古代ギリシャ展(神戸市立博物館/2016年12月23日~2017年4月2日)なるものに行ってみたのだった。
※牛頭形リュトン
今回の展示は日本初公開の品がめっさ多いのが特徴・・・で、これらが時代順にちゃんと分類されているので私のようなシロートにも分かりやすい展示になっています。
初期のエーゲ文明(特にキュクラデス文明)の時代の彫像は『ホントにギリシャの彫像?』と思うくらい単純化された形で、日本の土偶にも似たイメージです。民族は異なっても畏れ敬う対象には何か人類全体に共通するものがあるのだろうか?などと思いながら時代を降っていくと、これらが私達のよく知る大理石の彫像に移行していきます。
『おお、テルマエ・ロマエの世界や!』などとケシカランことを考えつつ、神々や理想化された肉体を表す彫像の間を抜けて行きますと、ひとつ気付いたことがあります。それはオリンピア競技での優勝者を讃える石像なんかも当然多いのですが、若くして亡くなった人物の人柄や才能を惜しんでそれを象った彫像が結構多いのです。
そのような像がアテナやアルテミスまたアポロといった神々と一緒に並んでいるさまは、魂が天界に召されているまさにその様子のように見えてきます。古代においては戦争や疫病また不慮の事故などによって亡くなる若者は少なくなかったと思われます。この人たちのことを『意味無く死んだ』と考えることは大変辛いことです。もし神々という高次の存在が居て、我々人間の理解を超えたところで運命を決めているのだとすれば、早すぎる死にも何らかの意味があると考えることが可能です。そうして早逝した若者たちを『神々に愛されすぎた』と表現する言葉は、残された人たちへの何よりの慰めになるのかもしれない、などと思いながら会場を後にしたのでした。