吉良吉影は静かに暮らしたい

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マーチン・ファン・クレフェルト『補給戦』(その5)中公文庫 / 2016年6月20日12刷発行

2020-03-09 06:20:01 | 紙の本を読みなよ 槙島聖護

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5.Dデイ(ノルマンディー上陸作戦)

 Dデイまたはオーバーロード作戦(ノルマンディー上陸作戦)は計画にまるまる2年を費やした。

※オーバーロード作戦(連合軍によるノルマンディー上陸作戦)

 比類ない大きさと徹底ぶりを示した計画を見ると、作戦の勝利は大部分計画がうまくいったためだと考えるかもしれない。だがそうではなかったのだ。上陸後数時間も経たないで、順序よく揚陸させるための計画は、大波と、特にアメリカ軍地域では猛烈な敵の抵抗のために、ことごとく失敗に帰した。航路を誤ったことによって、上陸は間違った場所に間違った順番で行われた。その結果、工兵部隊が攻撃部隊より先に海岸に着き、非常に少ない兵員と資材で、攻撃部隊の援護もなしに作業しなければならなかった。Dデイ後数日間は海岸の障害物除去が遅れ、また内陸部への出口が十分に開けなかった。そのために全地域が絶望的なまでに混雑するようになり、もしもドイツ空軍が攻撃してくれば、かっこうの目標となったであろう。多数の車両の防水は不十分だったことが分かり、その多くが失われた。波立つ海を10ないし12マイル航海させられて、積み荷過重の水陸両用車両は燃料が尽きて沈んでいった。トラックが不足していたため、水陸両用車両は普通より内陸部へ深く進み、その結果引き返すのに時間がかかったし、操作はうまくいかなかった。このような条件の下で、最初の一週間に海岸に揚陸された補給物資は、計画立案者の予想の半分にすぎなかった。補給不足、特に弾薬不足がすぐ現われ、使用量割り当てを行わざるをえなかった。

 計画の最大の欠陥は、戦争に必然的に伴う摩擦に対して、充分な用意をしていなかったことだった。

 ヒンデンブルクは『戦争では単純さのみが勝つ』と言ったそうだが、あまりに厳密な計画はたやすく瓦解する。

 結局のところ、当初予定されていなかった海岸を使って次々と場当たり的になされた補給によってオーバーロード作戦は成功したと言わざるをえない。

 そうして計画は遅れに遅れたが、このとき決断力のある一人のリーダーが現れ、状況を一変させてしまった。すなわちパットン将軍である。彼は計画の数字を無視し続けた結果、予定よりも11日早くセーヌ川に到達したのだった。ありえないことだった。

※パットン将軍は計画を徹底的に無視し『ガソリン続く限り前進せよ』と部下を鼓舞し続けた。

 パットンの演説から:『かつて祖国の為に死ぬことで戦争に勝ったロクデナシなどいなかった。他の貧相でマヌケなロクデナシどもを祖国の為に死なせてやる事によってこそ、諸君は勝利を掴むのである。
"No bastard ever won a war by dying for his country. You won it by making the other poor dumb bastard die for his country."

 

 様々な条件がパットンに有利に働いたのは事実である。もともとの計画はあまりにも慎重に過ぎたこと、西ヨーロッパの道路事情が格段に良かったこと、アメリカ軍は世界有数のトラック部隊を保持し、それらが有効に使えたこと、ドイツ軍の崩壊が予想よりも早かったこと、等。しかしながらそれらを統合するリーダーの存在なくしてはこの成功はありえなかった。

 

 これまで(「その1」から「その5」まで)みてきた様々な事例を綜合した結果、著者はナポレオンの言葉を引用してこのように結んでいます。

 すなわち、知性や数字だけがすべてではない。『戦争においては、精神と物質との関係は3対1である』と。

 (この項終わり)