4月の広島旅。
いよいよ原爆ドームまでやって来ました。
沖縄では、ひめゆりの塔。
長崎では、平和公園。
そして広島。
戦争を知らない世代ではありますが、繰り返してはいけない戦争の記録を自分の目で確かめたいと思っていたのです。
原爆ドームの元の建物は、大正4年に広島県物産陳列館として造られたもの。
外国の方の設計とか。
レンガ造りの3階建て、正面中央部分が5階建ての階段室で、その上に楕円形のドームがのせられた造り。
物産陳列館は、県内の商工業品の展示や即売、調査、相談などを行なわれ、美術展や博覧会などの文化事業でも利用されたそう。
その後は、県立商品陳列所、県産業奨励館と改称。
戦争末期の昭和19年からは、内務省中国四国土木出張所、県地方木材株式会社など官公庁などの事務所としても使われた…。
その真上で爆発した原爆。
爆発のようすは記録などで知るしかありませんが、あまりにも悲惨で衝撃的過ぎて覚えておくことも難しい…、なので調べたものから。
爆発と同時に爆発点の温度は数百万度に。
空中に発生した火球は、0.2秒後には直径400メートルの大きさにまで膨らんでしまう。
この火球から放出された熱線は,爆発0.2秒後から3秒後までの間に地上へ強い影響を与えるのです。
爆心地周辺の地表面温度は3千から4千度にも達してしまう。
何のためにそんな恐ろしい爆弾を作り出したのでしょうね。
しかも今では数えられないほどの原爆や水爆が世界に散らばっている…。
戦争で原爆を経験した唯一の被爆国だけど、国として核廃絶に積極的かと言えばそうとも言えず。
ひょっとすると、日本も持ちたいのかと疑ってしまう。
核の傘の下にいることは、保持に賛成とは違うのですか。
他国に対し「廃棄しなさい。」などと、どう伝えられるのでしょう。
原爆死没者慰霊式と平和祈念式。
真夏の日差しの中、政府や外国からも多数の要人が参列する式典だけど。
地元市長や高校生たちの訴えはどれほど響いているのですか。
続けることは確かに大事。
だけどそれは誰に向かっているのでしょう。
今起こっている戦いを止める力になることには…、叶わないのですかね。
本気で願う力。
自分もいつかは加わりたい。