日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 大阪に春 *

2012年02月20日 | スポーツ一般

寝起き、オリンパスのデジカメ画像を取り込むUSBコード、時としてマイクになって歌う。
愛ちゃんが5時までだったので、夫が帰るのを待って車で送って行った。

愛ちゃんが「帰ったら区役所から通知入ってて、ゆいちゃん保育所あかんかったんです」
「そうなん、残念やったね」「入れると思ってたのに」 私は半分半分だった。
「お母さん、いいですか、大丈夫ですか」 「いいよ、見てあげるよ」
私の身体を気遣いながら愛ちゃん、私も半分期待していたから2人とも少々複雑。

あかんかったと言う事は、まだ身内のそばにいた方がいいのですよと言う天のお察しかな。
夫も「毎朝、迎えに行ったろるで」 もうその気になっていた。 
そりゃぁ嬉しいよね、朝会えるし、時に送って行けるし。 無くなったら寂し過ぎるのは夫だから。

送ったその帰り、夫が「おっちゃんとこへ行こう」と言うので、築港まで行った。
特別いるものもないのし、行けば色々買ってしまうので、何度か誘われ断ったので、すんなりOKした。
さしあたり今日は、先日買い損ねた卵だけ欲しかったから。 

「もうそろそろ鳴門部屋、大阪入りよね」 そう言って近くまで来たら、「わ~!! 来てるやん!」
今まさにトラックで荷物が降ろされ、中へ運ぼうと言う時だった。 暗いが力士さんが荷物をとろとろと運び込んでいた。 
「もう親方、おらんのよなぁ」 「亡くなったのよね、もうあの声は聞こえないね」



大阪の春は、大阪場所から! 近いこともあり相撲の最中、築港高野山の稽古場を覗くのが常になっていた。
以前は福島の大島部屋、大正の佐渡が嶽部屋へもはしごしていた。
大島部屋はテントの中、佐渡が嶽部屋は外の窓から、鳴門部屋は中で座布団へ座らせて見せてくれた。 
相撲が終わってここを引き払う最後の日、力士さんがシャッターを開けて稽古場の土俵を片付ける。
稽古中の緊迫感と違って和やかな力士さんの笑顔が見える。 最後にはちびっこを抱いたりして写真を撮らせてくれたりし。

それが1昨年、お寺の境内でブルーシートを洗って片付けるのをファンが見守っていた。 身体が大きいのでこんな時の動作は
ゆっくりしている。 よっこらよっこらやっている中で、稀勢の里さんが膝まづいてブルーシートを拭いていた、冷たい雑巾で。
誰よりも一番きちんとしていた、黙々と。 やって見せているのか、私なら「自分がやります!」と雑巾をとるけどと思いながら。
その時稽古場から大きな声が聞こえていた。 怒鳴っていたような。 力士はみんな土俵場に入って行ったので見えなくなった。
シャッターも降ろされたまま・・親方の叱責のような声が聞こえていた。 (今年は駄目だなぁ・・) みんな帰り始めた。

息子たちと孫たちを抱いてもらおうと思っていたのに、シャッターはもう開かなかった。
親方は昨年11月7日、急性呼吸不全で亡くなられた。 毎年お姿を見ていただけに衝撃だった。
稀勢の里さんはそれからひと月もしないうちに、12月大関に昇進した。 まさに親方への万感の思いを込めた取り組みの日々。

その時のインタビューの言葉を読むと、親方の相撲に対する心・・心技体・・その部分の深い思いに泣ける。

鳴門部屋HP    稀勢の里 大関昇進インタビュー

大阪場所の引き払う日の、あの親方の声が耳に残っている。 こちらまで一瞬張りつめた気持ちで収縮したもの。
インタビューを読むと、親方の怒声が痛い位に分かるような気がする。 まるでご自分を生の時間を感じていたみたいな。 

亡き先代親方のご冥福をお祈りしつつ、鳴門部屋への応援に今年もかけつけようと思う。
親方の心が・・どうぞや稀勢の里関を通じながら、部屋の力士の方たちに浸透、受け継がれますようにと。

 今日のお弁当:  ギンナン入りがんも、しらす入り卵焼きとトマト、豚キムチ、あと手前の一品思い出せない・・
   あ・・最近こんなの多い。



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