いよいよ卒園式。
ここへ来るまでには、歌の練習や式の練習で声を枯らしたり、熱が出たり・・卒園児側のお世話係次女まで熱が出たり・・。
なんとか当日を迎えることができた。
式が始まるまでに、グランドピアノの演奏で色々な曲が流れた。 もうこれだけで胸がいっぱいになる。
いよいよ開式。 最後になる園歌、「のんのんののさま みてござる・・」
卒園証書授与。 練習通り、緊張な面持ちで授与。
皆勤賞、精勤賞の表彰、なつめは精勤賞を受けた。 親子二代で卒園した人もいて、表彰された。
園長先生の挨拶の中で、先生が10歳のときにお父さんが保育園をたちあげて、60年・・60回目の卒園式。
いじめとけんかの話をされた。 けんかはいいが、いじめは絶対にいけないと言うお話。
「分かりましたか?」 「は~い」
後援会代表のお母さんの謝辞も涙涙。
幼稚園とはまた違い、働きながら朝からバタバタ、仕事帰りのお迎えと大変な中での保育園、感慨無量である。
先生方への、イニシアルの入ったタオルハンカチやお花のプレゼント。
年長組で見ていただいた先生の挨拶。
もう会場すべての人たちの涙だった。 誰にも言っていないけどと、おなかに赤ちゃんがいることを告げられた。
そんな中で、いつも明るくパワフルな先生、感動もの。 仕事ではない、これこを聖職である。
親とて1人2人の子供に手をやいているのに、そんな子供たち40人を細やかに、優しい目線で見てくださった。
もう涙でカメラを持つ手が震える。 パパもママも誰もが、きっとそうだと思った。
在園児の送辞、卒園児の答辞、とても可愛かった。 卒園児の成長を感じた。
卒園児が「未来へ」を歌い、在園児が「花は咲く」の送る歌。
最後はお別れの歌、「未来への帰り道」を歌った。
最後に、父兄の役員と園児からの感謝のサプライズ。
「ピンク帽子のドレミファソ」の歌を、指導主任の先生と役員で園バージョンで園長先生をはじめ先生方の
名前を入れて替え歌を作っていた。
パンフレットを作って手渡し、歌で感謝を表すと言うプレゼント。 仕事で忙しいママたち、長女が作成。
主任の先生と卒園児は、担任の先生に内緒で歌の練習をしていたのだ。
会場はひとつになっていた。 感動の渦の中を卒園式は終わった。
教室へ帰ったとき、男の子も女の子も号泣している子が何人もいた。 なつめも号泣していた。
園庭で、お世話になった先生と写真撮影。
なつめは3年間お世話になった先生みんなへ、手紙を書いて渡していた。
行きたくないとなつめがかたくなに拒否し、親子してけんか腰や泣いた日もあった。
同居していたので無理に行かせることもないだろうと思いながらも、次女の思いに合わせて私も泣いた日。
次女がなつめを出産したとき、前置胎盤で行きつけの病院では親子とも助けられないと言われて、救急車で
大病院へ搬送、私は展君や長女と救急車を追いかけながら、(次女の命だけでも助けてください)と祈った。
手術する人の時間が延びていて、そんな所へ運ばれ到着後手術、無事生まれた。
集中治療室に入り、自分で呼吸することもできず、保育器の中で身動きもせずいっぱいのチューブをつけたなつめの姿、
後30分遅ければ、母子ともに助からなかったと言われ、なつめには脳に障害が起きるかも知れないと言われた。
そんななつめが、保育器の中で身体を動かしたのを見た時には涙が止まらなかった。
(生きていてくれた・・)その感激とともに、先生の言葉でこれから先の覚悟のようなものが頭の中でめぐっていた。
何度か脳波を撮ったが、異常がなかった。 奇跡かも知れない。
なつめが退院して、次女と全く同じ状態で出産した方の2人のお子たちの状況をTVで偶然にもやっていた。
24時間つきっきりで目が離せない障害が残っている状態と言う事実。
なつめが生まれた7月25日は大阪は天神祭の日、そして25日は義父の月命日だった。
64歳と言う、今年私たちが迎える年齢で他界された義父の短い人生。
その義父の命をなつめはもらったのではないだろうか、きっとそうだと私は思っている。
夫婦はもちろんのこと、近くに住まいする兄弟みんなに見守られ、協力し合いながら成長し、今保育園を巣立つ。
あまり休むことなく、元気に精勤賞をもらった。 本当に奇跡の子かも知れない。
まるで双子のような姉妹、長女そしてバックに香港のセイ君のお陰であることもただ事ではない。
おめでとうなっちゃん!
証書、文集やアルバム、大切な園の思い出はいっぱい。
心斎橋のケーキやさんの、ケーキ。 協力しあったご家族でお祝い、と言うのだろうか。
6年間通ったひろともそうだったが、なつめの3年間も近くにいて助けてやれた幸せを思う。
さぁ、4月は1年生!