いた場所です。
タルチェの周りを右回りに1周してランクルが止まります。

ほんの数日前にこの場所からマナサロワール湖を初めて見たのですが、
その時と同じ光景が目の前に広がります。

右手にマナサロワール湖を見ながら後ろを振り返ると
カイラス山が見えるはずなのですが今は雲の中です。
この先、この景色の前に立つことがあるのかと思うと
ジーンと来るものがあります。
この光景を納めるために最後のシャッターを切ります。

 これで、私のカイラス山コルラがすべて終わります。

 ランクルの中でこれでカイラス山やマナサロワール湖とは
お別れだと思うと一抹の寂しさが湧いてきます。
しかし、ここはまだまだ4千メートルを超える高地ですので
カトマンズへ着くまで気を抜くことは出来ません。
私は、ただただ車窓からの光景を目に焼き付けるように見いっていました。




途中で遊牧民の家族に会いました。
民族衣装を身にまとい、私達のランクルへ近づいてきます。
子供の愛くるしい顔を見ると、健やかに育っているようです。
このような高地で何もないような所でも人間の営みが
しっかりと行われています。
ここに比べると日本は格段に恵まれているはずなのですが
この家族より幸せといえるのでしょうか?