88歳を迎えた母に、未だに元気になる言葉をもらっている
その言葉には それだけの年月を重ねた母の 生きざまがある
本当なら 88歳の母に 私の方が元気づけなきゃいけない そんな年なのに
格言めいた言葉を 言われてしまう それは未だに それはいつも
子供の頃は(もういいよ・・耳にたこ・・) とか思った時もあったけど
結婚して 子供を持って 育てながら ずっとずっと
母はいつも どんな時も プラス思考な言葉で 私を導いてくれた
自分の愚痴や泣き言は 決して言わないで
時には叱り たしなめ そして時には褒めてもくれた(若い時は殆どなかったけれど)
年を重ねるに従って その言葉は心に沁みこんで いつも有難いと胸がいっぱいになる
後ろ姿だけでも 私には充分感謝しているのだけれど
私の心の引き出しには いっぱい母の言葉があって 時にそっと開けてみる
母の言葉には 言うだけの生きた証しがある それは説得力 大きな説得力
母と電話で話しても 先にそして後にも 私より励ます力が大きい母
誕生日の日には 明るく元気に
「良いことは心の財産に、良くない事は反省しながら生きる糧に、お互いに頑張ろうで~」
母の言葉を聞きながら (またまた母さん節やわ・・)って思いながらも 誇らしく思う
61歳になっても そんな母の言葉に うんうんと導かれている自分を
ははぁ~でもね 私って 言葉には説得力ないわ 子供たちに対していつも思う
ちゃらんぽらん やったりやらなかったりと それはそれはいい加減だから
こうなのよ だからね なんて言えない 母のようには
ありきたりの言葉だけれど 米寿を迎えた誕生日に送った便りに
「生んでくれてありがとう お母さんの子供で良かった 今の幸せはみんな
お母さんからもらったようなものです」と書いた
梅雨の季節 母の手づくりが 愛おしい お天気にカエル 幸せにカエル