今日は喪失体験を
書かせてください。
いま住んでいる家から、
そう遠くないところに
わたしの実家があります。
実家は伯父の家と
隣接していまして
伯父の家の広い庭は
こどもの頃から
セミ取りやかくれんぼなど
自分の家のように出入りしていました。
介護日記等は妹のブログで
おととし、昨年と
伯父伯母が続いて亡くなり、
相続の関係で、
とうとう人手に渡りました。
マンションになるそうです。
たくさんの木が切られるんだろうな。
(実家はぽつんと残ります。)
毎年とれる渋柿の木、
きれいな新緑と
紅葉を見せてくれるもみじ、
小さな梅の実をつけている
梅の木。
2階の屋根より高い桜の木も。
昔からなじみ深かった家屋、
景色が無くなる。
ふしぎですよね。
なんで人は失くすことに
悲しみを感じるのだろう。
なんで人は
こんなにも執着するのだろう。
そんなふうに考えていて
自分の一部だからかな
と思いました。
無意識のレベルで見たら、
関わったものは皆、自分の一部で、
親密さを感じるほど
自分密度が濃くなるから
失う事は
さみしいことなんだなって
なんか思って。
そしたらさみしいのは
当然ですよね。
自分だもの。
だから、さみしさや
愛しさを受け止めながら、
ありがとうって
手放すだけなのかな。
庭で倒れていた伯母を
近所の人が見つけてくれたことや、
大きな蛇が出たとか
守られたなーって
思ったこともたくさんあった。
わたしは見える人でも
なんでもないですが
ずっと存在を信じていた
土地神さまに
お礼を言ってきました。
道端のお地蔵様や
近所の神社でも、
伯父の土地のことを
お祈りしていました。
「土地神様によろしくお伝えください」
「土地神様の心が健やかでありますように」って
こうなる事は
ずっと前から分かっていて、
悲しみを少しずつ受け入れる
時間があったのは、幸せだったかもしれません。
すてきな庭も、古民家な家も
あったらあったで
両親はずっと管理に心を砕いていて。
もうそれも必要なくなる。
手放すことは
自由になることなんですね。
だから、こんまりさんの
断捨離も人気なんだな。
さまざまものや人が
自由になっていく。
手放しによってわたしたちは、
さらに羽ばたくのかもしれません。
紅葉が庭で勝手に増えていました
渋柿の木
小さな梅の実をつけている梅の木
桜
ゲッケイジュもあります
ねじ巻き式の窓
居間から。昔は掘りごたつに炭を入れてました。
雨戸
昔の雨戸の鍵です。
棒を上にあげると、上部の横木にこの縦木が刺さり雨戸が動かなくなります。
横板をずらしてロックします。
シンプルで素晴らしい知恵ですね。
最近の気候の激化で、
ガラス窓だけでは不安です。
古い台所。
わたしたちが関わる前は、
ねずみが我が世の春を謳歌していた廊下
左下のすみっこは、ネズミがかじってました。
家のなか、あちこちかじられてるんですが(笑)
関わり始めた8年位前かな。
妹さんの落書き。
(つい取ってある)
ミントと、ミムと、ボルガ。
ネズミもとうとう家族になってました(笑)
家も土地も木も
みんなありがとう。
バイバイ。
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