日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* ・・・で、良かった・・(3月10日)*

2023年03月15日 | 雑感


お昼過ぎ、部活から帰宅した孫娘が「お昼から何もない、珍しく家におるからアップルパイ作って、ばぁば」
やりたいことある、悩んだ、うう・・ん、大会に向け、過酷なダンス頑張ってるしなぁ、喜ばせてやろうかな。
「りんご買いに行ってくるね」

いちばん近いスーパーに行った。 入口の右側にある場所、左から2番目に自転車を止めた。
りんごだけ買うつもりだから、トートバックは小さめ。
そうだ夫が昨日、大好きな雑煮が食べたい言ってた。 小餅の袋1キロ入り。 孫たちの柚子入炭酸水いるよな。
牛乳も、今夜豚テキだけど、孫がグラタン食べたい言ってた、材料買っとこ。 私の好きな絹ごし豆腐、孫にグミ。
トートバックと別にレジ袋。 前かごが重い。 あ!肝心なりんご買い忘れてる、一旦帰ろう、近いし。 

乗り始めた瞬間にバランスを崩した。 ガッシャーン! 乗ったまま左に倒れ、自転車の下敷きになった。
倒れる一瞬、あ・・えらいことになる~と思ったのが不思議。 
電動自転車は重い、前篭も重いしとても起き上がれない・・どうしよう・・人を呼ばないと。
右方向に若い女性が見えたので「すみませーん、助けて下さーい」すぐに「待って下さいね!」小さな2人の
子たちに待っててねと言いきかせ、駆けつけ「大丈夫ですか」と自転車を起こし、もう1人の若い女性が
私を起こし、左の思いきし倒れた自転車も起こしてくれた。 
周りに何人いたか分からないが、2人しか目に入らず、夢みたいな現実に気持よく若い方が助けて下さり、助かった。 
案じる2人、なんで自転車に乗って帰れたのか今思えば不思議である。 って言っても3分もあれば帰れる距離。

膝が痛いし曲がりにくい、ズボンをまくると打撲で内出血、3ケ所切ってるし、4ケ所擦りむいて血が出てるし。
後日、左目の横打ってて腫れた。 しかし切っているのにズボンは破れてない、なんで? 不思議。

倒れた瞬間、左見て、あ~倒れたの1台だけですんでる、良かった・・右だったら5,6台倒れていた。工
それに自転車、前も後ろもカバーしっかりかけていて前荷物で膨れているのに中のもの出てない!良かった・・
若い人がすぐに助けてくれて良かった・・何度もお礼言ったけど、何度も大丈夫ですかと気遣ってくれた。
左足で良かった・・右膝は2年前の膝内出血していたようで、受診即手術、人工関節入っているしひびとか?
倒れた時突いた手、小指側で良かった・・親指側は拇指関節症で付け根骨折治療中、良くなってきているのに。

打撲の膝段々腫れて来て曲がらなくなった。 自転車は当分乗れないかな、困った。
天保山に行ったとき、歩かなきゃ・・歩こう・・夫の力も借りて、と大方決心したのに~ 

でもいくつものお陰さまが重なって私を助けてくれた。 骨折でなくて、この位ですんで良かった。
母はいつもそうだった。 起こった事柄がたとえ大きな出来事でも「それぐらいですんで良かった」と言う、
ポジティブだった、人生そのものが。 私がためらいもなくそう思えるのは、やはり母のお陰かな。

帰宅した娘は、その日調子が良くなかった夫と私に「周りの70歳、ぴんぴんしてるよ、今からどうすんのよ」と。
もう介護はすぐ先だ・・みたいに苦笑い。 それは不安だろう。 ぴんぴんころりなんて、とてもとても。

りんごだけ買うつもりが、肝心なりんごを買わずに私、不細工。
「ごめんねばぁば、うちがアップルパイ作ってって言ったばっかりに」 孫が申し訳なさげに言った
                                                                    


* 2人の新しい楽しみができた・・ *

2023年03月09日 | 風景

最近体力、足腰を鑑みながら、いよいよ・・このままでは歩けなくなると言気持ちが迫って来ている。
これでは早々と子供達に心配かけ、手を煩わせるぞ、そんな気がする。
暖かくなってきた。 コロナによるパンデミックも3年にしてやっと収束の時が来た。
WBC、試合の画面を見ながら、観客のマスク・・これが任意に変化して行くのだろうかと思う。

少しづつ歩かなければ・・アッシー君の労わりに甘えている、完全に。 コロナ・・もう言い訳にならない。
夫に「八幡屋公園歩かへん?」 「おう、ええよ」 公園までは車。
杖をつき、コンデジの電源を入れる。 「カードが入っていません」と来た。 スマホは20%  なんじゃこりゃ。
夫はスマホにイヤホンで音楽聞いてるし。 歩く目的もだけど、写真狙いもあったのにぃ。

ボケの花が結構多かった、水仙は終わりかけ、でも、もう少ししたらあの白い小さな花のそれが、開花を始めていた。
名前が出て来ない。 ん! 雪柳。
この写真にタイトルをつけるとしたら「ぼけの花と老人?」「ぼけ老人」そんなこと・・。

八幡屋公園の丸善インテックスアリーナは以前は大阪市中央体育館、スポーツの大会が行われる。
体育館のその上は、流線上の公園になってて、ウォーキングいんは持ってこい。 
頂上で2人椅子に座った。 USJのジェットコースターが見える、部活帰りに友達と孫娘が今行っているはず。
天保山の観覧車も夕日も黄砂でぼんやり。


「天保山に寄ろうか」 夫が公園を歩いた後ここにきて車を止めて、スマホで音楽を聴きながら缶コーヒーを
飲む、そして夕日を楽しむ場所である。
まじまじと見たら、【 Osaka  Bay  BMW
長い間倉庫になっていて、よく来ても何気に見ていたが・・いつも間にか立派になっているではない。

夫のスマホに1月に撮った写真があった。 BMWの中古車販売。 


「左の道の奥に駐車場へ車入れて、カフェがあるし気になってるんや、1人でようは入らへんねん」
カフェのメニュー見ていたら、男性社員さんが「こんにちは!」爽やかな笑顔で挨拶してくれた。
イケメンで好印象、気を良くした。 カフェは飲み物だけかな。 


カフェの2階からは、いつも夕景を撮る大阪湾が真正面に! これはいい! 
今日は黄砂で夕日は見えないが。 「ここいいね、座って見られるなんてね(高齢者には)」


「珈琲飲みながら最高」広い倉庫の天井や周りは、むきだしになっているが、ピカピカのBMWだらけ。


私のスマホはバッテリー切れ。 (家で確認したら、カードのツメが動いてロックがかかっていた!)
おっちょこちょい、せっかち・・当たっている。2人の新しい楽しみが出来た。 
私より年上の夫人が杖をついて、そばを行ったり来たり歩いていた。 
杖さえ抵抗がある73歳、まず我を捨てる精進から始めなければ。 誰も何も思ってないけれど
もっと年上の女性が、さっさと歩いている姿は優越感だろうなぁ。 なんか負けている気がして情けない

 ウッドデッキは今工事中。 家族で釣りに来たり、豪華客船が入港の時はまずここから撮って、
大阪港に入ったのを目の前で見られる、マンションのような船を。 2人の新しい楽しみができた。

5時、娘より「子供が今日に限って鍵を忘れて!」急いで帰らないと!
「私もお父さんが行く時、あそこ歩こうかな杖ついて」と言ったけど返事が無かった。 
無言実行だろうがと言わんばかり。 それより夕食の用意してるやん、そんな時間は。 


* 3月3日のひな祭りの思い出に浸る・・夜から朝 *

2023年03月05日 | 家族


4日はなんだか色々用事があって、ゆっくり向き合えなかった3日のひな祭り。

孫娘は部活が終わったら私か娘に電話をしてくる。 「晩ご飯何?」「OK,!今から帰ります」 
孫息子も帰宅して必ず聞く、「晩ご飯、何?」階段をあがりながら匂い察知、「今日はハンバーグやな」
そんな2人を見ながら夫は「ええこっちゃ」とても嬉しそう。 食べる楽しみは、家に帰る楽しみやと。
夕食はうるさいくらいで、そんなやりとりの風景にほのぼの・・幸せを感じる瞬間である。
やはり家族を繋ぐのは、”食”ではなかろうかと思ったりする。 母は料理がとても上手だった。 

今年ばら寿司は、サーモンとまぐろをのせてイクラを飾ると言う、簡単なものにした。
具材は全部、別々に炊く面倒もあるのに、孫たちは段々と好き!から離れて行くので、お刺身でつった。

ブログに記録する為に、夜中・早朝から私時間、過去のひな祭りの記事を検索した。
何枚かずつ、写真をフォルダに保存しながら、その過ぎ越し年月を追った。 
これまで身内よりブログ優先になっていないか、実家や姉妹へ心をかける大切さを反省したり。
2018年の震度6の大阪北部の地震災害、台風7号の大災害、(こんなことしていいのか)と被害に
ブログの手が止まった。

ひな祭り・・Nちゃんの初節句。
あと30分遅かったら、母子ともに生きていなかったと言われた。 生まれたあの日を思うと今生きて、
送れる毎日、なんて尊いのだろう。 脳に障害が出るかも知れないとも言われた。 涙が出る。
その子が高1をもうすぐ終業する。
子供が自ら命を絶つニュースを見ると、「なんで自殺を選ぶんやろう、絶対分からんわ。 
そこまでする前に誰かに話せるやろう。 そんな勇気があるんやったら誰かに話さなあかんで、相談せな。
自分の命は1人だけのもんじゃない、自分が死んだら、どれだけの人を悲しませるか考えなあかんやん。 
死ぬくらいなら、最後にもう1回悩みをうちあけなあかん」ぶつぶつ訴えるように言った。

もし自分の子がそこまで悩んでいて果たして、親に話してくれるだろうか、私も思ったりしたし、絶対自信がある
とは言えない気がした。 我が子を信じていると言っても、子供が見せているサインを気づかない人もいるし。
孫がそんな事を話すことが嬉しかった。(毎日何でも話すNちゃんと、何でも話聞いてくれるママのお陰やで)

小3の夏休み、我が家へ来たNちゃん、もういいかなと生まれた時の事を話した。
話し乍ら、聞きながら2人でボロボロ泣いた。 
「生れた時からそんなにいっぱいの人に助けてもらったんやなぁ。 人を助けるお医者さんになるわ」
とかそんな事言った。 今は違うけど。

初節句は我が家で。ケーキはパティシエケーキ屋さんしていたこともあるお嫁さんが作ってくれる、
お祝い事たいてい。 有難く幸せだった。 今は、鹿児島のお父さんたちに孝行してくれている。



ひな祭り・・Yちゃんの初節句。
息子の所に兄と3つ違いの妹が生まれた。 兄はとっても嬉しくて、優しくて可愛がった。
最初の孫は3歳まで家で育てると娘は働かなかった。Yちゃんの保育園は可哀想だし、2年間夫と毎日送迎
ママが帰るまで、独り占め、楽しく過ごさせてもらった。 
母が「してもらえる者も幸せじゃけど、してあげられる者も幸せ」言っていた言葉である。  

ひな祭りに、保育園で作ったおもちゃが増えた。 孫娘2人になった。 いとこ2人とも同い年。
ひな祭りの行事だけでも、孫の成長が見える。 病気をしたり色々あった。

夫を中心にみくファミリー、これが私達の後に続く家族である。
私たち夫婦には、この世に親と呼べる人はもういない。 今度は私たちが家族のてっぺんなのである。
見られている側にいる。 背筋が伸びる、すごい責任ある立場だと思っている。
一生が勉強、一生が子育て孫育てである。 生きている限り・・親だから。


鹿児島は広いから飾れるが、我が家は同居で狭くなった分置く場所はない。
代わりの小さいひな飾りを出すとき、大きな段ボール横目に、開けもしなかった。 出すのも大ごと。
孫娘がお嫁に行く時持って行くんかな、いやそれは叶わないだろう。 子供は小さい時が花?
女の子は、かなり古いのを含めて計6人。 

兄嫁さんが作ってくれたひな飾りは、2012年だった。 孫の為にと思ったけれどそうではなかったと判明。
孫の為ではなく、自分のひな祭りを楽しんで下さい」と言う心ある贈り物だった。 感謝しかない。
右上は一番下の妹の折り紙細工である。 梅の花も一枚1枚の折り紙、梅に鶯ならずメジロ?
3日仕事が遅いからと前夜、長女が届けてくれていた、ショートケーキ家族分。 お寿司はお持ち帰り。

やっぱりブログやっていて良かった。 フォルダにいくら写真を保存していても、開くときはないが、
アルバムやブログはいつでも見られる。 今日の様に。
写真を見ながら、祝える喜びをしみじみと感じながら・・朝を迎えた。
古いの・・を含めて、女の子は6人。 すこやかに・・ご先祖様、見守って下さいね。 


* 弥生 3月・・どこかで春が・・goo blogさんより *

2023年03月01日 | 雑感


かなり前、実家の兄嫁さんが作ってくれ送って下さったひな飾り。 大安に出した。

弥生3月と聞くと  山の3月 そよ風吹いて・・。 2月の冷たい感じから、ピンク色、暖かな色を想像する。
遅れ遅れの我がブログ、皆さんもメールが来ると思いますが、goo blogさんも年々変化してきましたよね。
mikuさんが2022年3月1日に書かれた記事をお届けします 2日続けてメールの嬉しいお届けものである。
最初はびっくり! 記事が書けない時はこれかな? 自分の為にも。 この計らいには感激である。 

そうでなくても、記事が追いつかない私、良く過去記事を振り返るようになっていた。
月の初めは毎年、同じことを考えたり書いたりしている。 月初めの希望など。

最近は、これって必要かも。 子供や孫たちの成長を振り返り感激したり、自分は若かったなぁと懐かしんだり。
書いたままより、また載せて自分へ反省や新たな希望だったり、ブログは過去記事を楽しむ場でもあると
最近特に思うし、写真の少ない私、再度出番を与えてやることも自分へのやる気スイッチになるかもと思うようになった。

そして嬉しいのは、ブログへ来て頂いても中々更新のない私、過去記事を見て下さり、以前はなかった、いいね!
を押して下さったりする。 私自身もその場で記事を読み返し、気持を改めたりできる。 読んで下さったことに感激する。
また私も、他のブログの方の過去記事を読んだりして、楽しませて頂いたりもしている。
まさにブログを何倍も楽しむ方法の一つだと思っている。

言い訳がましいけれど、gooさんに敬意を表して、1年前の3月1日の記事を借りた。
goo blogさんを始める前は、他のサイトだった、見たくともIDもパスワードも忘れた。

* どこかで春が・・ * - 日々雑感 ~写真と思い~

* どこかで春が・・ * - 日々雑感 ~写真と思い~

弥生(三月)きっぱりと冬から春へと、季節はバトンタッチをする。もう寒いとか・・思うよりも、どこかで春を見つけて・・音を聞いて・・待っていた春を楽しみたいと思う。...

goo blog

  

昨年は2人が高校受験。コロナ禍、感染者も多く、親がランクを落とした方が、そう言ったけど、
鹿児島の孫息子は田舎なので塾は親が送り迎え、「ランク落としたら、塾へ行った価値が無い」
2人ともランクを落とさなかった。 合格の喜びはひとしおだった。

4人、頑張っている。 成長した。 21日は大阪の桜の開花予想。 春だ、春! 
6日は啓蟄である、冬ごもりの虫たちも這いあがる、 私も!? やっぱり春はいいなぁ、力が出る。


* 二月の終わり・・草稿中だった記事より *

2023年02月28日 | 雑感


3月になったけれど、2月の締めをしていない。 草稿中だった記事投稿。

27日の月曜は整形だった。 11時予約で2時間はゆうにかかるからと娘に言っていたので、
お昼を食べに帰る娘に夫の食事を頼んでおいた。
珍しく少し早く終わったけれど、お昼は頼んでいるからまいっか・・。

自転車なので病院近くの市岡元町公園に寄った。 まだ咲いているかなぁと気になっていて。
山茶花を知った時こんな公園が近くにあるなんてと嬉しく思った。
大阪マラソンの折り返し地点のそば。 
あの時の往来を走る人応援の人賑わい、何事もなかったような景色が何か不思議な気がした。。

やはり花はほとんど終わっていて、10枚くらい花びらの綺麗なのを撮った、つもりだった。 
載せたのは最初の1枚だけ。 後は、ブログにも載せている過去写真。
山茶花か椿か八重は見分けがつかなくなった。 



陽ざしが暖かくて、自販機で暖かいカフェオレを買ってベンチに座った。
さぁ、私。 2月をどんな色に染めようか、しっかりしないと逃げるぞ、2月、と
1年前の記事を引用して意気込んだけれど、2月は本当に早々と逃げるように終わった。 

気持ちの上で焦らない・・深呼吸。 「自分が思うほど人は思ってない、気にしてないぞ、
なんかいつも焦っている」と夫に言われ、本当にそう思い反省した。 少し楽になった。



同居から2年8ケ月になる。 なんとかいいペースで1日を過ごせるようになった。
自分さえ(パソコンに向かう時間が欲しい!)と叫びたいこともあるが、まぁまぁ。
私だってストレス全くないと言えば嘘になる、コントロールしているだけで。

家が暗くなるのは嫌と、気持ちをすぐ転換して明るい娘から教えられることも多い。
2人暮らしなら世の移ろい、考えも古いままで暮らしていたかも知れないし、
時代の変化にも、変えてはいけない部分、変えていかなければいけない部分がある。

有難いなぁと思う、特に娘達がいると。 そんな時代の変化を教え、見せられるから。
それでも思いや考えが違うことがある。  言えば簡単だが、気まずい思いはしたくない
穏やかに行こうと思えば、「そうやね」こちらが受け入れることである。 
老いては子に従え。 どうあってもお世話になる身、介護は行く道であるから。

夫に言わせれば、「黙っとけ、いつか分かるときがくる」 そう信じて言い聞かせている。

 

この気持ちになれるのは、母のお陰である。

46年間兄嫁さんの愚痴を言ったことが無かった。 言えば小姑4人、お姉さんへの見方が変わる。
お姉さんにはいつも有難いと、感謝の言葉ばかりを私達に言った母の作戦。 すごいと思う。
そんな母の思いをお姉さんも感じとり、娘にも出来ないくらい愛情いっぱいで細やかに
母に尽くしてくれた。 まさに待つ、見守り、寄り添ってきた母だろうと思う。
私は夫に聞いてもらえるが、58歳で逝った父、母は言える人がいなかった、54歳の母には。

元総理の小泉さんではないが、姉妹4人 母とお姉さんには「感動した!」




娘はお嫁さんとは違う、その点やりやすい、ツーカー(古い?)の仲でもある、そこは親子である。
娘にもあるだろうが、私も言いたいことがある、時がある。 しかし母を思い出すのだ。
(全部・・受け入れて来たんだろうなぁ、葛藤もあっただろうに)そう思うと越えられる。

結婚した時「私はお姉さんのお世話になる、女4人いてもいざとなったら役に立たない。
だからお嫁さんを大事にする、陰で悪口言ったら承知しないよ」と釘をさされた。
やられた、母に。 
私だって言いたくなる時がある、そんな時は母を思う。 黙って受け入れて来た母を。
自分の思いを言わずに「有難い、感謝」どれだけ口にしてきた事だろう。 

夫が言った。 「どんな事でも感謝感謝だった、お陰さん、有難い、そんな毎日の積み重ねで
お母さんは年とるほど幸せな人生を送れたんやなぁ」
亡くなる1年半前認知症が増して施設に入り、尽くしてくれた優しい息子夫婦も仲の良い
5人兄弟さえも分からなくなった、お義母さん。
やりきれない測り知れない寂しさと無念、羨ましくも母を讃えてくれたのだろう。

2月は1月よりも、焦らない・・のお陰で、少し変われたかな、よしとしよう。
さぁ3月も!