ビニール袋にリンゴ…。
いただきものだったのですが、よく見るとザクロでしたわ。
普段あまり手にすることの無いくだものですから。
よく見ないと間違えてしまいます。
さて、どうやって食べるんだろう。
初めてかも知れません。
食べ頃はいつなんだろう、とにかく調べます。
ビニール袋にリンゴ…。
いただきものだったのですが、よく見るとザクロでしたわ。
普段あまり手にすることの無いくだものですから。
よく見ないと間違えてしまいます。
さて、どうやって食べるんだろう。
初めてかも知れません。
食べ頃はいつなんだろう、とにかく調べます。
青森までの機内でいただいたのは飴。
青とピンクの2つがあったのですがね。
ワタクシが選んだのは青のハッカ味。
記念の品は大事にとっておきます。
元々短い距離を飛行する青森行き。
なので高度も低めでしょうか。
窓からの景色も雲さえ無ければクッキリです。
こんもりしているのは函館山ですかね。
函館空港か。
そして海峡を渡る時は雲の中へ。
ゴゴゴッと揺れたのは一瞬のこと。
次に見えて来たのは、津軽半島でしょうか。
津軽平野が…、のような機内アナウンス。
いよいよ着陸です。
結局、シートベルト着用サインが消えたのは10分程度。
ま、窓からの景色を楽しむことが出来ましたからね。
カメラオヤジは大満足でございます。
青森のマチ。
暫くお邪魔致します。
と言ってもここに泊るのは1日だけ。
いつものように駆け足で通り抜けます。
青森の旅話はこれから暫く続きます。
毎日コツコツ少しずつ…、だってまだ空港にも降りてませんから。
少し駆け足にしなきゃ冬になっちゃう。
そういつも書いているのに、結局はカメラオヤジがパチパチと撮りまくった画像が溢れてますからね。そんなに簡単なワケにはいかんのでございます。
どうぞお付き合いのほど、よろしくお願い致します。
旅ではいろいろ、名物を食べ漁りました。
美味いものも多かったのに、家で食べるカレーにホッとしてしまう。ジャガイモとニンジンゴロゴロのカレーでしたね。
食べ慣れた我が家の味。
留守にしている間、調理してあったジンギスカンとホルモン焼きが少し残っていたのだとか。
もちろんいただきます。
ああ、これにはビールだったな。
青森では毎日ビール、そして地酒が続きました。
やっぱり旅はいいですね。
楽しんだ分、暫くは控えて健康的な生活に戻します。
なのでカレーは1皿だけ。
その翌日はカレーうどんが定番。
大きなジャガイモとニンジン入りは、カレーそのもの。
んまいなぁ。
「もう少し残っているんだけど。」
あら、食べていいの。
カレーうどんの先はありませんからね、後は鍋も洗わなきゃならないし。
喜んで食べ尽くしてしまいましょ。
おまけ。
どこで買ったのでしょう。
青果売場の芋チップ。
新芋と表示されていましたが、なるほどパリパリと強力な歯応えでございます。
そろそろ歯茎の心配もしなきゃならないお年頃なのに…。
そんなバリバリ音が響いてるのに半目なワンコ。
食欲より睡魔が勝ります。
事務所の入り口を飾っていただく花。
前回の赤から淡い色合いに変わりました。
そう言えば、階段の昇降機の撤去が終わりました。
老朽化して修理も難しいとかで…。
いろんな部品の集まりだから修理出来ないってことも無いとは思いましたが、何せワタクシどもは居候の身。
ワガママなことは言えないのでございます。
シュッと伸びたのはユーカリ。
ピンクは菊かな。
これは…、リンドウでした。
少しずつ覚えています。
近頃は全然歩いていないワタクシです。
と言うのも、このマチの中での話。
忙しいってワケでも無いんだけどね。
面倒くさい気持ちが勝っているかな。
いかんね。
パークゴルフの帰りは、もちろん徒歩ですから。
暑寒公園の駐車場を横断します。
舗装の一部にコンクリートが敷かれているところが残っていますが、それはローリングサイクルと呼ばれた遊具施設の発着場所だったところ。
この駐車場全体がコースになっていて、人の背丈より高いところを走行するの。
平成の初め頃、まだ暑寒公園で「えびまつり」が開かれていた頃の話です。
そんな暑寒公園の中にある水路は、ふるさと創成の交付金で造成されたインディアン水車の名残り。
ほら全国のマチに1億円が配られたヤツ。
水車そのものは撤去されてしまいましたけど…。
古里を求めて暑寒別川を遡上する鮭が迷い込みます。
大きな黒い魚体が何尾も現れては消えて行くの。
ゆったりとした水の流れの中で、悠々とした姿。
そして時折、バシャバシャっと音を立てて飛び跳ねる鮭が合流します。
長旅ご苦労さま。
少しだけ覗くつもりだったのに、気付くと10分。
いや、15分かな。
スタスタと歩かなきゃ鍛えたことにはならないんだけど。
カメラ優先のワタクシ、痩せられる要素は皆無に近いかも知れません。
事故の心配など無いのだから、経済的なものを使えばよろしい。
とでも言いたいのでしょうね。
いいのですよ、そんな考えの人がいたって。
所詮、世の中はいいか悪いかの2択なんだから。
だから推進する側は、福島の事故被害者の暮らしを元に戻して欲しいんだな。
もし今までのところに戻れないなら、それ相応の補償をしてさ。
前例とか、バランスとか。
今までに無かったことを処理するんだもの、そんな細かなことを言っているうちに泣き寝入りする人が増えて行くだけ。
結局、事故の当事者は損をしたまま。
なのに平気で損得の話をする。
人を踏み付けても何とも思わない人にはなりたく無い…、そう思うのであります。