日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 1枚の年賀状 *

2012年01月10日 | 懸賞・投稿

年賀状の中に、思いがけない方からのが2枚あって、とても嬉しくまた衝撃ありで拝見したお正月。

1枚は同級生のKちゃん。 還暦旅行でバスの席が近くだったこともあって良くああだこうだしゃべった。
旅行のスナップ写真と全員を撮ってそれぞれにメッセージを入れたデジブックのCDを届けたのだが、返事が頂けなかった。
「送るね」と言っていたのだけど、「届いた?」と電話するのもなんだしとそのままにしていた。 忘れていた。
その彼女から、お礼で遅くなった事と、時々デジブック見ていますと言う文面だった。
(あ・・良かった、届いていたんだ・・) 印刷の年賀状が多い中で自筆の文字に気持ちが充分に届いてすごく嬉しかった。

もう1枚は・・(お! え~!なんと珍しい)って言うか40年以上は充分に会っていないT君(その当時はそう呼んでいた)からだった。
1枚の年賀葉書にびっしり細かいフォントで(1枚のスペースに伝えたい事をいっぱい詰め込む為の作)パソコンで書いていた。
が、気持ちはいっぱい伝わった。 だって印刷でみんな同じ祝詞のとは違って、私にしか出せない文面だったから。

高校を出るまで島にいた私、親戚への盆暮れの贈答は私の役目だった。 
姉は私が小4のとき京都に就職していたし、兄は男だしうまいこと使われたのか、女と言う事で私が行かねばならなかった。
だから私は親戚の人たちやいとこたちと話す機会が多かった訳で、中学に入るまで家の集金もそう言えば私の役目だった。
人見知りで恥ずかしがりやの私には、この事はプラスになった事は言うまでもないがだからと言って、その性格は今でも変わらない。
夫のお兄さんとT君は同級生のようだが、年が5つ6っつしか違わないので、私といとこか位に思っていた。 理屈には合わないが。
身内では、今で言うイケメンだったので(申し訳ないかな・・今はかすかな記憶で・・何処かですれ違っても分からないかも・・)
法事と言えば母と行ったり、自分自身だったり、T君のお父さんとも良く話して、家のことも手伝ったりしたこともあったと思う。

このT君が大阪府下にお住まいでびっくり、そして母といとこだと言う事に2度びっくり。 いやそれだけではない、私たち夫婦の結婚式や
夫の勤める会社の事や、そして私たちがブロガーだと言う事までも知っておいでである。 2度びっくりどころではなかった。
わ~、私とでなく88歳の母といとこだったんだ~。  そっか、お兄さんと同級生なら、弟の嫁さんの事を聞いていてもおかしくはない。
私は昔から複雑な血縁関係の相関図みたいなのは大の苦手で、無関心だったし教えられてもすぐに忘れる方だった。
結婚した時、夫のお父さんから私のいとこのことを話されて「知らないです」と答えたら、「そう言う事はちゃんと親に聞いておくもんや」
注意された事があって未だにあの時のお父さんの姿も口調も覚えている。 嫁の私に真面目に大事な事を言ってくれて嬉しかった。
が、未だに親戚の詳しい相関図私は知らない。 亡くなっている人も多いが、母が生きているうちに聞いておこうと今回思った。

突然の1枚の年賀状、いとこ同士の子供って遠縁かも知れないが嬉しいではないか。 
そして私の生きるテーマ、「出会いは必然」 この年賀状の驚きと喜びは何かしら、寒い冬に春の訪れの知らせ・・のようで、
私には一陣の爽風(こんな言葉あるんかい?)のように思えた。
返事の最後に、「お近くにお出での折にはどうぞお立ち寄り下さい、歓迎致します」と結んだような気がする。
会社に行く夫に投函を頼んだのが間違いだった。 カバンに入れたので(え?なんでカバンに入れるの?)と思ったが・・。
忘れていたのだ。 遅くなったお詫びと書き忘れた電話番号を書いて・・と思ったが出さなかったけど。 

今夜は満月、冴えた空に煌めく冬の星座に交じって、白い月が煌々と輝いていることだろう。
普通なら三脚たててカメラで・・と言う所だが、歩行困難且つ気力なし。
今年、この1枚の年賀状が、何かしら新しい展開があるのではないだろうか・・そう思えている勝手な私。
夫の方が「T君、会うたら分かると思うで」 同じ地域ゆえそう言っていた。 大阪の空の下・・暖かさがふわっと加わった気がする。


* 無事9月を終了 *

2011年09月30日 | 懸賞・投稿

今日で9月が終わる。 
孫3人水ぼうそう、それに次女一家の引っ越しが決まりそこに向けての準備や片付けに余念の無い日々が続いている。
でも香港の2人も含め、家族12名元気に過ごせた。 お陰さまである。

なつめが何度も言う。 「もう明日から10月になるんやね」 自分たちだけの家に住む新しい生活になることを意識?
「ばぁば寂しいわ」と言うと、「金曜日には泊まりに来てあげるやん」と言う。
(いや・・ばぁば金曜・・花金なんよ・・じいじが卓球の夜だし)とは言えなかった。 
「泊まりに来てくれる? 嬉しいなぁ」

ゆいちゃん、アンパンマンが大好き。 今日髪を、初めてママにアップにしてもらっていた。 

今日のお弁当:炒り豆腐(昨夜の残り)、目玉焼き、一口カツ(昨夜の残り)、ハムの胡瓜巻き、ほうれん草の胡麻和え、くぎ煮


* 台風は去ったものの・・ 夕日に寄せて *

2011年09月06日 | 懸賞・投稿

夕方 「ちょっと中央体育館登ってくるわ」と 自転車を走らせる
行きたい所もあるんだけど 西の空に沈みかける夕日を追っかけた
八幡屋公園へ入り いつもの場所へ自転車を置いて 登るやさしい木の階段を
遊歩道をぐるぐる回らず 一気に頂上へ繋がる階段を 駆け上がる
足が痛・・右足・・足の裏とか痛くて 最近かかとをあげて歩いたりすることがある
少し前にもこんな現象があって普通に歩けなかった その原因が思い出せない・・
(なんだったかな・・) 最近特に思い出せない事が あまりに多いんじゃないかい?

(わ・・もう落ちちゃう・・)
グリーンヒルズの頂上にはおばちゃんたちあちこち7人 女子学生3人 少年3人あちこちで夕日を見ていた

出来るだけしゃがんで・・まだ青い草を入れて撮って見た

先に着いたのはジャージ姿の女性 少しして 無謀にも自転車を押してあがってきたのは・・ 旦那さんかな?

後ろを向けば 東の空は・・青い

不思議・・夕日を見つめるみんな 結構言葉が少ないのよね

胸の中には それぞれの思いがよぎっていることだろう
何度かTVで見た東北の人たち 「いつまでも悲しんでおれませんから・・」と 
大抵誰もが笑顔で立ち上がっているその姿や思いに 胸がつまる日々なのに



平成で最悪の被害 と台風による被害に遭われた人たちがまた多く 増えて・・胸が痛む
台風は去ったけれど 良かった・・と手放しでは喜べない 
いたずらにしては 今年はなんと残酷な 次々と人を痛めつける大自然 

けど 私は私で現実の出来事と向き合いながら  与えられた命を家族に注ぎながら過ごして行かなくては
いつもの年とは違って 決してすっぽりと安らぎはしないけれど 
束の間の癒しに 明日への力を蓄えるのだろう みんな



帰る道すがら 秋の出番を待つ萩が 1輪 

涼しさは 秋はもうすぐそこですよ~ 


* 久しぶりに 大阪港の夕暮れ *

2011年08月30日 | 懸賞・投稿

間もなく長い夏休みも終わり・・夕暮れに釣り糸を垂れる親子 ゆったりとしたその余裕な雰囲気がなんとも和やかだった。
これから少しづつ夏がセピア色に変わって行く。

帰宅後「散歩に行こう」と夫、孫たちを連れて、久しぶりに 大阪港中央突堤へ。
少し物足りない夕日であったが、わずか30分足らずの空のショーや保育園へ行きながらもまだまだ元気のありあまった
孫たちにこちらが癒され元気をもらった。


 

今朝屋上へあがったらまるで花咲かじいさんみたい、それほどでもないグリーンカーテンなのに、色とりどりの朝顔が
60いくつも咲いていた。
昨夜の喜びごとに反応したかのように。 この夏一番の数だった。 向かいのマンションから見てみたい・・


* 大阪天神祭 なつめが生まれた日・・ *

2011年07月25日 | 懸賞・投稿

なつめが起きてきた。
「なっちゃん きのうな みんなにぷれぜんともらって おいわいしてもらって しあわせやなぁって おもった」
もうこんな事を言うようになったんやなぁ

普段はかんたと2分の1の愛情・・次女が今日はなつめの誕生日、なつめをいっぱい喜ばせたい2人で過したいと、
一応保育所には行くが、かんたにが最初に部屋に行くので後内緒で帰る、保育園をお休みするのだ。
次女も早くからパートを変わってもらうようにしていた。

今日は月曜、関西のヘアサロンの美容師さん300人が東日本大震災の支援で、中央体育館で500円でカット、
森ノ宮駅などでも募金、それらは全て義援金として送られるプロジェクト。 素晴らしい企画である。
「500円でなんて申し訳ない気がして・・」と次女は言うが美容師さんたちは来てくれないと成果が無い訳でむしろ感謝
「ありがとうございます」丁寧にお礼を言われ、恐縮したらしい。
次女はもちろん、先日自分で前髪や横をカットしたなつめ、思い切って・・長い髪をカットしてもらった。 
お昼で仕事が終わった愛ちゃんも、カットに行って我が家へゆいちゃんを迎えに来た。 

1時間で700人くらいやったりしたそうで、お休みの月曜・・こう言う支援の仕方もあるのだなぁと感心した。

で、なつめはママとファミレスで食事、そのあと2人カラオケでいっぱい歌って楽しく過ごしたようだ。 
ついつい「お姉ちゃんでしょ・・」1人の時とは違い弟が生まれると、何かと変化2分の1の愛情の現実。 
今日だけは独り占め。 そんな次女の母親らしい気遣いにぐっとくる。 カットしてもらってすっきり。

5年前、胎盤早期剥離で行きつけの病院で「もううちでは(子供ばかりでなく)親も助けられません」そう言われ
救急車で血の気が失せた次女に2人の看護師さんがついて大きな病院へ。 
みんなの祈り・・なつめの将来性も危ぶまれたのに・・。
大きな病院の設備、帝王切開の手術の患者さんが時間を遅めていて用意が出来ていたと言うタイミング、
小児科の医師、設備、先進治療・・30分遅ければ・・と言われた2人だったのに。

64歳で他界した義父の命日は9月25日、その朝義父の命日にいつもの珈琲を備えながら、安産をお願いしたが、
まさかこの日にこんなことになろうとは。 
義父の命の短かった分、なつめがもらったようなそんな気がしている、これはずっとそう思うであろう。 
そんな思いの深い7月25日。 思い出すと胸が詰まりそうになる。 
生まれたばかり、自分で呼吸も出来なくて、保育器の中の小さな身体は身動きもせず、いっぱいのチューブが身体に。
生まれた状態が10段階の2でしかなかった。 そんななつめが元気に・・元気に育ってくれている。
時に感情でなつめを怒ったりした後、(生きているだけでもどれだけ感謝か分からないのに・・) ごめんねと言う気持ちになる。
なっちゃん5歳のお誕生日おめでとう・・元気に生まれて来てくれて 元気に育ってくれてありがとう。



昨年はかんたの子守をしていて、子供獅子舞に家にはいってもらって、かんたの頭をガブってしてもらった。
ゆいちゃん、もし泣いて怖がってトラウマになってもいけないのでやめた。 
次女となつめが出かける時、ちょうど家の近くへ来たので、みんなで見た。 獅子舞、なつめも怖がる。



今日は日本3大祭りの1つ、天神祭で夜は花火である。 なつめの誕生日毎年花火があがる・・、なんて素敵な。
セイ君や長女がいたときと違って、愛ちゃんはパート、かんた保育園、私子守だし環境も変わって来ているし・・、
暑いのにお昼過ぎから行って場所取りなんて無理。  
何よりも企画準備担当者がいないと。 いない時、当たり前でない事に、改めて感謝が出来て今年はこれでいい。

でもやっぱり25日は花火でしょう。

蜘蛛の糸・・お能は見事でした。



カネや太鼓の音が雰囲気を盛り上げて・・

はい、がんばってますみんな!



写真が今一ですが・・花火は苦手

何処から撮った?



お決まり・・

雨が・・とか予想されていたのに・・良かった・・



神輿は大阪天満宮へ宮入です・・ そこまでどうやって行ったの?

あ! ばれた!



何処でもね・・見るとシャッターを押してしまうんです~
始まった時ちょうど会社マージャンから帰った夫と、一緒に見た、今年は涼しい家花火。

25日の天神祭、毎年見ているなつめには何処からでも見せてやりたい・・なみはや大橋からでも・・小さくても
ずっとそう言っていたけ次女。 展君が帰って「行こう!」 食事の後4人で出かけた。 
自分たちが楽しみたいではなく、子供を喜ばせてやりたい・・そんな夫婦が微笑ましかった。 
そして私にも若いあのような頃は、あのような活力、意欲があったなぁと腰が重くなった今苦笑い。